3カ国の首脳は会談後、そろって記者会見した (8月18日、写真・GettyImages)

日米韓3カ国の首脳によるキャンプデービッドの合意は、日米同盟、韓米同盟に加えて、歴史問題などが原因でなかなか良好な関係を作ることのできなかった日韓関係まで取り込んだ画期的な枠組みだと評価されている。

確かに外交・安全保障の世界では長年、「日米同盟や米韓同盟は機能するが、日韓関係がよくならないから、中国や北朝鮮の脅威を前に北東アジア情勢は安定しない」というのが常識だった。

日韓が相互不信から180度転換

日米韓の3カ国は、いずれも政治体制は民主主義国であり、経済も自由主義、市場主義と共通点が多い。さらにGDPも世界10位以内と、大きな存在となっている。にもかかわらず3カ国の枠組みになると、緊密な関係を構築できないでいた。

一方で、北東アジア情勢は冷戦後の30年余りで激変した。

中国の国防予算は約40倍に増え、軍事力の近代化と増強が一気に進み、今やアメリカに迫る勢いだ。さらに北朝鮮の核やミサイルの技術もアメリカが脅威を感じるほどにまで進んだ。

日米韓3カ国が手を組めば、中国・ロシア・北朝鮮に対してはかなりの圧力になるのは明らかだ。しかし、日韓両国間は歴史問題で激しく対立し、韓国軍が自衛隊の哨戒機に攻撃を意図する火器管制レーダーを照射する事件が起きるなど、相互不信は隠しようもなかった。

中国や北朝鮮にとっては望ましい状況だったが、それを180度転換させたのが今回のキャンプデービッドの合意だ。

関係者らの話をまとめると、3カ国合意の推進役はアメリカのバイデン大統領だった。

日米韓の連携実現に対するバイデン大統領のこだわりは強く、オバマ政権の副大統領だった2013年12月には日本、韓国を相次いで訪問し、安倍晋三首相、朴槿恵大統領に対して日韓関係の改善を働きかけている。この時の訪問が2015年の慰安婦合意につながったとされている。

その訪日直後に安倍首相が靖国神社に参拝すると、アメリカ政府は「日本の指導者が隣国との緊張を悪化させる行動をとったことにアメリカは失望している」という厳しいコメントを公表した。積極的に動いたのはバイデン副大統領だったという。

韓国の変化を捉えたバイデン大統領

そのこだわりは2021年に大統領になってからも変わらなかった。

当時、日韓関係は徴用工問題での韓国の大法院判決をめぐって決定的に悪化していた。バイデン大統領は就任後しばらくして、日韓両国に関係改善を積極的に働きかけてきたという。

転機は2022年の韓国の政権交代で起きた。

新たに大統領に就任した尹錫悦氏は前政権の政策を全面的に否定し、徴用工問題での打開策を日本に提案し決着させるとともに、韓米同盟にも積極的に取り組み、日韓、米韓関係を一気に改善した。

バイデン大統領はこのタイミングを逃さなかった。

今年5月、広島でのG7サミットに尹大統領が招かれ、短時間だが日米韓首脳会談が開かれた機会を利用し、米大統領専用の別荘地であるキャンプデービッドでの首脳会談を提案したのだった。この提案が日本側に示されたのは首脳会談の数時間前だったという。

もちろんバイデン大統領が日韓関係の改善と日米韓の枠組み作りに熱心なのは、アメリカの国益を考えてのことである。

オバマ政権時代、アメリカは「世界の警察官」であることをやめると宣言し、中東地域などから手を引くとともに、アメリカの外交・安全保障政策の軸足をアジアにシフトすることを宣言した。

これは中国の台頭という現実を前に、対中政策に比重を移すというアメリカの戦略の転換だが、相対的に国力の低下しているアメリカは冷戦時代のようにすべてを自分で担うことはできず、同盟国の負担を求めざるをえない。

そこで不可欠になったのが日米韓という枠組みと、日本と韓国の応分の負担だった。

多国間の枠組みを次々と創設

アメリカの対中戦略は日米韓だけではない。

アジア地域では同じようにQUAD(日米豪印戦略対話)、AUKUS(豪州、英国、アメリカ間の軍事同盟)という多国間の枠組みを作っている。また経済関係ではIPEF(インド太平洋経済枠組み=日米韓豪、ASEANの一部諸国など14カ国が参加)も創設し、多様で多層的な国家グループを作ることで対中包囲網を築こうとしている。

