話題の映画「バービー」をビジネスパーソンこそ見るべき理由とは?(写真:映画「バービー」公式サイトより)

小さな女の子向けの玩具として、アメリカを中心に長く人気を誇ってきた人形・バービー。誕生から65年を控えた今年、実写映画化されて世界各地で話題となっている。

バービー人形はもとは金髪に碧い眼、細い体が特徴だったが、1980年からは多様な人種のタイプが、そして近年は体型もバラエティ豊かになっている。着せ替え用の洋服や家、車に加え、ケンと名付けられた男性の人形なども多数ある。

筆者は、映画「バービー」には、大きくいって3つの見どころがあると捉えた。

第1に、大衆向け娯楽としての秀逸さ。第2に、ジェンダー視点が全編を覆っていること。第3に、バービーの発売元である実在するマテル社のマーケティング戦略だ。この記事で主に伝えたいのは主に2番目、3番目のポイントになる。それぞれについて順に紹介したい。

玩具らしいシュールな世界

まず、第1の見どころである、大衆向け娯楽としての魅力について。すでに多く報じられているので、映画の概要紹介をしつつ、ここでは簡単にふれるのみにする。

映画の舞台は、人種・職業・体型など様々な「バービーたち」が住む、おとぎの国「バービーランド」。彼女たちは玩具の家やビーチで遊んで毎日楽しく生きている。老いや病、人生の意味を考えて悩むことはない。

あえて安っぽく作ったセットが、玩具らしいシュールな世界だ。また、様々な人種の全て「ケン」と名付けられた男性たち(これも人形製品あり)が登場する。


(写真:映画「バービー」公式サイトより)

バービーとケンが人間界にやってきて巻き起こす騒動や、逆に人間たちがバービーランドにやってきて起こす変化は、現代版のおとぎ話として楽しめる。

映画が終わった帰り道、私の前を歩く女性客が「最後、バービーとケンがくっつくのかと思った!」と話していた。このあと紹介するように、この作品には様々な社会的な観点があるが、エンターテインメント作品としての完成度は多くの人が認めるところだろう。

第2の見どころはジェンダー視点である。映画を見た帰り際に「メッセージ性、強くね?」と感想を述べる男性客に遭遇したが、実際、多くのメッセージがこめられた作品だ。

今回の映画で、バービーたちが暮らす「バービーランド」は“女性優位”の世界だ。大統領も最高裁判事も、国会議員もノーベル文学賞受賞者も要職は全て女性で占められている。一方でケンたち男性キャラクターはバービーたちの引き立て役のような存在だ。

「バービーランド」と人間世界の対比

対照的に、映画の世界で描かれる人間の世界は、男性優位である。バービーランドから人間界にやってきたバービーがまず遭遇するのは路上でのセクハラ。そして工事現場も取締役会も企業のオフィスも男性で占められている様子だ。

現代のアメリカには、少なからぬ女性リーダーがいる。副大統領(カマラ・ハリス)、最高裁判事(ルース・ベーダー・ギンズバーグなど)、国会議員(ヒラリー・クリントンなど)、ノーベル文学賞受賞者(トニ・モリスンなど)などの存在を思えば、本作中の男性優位社会が現実よりも誇張され、かなり戯画化されていることは明らかだ。


(写真:映画「バービー」公式サイトより)

加えて、バービーが当たり前のように抱いている価値観にはルッキズム(外見至上主義)やエイジズム(若さ至上主義)が色濃い。それが、人間界に来ることで徐々に変化していくのも面白い。多かれ少なかれ、ジェンダーに関心や知識がある人が見れば色々と気づくことがある。

近年のハリウッド映画において、娯楽作品にジェンダー視点を取り入れるのは、もはや当たり前になっている。アクション作品では、かつてのように守る男性と守られる女性という「性別役割分担」はほぼ消えており、女性も一緒に戦うのが当たり前になっている(例えば「トランスフォーマー」もそうだ)。

受け身で美しい女性が、強い王子様に守ってもらう――ステレオタイプな女性表象を積み重ねてきたディズニーのプリンセスアニメや映画も、近年は強い女性リーダー(「アバローのプリンセス エレナ」)や結婚より自らのミッションを選ぶヒロイン(「モアナと伝説の海」)を描くようになっている。王子様はもはや、お姫様を救うのではなく、しょうもない悪役として登場することもある(「アナと雪の女王」「マレフィセント」)。

つまり性別役割の逆転は、現代のハリウッド映画では新しい手法とは言えず、定番のひとつになっている。特に#MeToo以降は、セクハラ問題や男女格差の問題を描く映画が次々に製作(「SHE SAID」「スキャンダル」「RGB 最強の85才」)されている。だから、本作が提示するジェンダー関連の議論そのものが新しいわけではない。

人形の発売元であるマテル社の試行錯誤

こうした前提を踏まえ、この記事では、第3の見どころを紹介したい。それは、変わりゆくジェンダー規範や消費者の意識に向き合う企業の試行錯誤である。

具体的にはバービー人形の製品販売を手掛けるマテル社のマーケティング戦略、特にリポジショニングの試みに着目したい。

映画の中には、MATTELのロゴがしばしば登場する。取締役会が白人男性のみで占められていたり、現場で働く人がほとんど男性だったりするシーンからは、労働における多様性の欠如を批判するメッセージを読み取れる。


