侍ジャパンの監督としてチームを世界一に導いた栗山氏の、選手1人ひとりに対して心を尽くす「“ギバーr”の姿勢」とは(写真:矢口亨)

3月のWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)で侍ジャパンの監督としてチームを世界一に導いた栗山英樹氏には小学生のときからの気になった言葉や日々の戦績、プレーの細かな振り返りを書き留める「野球ノート」がある。

球界きっての読書家としても知られている栗山氏。ジャンルは、経営者や企業家の言葉のみならず、小説、古典にまで及ぶ。そして読んで気になった言葉は、その都度ノートに書き留め、思いや考えをまとめているのだという。

栗山英樹氏の人生哲学

『論語』『書経』『易経』……先人に学び勝敗の理由を考え抜いた先に綴った、組織づくりの要諦。この門外不出のノートを、書籍としてまとめたものが『栗山ノート』だ。

この続編として7月に出版された『栗山ノート2 世界一への軌跡』(光文社)には、世界一までの舞台裏とともに栗山氏がその都度書き留めた言葉が収められている。

栗山氏にとっての“書くということの意味”、世界一の監督という栄冠にたどり着くまでの支えとなった“人生哲学”について聞いた。

(後編:『栗山氏「二刀流正しかったか"わからない"」の本音』)

栗山氏にとって書き留めることは自己表現の一部であり、自分自身の思考を深化させ、記憶にとどめる手段であるという。書くことに対する栗山氏の考え方を理解することで、本書のメッセージを一層深く受け取ることができる。


栗山氏にとって書くこととはーー?(写真:矢口亨)

「書くことにより言葉が自分の潜在意識の中に入るんです。

例えば、戦前に首相や日銀総裁など日本の要職を務めた高橋是清さんが忙しいながらも、新聞を何紙も読み、自分で大事な所を書き写していたらしいんです。秘書が『自分たちがやります』と言っても『自分で書かないと、頭に入らない』と、秘書たちの申し出を断っていました。

そのくらい書くことはすごく大切で、自分の潜在意識の中に入れ、自分が必要だと思ったことを体の中に入れ込む作業です。表現という意味でも(書く)文字と(話す)言葉は違うと思うし、自分でも分けて使っています。

29歳で現役を引退したときに『栗山英樹29歳 夢を追いかけて』(池田書店)という本を出したのですが、そのときに書くことの意味に気がつき始めたのかなと思います」

成功の柱の1つ“ギバー”

本書を読み解くキーワードの1つに、他者への価値提供や信頼構築を通じてビジネス的な成功を促進する「ギバー(giver)の姿勢」がある。栗山氏はWBCの監督在任中も、選手1人ひとりに対して心を尽くし時間を使っていた。

例えば、「修身教授録」(到知出版社)で知られる教育者の森信三の「朝晩のあいさつだけは必ず自分から先に」という言葉に従い「あいさつは自分から」行うようにしていたという。

メンバー選考を進めている過程で前田健太選手に連絡を取った栗山氏。ほとんど初対面の前田選手を緊張させてしまったり、余計な気遣いをさせたりしないために、オンラインミーティングが行われた際にも自分からあいさつするようにしたという。

そして侍ジャパンの選手に選ばれたメンバーへの連絡方法についても意識した。選手の意識を高めるために2022年12月24日のクリスマスイブに、その時点で決まっている15人に栗山氏自身が電話をかけた。

「タイミングで受け止め方は変わる」──。特別な日に電話することで心に残る形となり、選手にやり甲斐を感じさせるためだった。


「自分が何かしてうれしいよりも、人が喜んでくれたほうが何倍もうれしい」と栗山氏(写真:矢口亨)

一方でギバーであることは、直接的な利益や報酬とは必ずしも直結しない場合がある。栗山氏はその辺りをどう考えているのだろうか。

「二宮金次郎さんの教えに『水を押すから水は自分に返ってくる』という、たらいの水の話がありますが、見返りを期待する必要はまったくなくて、与え続けるだけでいいと僕は思っています。

年を取るとだんだんわかるんですけど、自分が必要なものを買ったときよりも、人が欲しいものをプレゼントできたときのほうがうれしかったりするじゃないですか。

『監督とは片思いをし続けなければいけない』という言葉の意味は、そういうことなんです。選手のために何かをやって、自分のことを思ってほしいとか、報われようとするのは要らない。結局は報われる形になるんですけど、これは格好つけている訳ではなくて、自分が何かしてうれしいよりも、人が喜んでくれたほうが何倍もうれしい」

他人が喜ぶ姿を見ることが、自分が得る喜びに勝る。年齢を重ねるごとに自然とそう思うようになった。さらには見返りを期待して行動するのではなく、自分の成長のために努力することが最も価値があると感じるようになっていった。

