ピョートル・フェリクス・グジバチ (Piotr Feliks Grzywacz)/プロノイア・グループCEO・代表取締役。ポーランド出身。モルガン・スタンレーを経て、グーグルジャパンでアジアパシフィックにおける人材育成と組織改革などを担う。2015年に独立し、プロノイア・グループを設立。『心理的安全性 最強の教科書』など著書多数 (撮影:尾形文繁)

ビジネスパーソンの間で今、「心理的安全性」という言葉が大きな関心を集めるようになってきた。企業などの組織や自身の仕事を一変させるこの言葉の意味とは何か。『週刊東洋経済』9月2日号では「『心理的安全性』超入門」を特集。注目キーワードのすべてを解説する。その誌面の中から、グーグルジャパンでアジアパシフィックにおける人材育成と組織改革などを担い、『心理的安全性 最強の教科書』の書著を持つピョートル・フェリクス・グジバチ氏のインタビューを紹介する。


なぜ心理的安全性が企業の現場で重要視されるようになったのか。その背景は大きく分けて2つあると私は考えている。

1つは、時代の流れで、個と組織の関係性がぐるっと正反対に変わったことだ。今から20〜30年前は組織に入る壁が高く、その壁を乗り越えるために、働き手が頑張って就職活動をするのが常識だった。ところが、今ではそれが世界的にも非常識になりつつある。理由の1つは、デジタルネイティブの若者たちが、1人で自分のブランドを立ち上げて食べていける手段がたくさんあるからだ。ユーチューバーやデジタルクリエーター、ゲーマーなどがその例だ。

その結果、今では採用する側が頑張らなければならなくなった。組織の中で自分らしくいられて自己実現できるような環境を整えないと、誰もその会社に入りたいと思わない。そうした環境づくりに不可欠なのが心理的安全性だ。

社会にインパクトを提供していくためには、これまで以上に集合知が必要になってきている。生成AIが進化した今、人間は集合知を集め、テクノロジーにはできない新しい価値を生み出さなければ、仕事をする意味がなくなりつつある。その集合知を生み出すために必要なのが、明確なストラクチャーと相互信頼、そして心理的安全性である。コミュニケーションがままならず、集中して仕事ができないストレスの高い環境では、よいアウトプットは出せないからだ。

心理的安全性への誤解

しかし、心理的安全性には誤解されていることも少なくない。

よくある誤解は「心理的安全性は目的である」ということだ。チームの心理的安全性を高めることはあくまで組織の生産性を高めるための手段にすぎない。目的は、チームで成果を上げることだ。

これを間違えると「ワイワイガヤガヤ、笑い声が聞こえる楽しくて優しい職場をつくること」が目的になる。心理的安全性が高いと会話が活発で笑いも多いが、成果が伴わなければ意味がない。

心理的安全性にはさまざまな定義があるが、私は次の2つが実現している状態だと定義している。

・メンバーがネガティブなプレッシャーを受けずに自分らしくいられること

・お互いに高め合える関係を持って、建設的な意見の対立が奨励されること

パワハラや人権侵害になるような言動は言うまでもなく御法度だが、仕事に関して厳しいことを互いにストレートに言ったり、考えの異なる人同士が意見を戦わせたりすることは必要だ。心理的安全性があるからこそ、そうした発言ができるようになるといえる。

人に優しく、結果に厳しく

日本企業で多く見られるのは、「人に優しくないが、結果に優しい」会社だ。パフォーマンスをきちんと測定せずに、課した成果目標が未達でも解雇しないが、サービス残業が多かったり、言いたいことが言いにくかったりと、その人らしく働ける環境がつくられていない。

私がよく言うのは「人に優しく、結果に厳しく」。人とタスクを区別するアプローチだ。例えばチームのメンバーが作った商品紹介文に多くのミスがあった場合、「あなたはまともな文章が書けないの?」というように、人を否定するようなフィードバックをしてはいけない。「昨日は残業してまでこの文章を考えてくれてお疲れさま。ただ、この表現はお客様の誤解を招くので、再検討してくれないか」と、人をねぎらいながら、タスクを否定する。このようなアプローチは心理的安全性を損ねていないし、組織にとっても個人にとってもためになる。


「チームの心理的安全性をつくり上げるのは管理職・上司の役割であり、責務である」というのも大きな誤解だ。チームの信頼と尊敬のバランスをつくるためには、管理職だけでなく、メンバー一人ひとりが当事者意識を持って、どのようにチームの中で自分の役割を果たすかを考えることが大切だ。

とはいえ、職場の心理的安全性を醸成するために、マネジャーが果たす役割は大きい。職場で最も影響力のあるマネジャーが、周りに対して心理的安全性を意識した行動を取るとよい。

第一歩はメンバーの話を聞くこと

その第一歩は、チームのメンバーの話を聞くことだ。メンバーが大切にしている価値観や判断基準、理想の働き方、将来の夢、何が好きで何が嫌いなのか、といったことだ。つまり、価値観レベルのことを知れば、メンバーがその人らしく、自分の力を最大限に発揮して働くための「トリセツ」を手に入れられる。

ただし、価値観レベルのことを聞いても、多くのメンバーはすぐに答えられないかもしれない。理由の1つは、日本企業の職場は自分の考えを口にすることが少ない点だ。日本の文化はコミュニケーションの土台となる考え方や価値観が共有されているハイコンテクスト文化なので、考えを言葉にすることに慣れていないのである。

しかし、答えられないからといって、決して自分の考えがないわけではない。頭の中の考えがまとまっておらず言語化されていない、あるいは何らかの理由があってその場では言えない、というケースが多い。だから1回答えてもらえなくても諦めず、日を改めて別の角度から2回、3回と聞くことが必要だ。

自分の心の内にある価値観を話すほどには、マネジャーに信頼を置いていないこともある。マネジャーのほうから自分の価値観や信念などを自己開示することも大切だし、日頃からメンバーのことを気に掛けるような会話をして信頼関係を醸成することも欠かせない。

どんなチームにも心理的安全性をもたらすことができる万能の特効薬はない。メンバー一人ひとりと会話のキャッチボールをして、少しずつ少しずつ関係構築をしていくことが大切だ。


(杉山 直隆 : オフィス解体新書・代表)