(写真:映画「バービー」公式サイトより)

映画の中でマテル社CEOは、やや時代遅れの男性経営者として描かれる。すぐに部下を怒鳴りつける言動は、現代のグローバル企業経営者にはふさわしくないように見える。バービーや一般男性社員とのちょっとしたやり取りに彼の偏見が表れている。女児玩具を扱う企業には相応しくない人物に見える。

もし実際のマテル社の社内もこうだと消費者に理解されたらイメージダウンになりそうなきわどい設定だが、映画の冒頭と終わりに示される企業ロゴやクレジットから、マテル社が映画に全面協力していることは明らかだ。

多少なりとも広報やマーケティングの知識がある人が本作を見たら、きっと疑問を持つはずだ。「なぜ、マテル社は自社をおちょくるような映画にゴーサインを出したのだろう?」と。

私の解釈では、この映画はマテル社の主力ブランド「バービー」のリポジショニングというマーケティング戦略の一環だ。

リポジショニングとは、顧客の志向やターゲット市場が変化した時、その変化に応じてブランドの再活性化を行うこと。

バービーの場合、発売当初1960年代は女の子が憧れるお洒落な服を着た大人の人形だった。バービーは大ヒットして会社を支える屋台骨の製品ブランドとなった。会社の公式ウェブサイトによれば、今もバービーは1分に100体、1年間に5800万体も売れており、バービーの公式YouTubeは登録者数1000万人に達するという。

子どもたちは、昔も今も人形遊びをする。ただし、時代の変化により、バービー人形のスタイルが人間ばなれしすぎているとか、ルッキズムを助長しているといった批判が増えてきた。

この間、マテル社は宇宙飛行士のバービー(1965年)、多様な人種のバービー(1980年)、大統領候補者のバービー(1992年)を発売している。企業としては、美しさを一つの型にはめる意図はなく、人形を通じて女の子を勇気づけたい、と考えているのだろう。

物事の価値感が変わるとき、従来の価値感は…

ただ、マテル社の取り組みは、必ずしも社会に届いたとは言えない。企業が発信したいことと、消費者の受け止めのギャップを端的に示すシーンが映画の中にはある。

かつてバービー人形で遊んだ女の子が高校生になり、人間界にやってきたバービーに痛烈な批判を浴びせるのだ。バービーは女の子のコンプレックスを煽ると批判され、挙句の果てに「ファシスト」と呼ばれたバービーは、泣き出してしまう。

このシーンをマテルが認めたところに、同社が時代の変化と向き合う覚悟を感じた。誰しも、自分が良かれと思って作ってきた、変化に対応して発信してきた価値を否定されるのは心地よくない。価値観の変化がいかに速いとはいえ、もしあなたが勤務する企業の製品・サービスが、かつての顧客から酷くけなされたら、どう思うだろうか。

持続可能な経営を目指すなら、組織は変化に対応する必要がある。かつての顧客の厳しい批判を受け止め、自社が持つ製品・サービスの核となる価値を見直し、何を残して何を変えるのかを考える必要がある。

ここで大事なのは、企業が“一方的に”発信する「新しいブランドの定義」は、消費者から受け入れられない、という厳しい現実だ。

女性宇宙飛行士や女性大統領候補を時代に先駆けて製品化してきたマテル社の変化への対応が、それでは、足りないなら、何をすればいいのか。

今回、映画に関わったマテル社は、社会と時代が求めるものと、自社が発するイメージのギャップを見つめたのではないか。その結果、自社を痛烈に批判する表現をも是として受け入れたのではないだろうか。

ちなみに映画で描かれるマテル社取締役会は13名全員が白人男性となっているが、現実には名前と写真から推測すると11名の取締役のうち4名が女性である(https://corporate.mattel.com/executive-leadership)。映画で男性ばかりの取締役会を茶化す表現を受容できたのは、現実には3分の1以上が女性になっており、映画が描く問題を同社がすでに卒業できているためかもしれない。

こうして映画の主語をバービーからマテルに移してみると、ピンクづくしの映画からビジネスパーソンが得られるレッスンがずいぶん多いことに気づくだろう。

女らしさと男らしさの軛から人々を解放する物語

最近急に、「女性活躍」とか「ジェンダー」と言われて戸惑うビジネスパーソンは、この映画を見てほしい。そして、映画の中で男らしさ・女らしさに基づく偏見がどのように描かれているか考えてほしい。さらに、映画で描かれるマテル社の問題は、自分の勤務先とどのように似ており、どのように違うか考えてみてほしい。

最後に重要なのは、この映画は、女性を褒め称え男性を貶すものではない、ということだ。そうではなく、女性を解放することは、男性の解放にもつながる、という明確なメッセージが伝わってくる。

「ケン」という男性人形の変化と悲哀、そして解放のストーリーにも注目することで、それが読み取れるはずだ。女性が解放される時、男性もまた、これまでの型にはまった役割から解放され、自らの人生を生きることができるのである。

ピンクだらけ、女児玩具の世界を描いた映画ではあるが、実は女らしさと男らしさの軛から人々を同時に解放する物語になっている。ぜひ次の週末、ビジネスマンに本作を見てもらい、自身と勤務先の新たなポジショニングを考えるきっかけにしてほしい。

(治部 れんげ : ジャーナリスト)