栗山氏自身、大勢の選手とスタッフで構成される日本ハムを監督として10年間マネジメントしてきた経験が大きいという。

就任5年目の2016年に日本一を経験しているものの、その後はなかなか勝ちきれず、2019年から2021年までは3年連続でパ・リーグ5位。心を尽くしても思いどおりにいかない時期を長く経験した。それでもすべての出来事や経験には意味があり、その捉え方一つで、どれだけポジティブになれるかが大事だと栗山氏はいう。

「北海道に住んでいて、雪かきをしていると、これ、春になって暖かくなれば自然と(雪は)消える。それなのに何でこんなしんどい事、1日中やっているんだろうって最初は思う。

でも、これが自分のトレーニングになっていたり、我慢しながら心をコントロールすることを覚えている時間だって思うと、それもまた意味があったりする。すべてはやっていることを自分がどう捉えるかというのを、多分、生きてる間にわれわれはずっと問われていて、それに早く気がついたほうが、すべてがうれしいことになる。

そう考えられれば選手たちはいくらでも野球のためだけに勝負ができるので、そこにもっていってあげたいって思うだけなんですよ。選手が喜ぶ、良くなる事が一番なので」

ユニクロのCM「いいよね」

栗山氏の人生哲学は、彼の監督業や選手との関係性にも深く影響していることがうかがえる。話はかつて夏の甲子園を沸かせ、2021年に日本ハムで現役を引退したドラ1右腕の現在に及んだ。


愛弟子・斎藤佑樹氏の多方面での活躍に目尻を下げる栗山氏(写真:矢口亨)

「テレビを見ていて、斎藤佑樹がユニクロのCMに出てるのが、めっちゃうれしいんですよ。佑樹らしいじゃないですか。透明感があって、彼の人の良さが出ていて。

苦労させたな、俺も無茶苦茶言ったな。でも、今の佑樹の姿を見ていると、苦労してきた事もきっと意味があったんだろうなっていう表情に見えるので、そのときにちょっとだけうれしい。そんな感じです。

人間、苦しんでるときは苦しい表情になるから彼の人柄の良さが見えづらくなるじゃないですか。でも今は僕も彼の良さが出ているのを感じているし、あのCMはいいですね」

愛弟子の多方面での活躍に目尻を下げる一方で、短期決戦のWBCで勝ち切るためには新たなリーダーシップスタイルを探求する必要性を感じたという。

その過程において頭をよぎったのは、京セラ創始者の稲盛和夫氏から学んだ「小善は大悪に似たり。大善は非情に似たり」と言う教訓だ。人間関係における良心的で思いやりや愛情のある接し方の重要性を示す一方で、盲目的な愛情ではなく、時には厳しく接することの必要性を強調している。

選手たちへのフォロー

イタリアとの準々決勝を前に村上宗隆選手の打順を4番から5番に下げたときの決断や、チームに戻ればクリーンナップを担う選手たちを控えに回すときの心のフォローを栗山氏はどのように行っていたのだろうか。


「自分の決断に対して選手たちが『この野郎』と思ってもいいんです。これも『勝負だからしょうがないよね』っていうところには、選手の気持ちが行ってくれるかなと思った」(写真:矢口亨)

「『イヤな思いさせて悪かったな。これはチームが勝つためなんで』ということは、全体には伝えました。ただ、超一流選手なだけに、それをあまりフォローするのは違うと思ったんです。最後は超一流選手同士の競争であり、チームが勝つためにやっているという前提があるので、超一流選手ならそれを理解してくれる。


自分の決断に対して選手たちが『この野郎』と思ってもいいんです。これも『勝負だからしょうがないよね』っていうところには、選手の気持ちが行ってくれるかなと思った。

ただし、コミュニケーションはすごく取っていました。『悪いな、行くぞ。今日はチャンスあるからね』。でもあまり『試合出れないでごめんな』みたいなのをやりすぎると、逆にプライドを壊してしまうと思ったんで、やりすぎないように注意していました」

著書の中で触れられていたWBCの舞台裏での選手たちへの配慮とあえての非配慮。そのバランスが絶妙に織りなされることで、一流のプレーヤーたちは自己の持つ力を最大限に発揮し、チーム全体としての力を引き上げることができた。

ビジネスの世界でも、一流のプロフェッショナルを集めたチームのマネジメントには、適度な競争とコミュニケーションが求められる。

一流の選手たちを巧みに取りまとめながらチームを世界一に導いた栗山氏の采配には、指揮官としての確固たる信念と洞察力が垣間見えた。その礎として必要不可欠なのは、日本ハムの指揮官を10年間務め上げた際に培った徹底的に相手を思いやるというギバーの精神にほかならないだろう。

(後編:『栗山氏「二刀流正しかったか"わからない"」の本音』)

(矢口 亨 : フォトグラファー/ライター)