東京大学の学生が起業を志す傾向が強まっている(撮影:梅谷秀司)

東京大学は、創設から昭和の時代まで、中央省庁の官僚を多数輩出してきました。バブル期以降、東大生の進路は民間の大手企業へと多様化し、近年はコンサルティングファームやIT系が人気になっています。

今、その東大生の職業選択に、大きな変化が起きつつあります。それは、在学中に起業に挑戦する学生が増えているということです。今回は、大学発ベンチャーの現状と学生起業という新しいトレンドを紹介しましょう。

東大がベンチャー企業の聖地に

東大といえば「官僚養成機関」、東大生といえば「安定志向」という日本国民の認識を根底から覆したのが、昨年の東大の入学式(2022年4月12日)での藤井輝夫総長の祝辞です。藤井総長は、祝辞の中で以下のように述べました。

「東大関連ベンチャーの支援に向けた取組みを積極的に進め、2030年までにその数を700社にするという目標を掲げています」「東京大学は、社会が直面している課題の解決に貢献する新たな業(ぎょう)を起こすことを支援しています」

23分間の祝辞のうち3分の2が、ベンチャー企業に関する内容でした。出席したある女子学生が「間違えて別の大学の入学式に来てしまったのかと思いました」と振り返るように、皆これを聞いてあっけに取られたようです。

藤井総長の掛け声だけではありません。東大では、近年、「ベンチャー企業の育成」を大学の第一の使命に掲げて、多種多様なベンチャー企業育成施策を展開しています。

まず資金。2004年創業のUTEC(東京大学エッジキャピタルパートナーズ)は、本郷キャンパスに本社を置くベンチャーキャピタル。これまで累積で850億円近くの5本のファンドを運営し、150社以上に投資を行ってきており、うち20社が株式上場しています。

東大の産学連携の要になっているのが、産学協創推進本部が運営する「東京大学 FoundX」。これから起業に挑戦する東大の卒業生・研究者向けに、 起業に役立つリソースを無償で提供しています。

また、在校生向けの起業家教育にも力を入れています。「東京大学アントレプレナー道場」という起業を初歩から学べるプログラムも用意されており、東大生なら誰でも履修登録をしなくても自由に受講することができます。

こうした東大の全学を挙げた取り組みが、着実に成果に上げています。全国の大学発ベンチャーの総数3782社のうち、東大の大学発ベンチャーは371社で、全国の大学でトップです(経済産業省「令和4年度大学発ベンチャー実態等調査」)。いまや東大は、日本における「ベンチャー企業の聖地」なのです。

なお、ここでの大学発ベンチャーとは、大学での研究成果に基づいて設立された企業や大学生・大学院生が立ち上げた企業とともに、「(学外の)創業者が持つ技術やノウハウを事業化するために、設立5年以内に大学と共同研究等を行ったベンチャー」などを含みます。

トップ層の東大生が起業に挑戦

大学発ベンチャーのうちもっとも多いのは、大学での研究成果に基づくものです(全体3782社の50.6%)。ただ、それに次いで多いのが現役の大学生・大学院生による起業で、全体の24.6%を占めます。そして近年、この学生起業の増加がとりわけ顕著です。

東大で学生起業の中心となっているのが、日本におけるAI研究の第一人者である松尾豊教授の研究室。昨今のAIブームという追い風を受け、大学からの手厚い支援もあって、松尾研究室からはベンチャー企業が続々と産声を上げています。

そのうちの1社が、生成AI専門のベンチャー企業、neoAIです。neoAIは、2022年8月に東大工学部3年生だった千葉駿介CEOと寺澤滉士良COOの2人が共同で創業しました。

2人は、2年生の時に受講した松尾豊教授の「データサイエンティスト講座」で出会いました。ともに、その講座の受講者約1000人のうち上位10人の「優秀生」に選ばれた逸材です。

寺澤COOは、「数字など目に見える結果やフィードバックが出て、なおかつそれが運要素ではなく自分でコントロールできることがモチベーションになるタイプの人間」で、いまAIビジネスを心から楽しんでいます。そして、起業について次のように語ります。

「AIに関しては、起業といっても初期投資がさほど必要なく、仮に失敗してもそんなに大きな痛手にはなりません。AIが好きで、AIの可能性を追求し、社会に役立てたいというなら、起業しないのは損だと思います」

なお、千葉CEOと寺澤COOは現在4年生で、学生と起業家の「二刀流」の生活をしています。ともに来年、東大大学院に進学する予定で、「二刀流」の挑戦を続けます。

世間で起業というと、「生きるか死ぬかの大勝負」と悲壮な覚悟で挑戦することが多いようですが、千葉CEOと寺澤COOにはそういう悲壮感はまったくありません。大好きなAIに夢中になって、その延長でビジネスに取り組んでいるという印象です。

大学発ベンチャーは着実に増加

東大だけではありません。いま、国の後押しを受けて全国の大学がベンチャー企業の育成に注力しています。その甲斐あって、大学発ベンチャーは着実に増えており、全国で3782社(2022年度)に達しています。2000年度は420社だったので、22年間で9倍という急増ぶりです。


なお、アメリカにおける2021年末時点の大学発ベンチャーは6144社で、日本の2倍足らずです。日本のベンチャー企業には、「起業後ずっと小粒のままで大きく成長しない」という問題点がよく指摘されますが、アメリカとの人口や経済規模からすると、こと大学発ベンチャーの「創出」段階については、かなり進展していると評価することができます。

大学発ベンチャー数の上位10校は、以下の通りです。いずれも、知名度が高く、学生が優秀だとされる一流大学です。


もちろん、学生起業はそのうちの一部ですし、各校の学生総数からすると微々たる数かもしれません。ただ、一流大学の学生の間で起業への関心が高まり、実際に挑戦する学生が増えていることは、確実でしょう。

起業家はこの世で最も難易度が高い職業

アメリカのビジネススクール(MBA)では、よく「能力もガッツもない者は、サラリーマンとして他人に雇われて低賃金で働く。能力はあるがガッツがない者は、コンサルタントとして他人にアドバイスして少し儲ける。能力もガッツもある者は、起業家として他人を使って大儲けする」と言われます。

実際に、ハーバード・ビジネススクールが卒業生の追跡調査をしたところ、卒業して25年後に従事していた職業で最も多かったのは、「自分が起業した会社の経営者」でした。

(異論はあるかもしれませんが)この世のあらゆる職業の中で、最も難易度が高いのが起業家だと私は思っています。最も難易度が高いから、成功したらこの世で最も多額の報酬を手にすることができます。能力もガッツもある一流大学の優秀な学生が起業に挑戦するというのは、ある意味、自然な流れでしょう。

とすれば、日本でも東大など一流大学の優秀な学生が公務員よりもコンサルタント、コンサルタントよりも起業家を目指すようになっているとすれば、非常に喜ばしい新トレンドだといえます。

(日沖 健 : 経営コンサルタント)