自身も家族の問題に長年苦しんだ。だからこそ本当に大切なことがわかる(撮影:今井康一)

親との関係で苦しんでいる人が、驚くほど増えている――『親といるとなぜか苦しい』(リンジー・C・ギブソン著)の冒頭で、監訳者で精神科医の岡田尊司氏はいう。

飾らない実直な言葉や鋭いコメントで医師としてだけでなく、コメンテーターとしてメディアでも活躍を続けるおおたわ史絵氏もまた、母娘の問題に長年苦しんだ1人だ。おおたわ氏に、苦しんだからこそわかる親子関係において大切なことについて語ってもらった。

親のそばにいることは美徳ではない

「いつも気分次第で怒って、睡眠薬を飲んでは眠り続ける。滅多に心底笑うことはなく、褒め言葉も口にしない」

拙著『母を捨てるということ』で、亡くなった母のことをこんなふうに描写しています。詳しくはその本に書いてありますが、私は母との関係を軸に自分の人生を整理しながら生きてきました。

中学生の頃、神様にたったひとつだけ望みをかなえてもらえるとしたらという問いかけに、「心から安心できる場所がひとつ欲しい」と迷いなく答えていました。当時は、よっぽど苦しかったんでしょうね。今なら、書籍『親といるとなぜか苦しい』に書かれているところの「精神的に未熟な親」の姿を見るのがいやだったのだとわかります。自己肯定感も低い子どもでした。


『親といるとなぜか苦しい』には、精神的に未熟な親の対処法として「堂々と距離を置いていい」とありますが私の場合、両親が生きている間は難しかった。自責の念に駆られるから、距離を置くことに葛藤が生じるんですよね。親との関係がいびつだと気づいた時点でもっと早く距離を置くことができていればと思いますが、昔に戻っても同じことをするでしょう。親のそばにいることが美徳だと思っていたから。でもそばにいて、親を変えようと思うと自分の苦しい時間が長く続くだけです。人を変えることはできませんから。

離れたときに気づいたのですが、そばにいる間はずっとねばっこい蜘蛛の糸にからめ取られているような感覚でした。親が亡くなり、この糸がなくなって軽くなったんですよ。今は余生のような気持ちで、普通に生きていけることが幸せ。ご飯をおいしくいただけて、眠いと思ったら寝て、朝明るくなると目が覚める。夫がいて、犬がいて、天気がいいなと空を見上げる1日1日が幸せ。「それ以外に何かいる?」という感覚です。

開業医だった父親が亡くなった後、病院を引き継いでいました。40代後半、「残りの人生で何ができるか」と考えていたところ、声をかけていただいた法務省矯正局の医師「プリズン・ドクター」になりました。簡単にいうと刑務所のお医者さんです。総合内科専門医としてこの職場を選んだことにも、母親との関係や生きてきた背景が影響しています。

受刑者の多くに覚醒剤や麻薬が関連しているというのは想像にかたくないと思います。母親は私が中学生の頃から処方薬の注射の依存症でした。依存症家族として闘ったからこそ見える視点で、いろいろな事情があって薬物に依存した人の存在を理解できると考え、プリズン・ドクターになりました。

「依存するのは意志が弱いから、だらしないから、自業自得、危ないものに手を出した自分が悪い……」

こういったよくある誤解や偏見が根本にある医師ではできない。私のような背景を持つ医師がやるべき仕事だと思ったのです。

子どもは気づけない成育環境のいびつさ

親とのいびつな関係は、子どもの頃から始まっているのでしょう。ただ、生まれたときから自分と親との関係しか知らなければ、それをおかしいとは思いません。

実際、母が処方薬の注射の依存症でも、医師として働き始めるまでおかしいとは気づけませんでした。友人の家では母親が料理を作り毎朝、「いってらっしゃい」と言って学校へ送り出してくれるらしいというのも、知らなければ自分の家がそうじゃないのはどうしてだろうなんて思わない。自分の家はおかしいと気づいてしまった時点で、逃げ出したくなる、もがきたくなる人生が始まるから、子どものうちに気づくことが必ずしも良いことかどうか……私にはわかりません。

両親そろっていて教育にかけるお金が潤沢にある家庭であれば、親と子の関係が必ずいいのか。父親が融通が利かず、「こうでなければならない」「これ以外は許さない」「この学校に行かなければならない」「我が家の決まりからちょっとのズレも許さない」。加えて母親もそのような父親に言い返すことができない。

優秀な子どもは父親の意見に従って留学を強要され、それがものすごくいやで問題を起こすしかないと思いつめ、事件を起こしてしまう。あるいは、子どもは人と一緒にいるのが苦手で高校には行きたくない。親がもらってきた願書を燃やしてしまおうと考え、火事を引き起こし不幸にも母親と妹を死なせてしまう……。外から見れば一見、普通の家庭環境のようですが内情はどこかいびつというところで悲惨な事件は起きているように思います。

誰しもが自分の価値観で子育てをしますが、自分たちが少しゆがんでいるかもしれないとは思いませんよね。子育てや人間のあり方に正解はないのだと思います。ただ、親子の関係がゆがんでいることに気づかないままでいると、誰かにとっての愛が、大きな罪につながってしまうこともある。絵に描いたような普通の家族といったものは幻想かもしれませんね。

親子関係は悩むものだという前提でいたほうがいいのかもしれません。どの家庭にも大なり小なり悩みはあり、どのような親だって正解がわからず、正解があるのかどうかも不確かななか、もがきながら親をやっているのだと感じます。「親ガチャ」という言葉がありますが、親ガチャ失敗と嘆くより自分自身が大人になったとき、または親になったとき、毎朝「幸せだな」と思えるようになることが大切だと思います。

ゆがんだ親子問題に負けない「学び」

そのための軌道修正には、何より「学び」が必要です。どのような分野でもいいから一生懸命学び知識と教養を身につけることが、ゆがんだ家庭環境から抜け出す唯一の方法だと考えます。

夜、繁華街や娯楽施設を歩き回って知り合った人より、学びの場で知り合った人や学びで得た知識のほうが救ってくれる確率は高いと思うんです。私自身、ベランダで毎日泣き暮らしていた日々のなかでも見聞を広げ学び続けたからこそ、医師としての仕事以外の幅を広げることができ、世界が広がったことで視野が広がり救われたと実感しています。

泣いて苦しんでも生きていくことはできるけれど、何もしなければどこにも出られないんですよね。何歳になっても「変わりたい」「学びたい」と思うのに遅すぎることはありません。母が亡くなった後で依存症の治療についての深い知識や学びを得ました。

生きている間にもっと知識があったらと後悔する自分もいますが、今、プリズン・ドクターとして犯罪者や依存者の治療に専念する日々はその後悔を和らげ、救いとなっています。気づいたときが、あなたが変わるタイミングが来たということだと思うのです。

(構成:中原美絵子)

(おおたわ 史絵 : 総合内科専門医・法務省矯正局医師)