バイデン大統領のキャンプデービッドの合意に向けた行動は、アメリカの対中戦略や国益から考えれば理にかなったものである。タイミング的にも、アメリカはまもなく次期大統領選に向けて「内政の季節」に入る。そのギリギリのタイミングだったともいえるだろう。

日本にとってもキャンプデービッドの合意は、長年の懸案の解決という意味では歓迎できる面はあるだろう。しかし、違和感が残る。

一連の過程を振り返ると、尹大統領の主導で日韓関係は劇的に改善した。そしてバイデン大統領の活発な働きかけで日米韓の合意も実現した。

ところが、日本の姿はほとんど見えない。そればかりか、政府内にはすっきりしない冷めた空気が漂っている。

そもそも日米同盟は、日本有事や極東有事を対象とし、1996年の日米安保共同宣言では対象地域をアジア太平洋地域に拡大するとされた。一方、アメリカと韓国の米韓相互防衛条約は、北朝鮮の脅威に対処することが目的の軍事同盟だ。

性格の異なる2つの同盟をどうリンクさせようとするのか。

また日韓間では「拡大抑止」についての考え方など同盟のあり方についての認識の違いや、自衛隊機へのレーダー照射問題など未決着の問題も残っている。

にもかかわらず今回の合意は、精緻な議論もないまま作られている。そんなこともあってか日本政府内には首相出席について反対論も少なくなかったという。

かつては経済摩擦と安保が並存した

それ以上に違和感があるのは、合意文書で政治も経済も含めてあらゆる問題が、軍事や安全保障の概念で語られていることである。

あまり知られていないのだが、「日米安全保障条約」は単純な軍事同盟条約ではない。第2条には「締約国は、その国際経済政策におけるくい違いを除くことに努め、また、両国の間の経済的協力を促進する」と書かれている。

日本経済が元気だった1990年代まで、日米間では貿易不均衡などがしばしば問題になり、宮沢喜一首相や細川護煕首相のように、輸出制限を求めるアメリカ大統領とやり合って首脳会談が決裂寸前までいったこともあった。

当時、「安保屋」と呼ばれる日米安保を専門とする官僚群は「日米両国が経済摩擦でいくら対立しても心配ない。日米関係は安保分野でがっちり手を組んでいるから万全だ」と豪語していた。

ところが時を経て、今や「経済安全保障」という言葉が登場し、経済・通商問題も安全保障問題の世界に組み込まれてしまった。

アメリカは対中戦略の一環として、半導体輸出規制や対中投資規制など中国に対する強硬政策を次々と打ち出している。それに対して日本政府は、さしたる異論もなく追随している。中国が軍事と経済を区別しないのであるから、対抗上、やむをえない面はあるだろう。

しかし、アメリカの変化は対中戦略にとどまらない。4月、サリバン大統領補佐官は講演で、アメリカの経済政策や通商政策の路線転換を宣言した。

まず、レーガン政権以来の柱である新自由主義や自由貿易体制を、アメリカ国内の産業空洞化と雇用喪失を招いたとして否定したのである。そのうえで中間層を元気にするための製造業復活や雇用確保を最優先し、国内法の整備や補助金の給付などの産業政策を推進するとしている。

アメリカの保護主義化とどう向き合うか

「サリバン・ドクトリン」とも呼ばれているこの考えは、明らかな自国中心主義、保護主義への転換であるとともに、次期大統領選に向けた支持拡大のための政策でもある。

これらの方針が単なる選挙向けキャンペーンで終わるのか、それとも次々と具体化されていくかは断言できない。しかし、すでにいくつかの法律が制定され、実施に移っている。

対中政策にとどまらないアメリカの経済政策の大転換に、自由主義経済を掲げる日本はどう向き合うのか。安保条約にある「国際経済政策におけるくい違い」はやがて顕在化していくだろう。

日本政府はアメリカ政府に対し、非公式に注文をつけたり要請をしているというが、中国や北朝鮮の脅威を前に、政府内外でいわゆる「安保屋」の勢いが増している中で、どこまでアメリカにもの申せるのかはおぼつかない。

国際社会や国家関係を軍事や安全保障だけで語ることはできない。相互の信頼関係のうえに、率直に議論していくのがあるべき同盟関係であるとすれば、日本は「もの言わぬ同盟」に陥らぬことが肝要である。

(薬師寺 克行 : 東洋大学教授)