「一夜漬けの知識」が記憶に残らない科学的理由
テスト勉強の一夜漬けが、その場しのぎでしかない科学的な根拠が明らかに(写真:小日向 みう/PIXTA)
あんなに集中して覚えたのに、試験が終わったら忘れてしまうのはなぜなのか。元オックスフォード大学シニア研究員の下村健寿氏の最新刊『頭のいい人が問題解決をする前に考えていること』より記憶の仕組みについて、一部引用・再編集してお伝えします。
正確すぎる記憶は「邪魔」
人間の記憶は、じつはかなりあいまいにつくられています。
たとえば今朝、朝ごはんを食べたときのことを思い出してください。
何を食べたかは、思い出せると思います。
では、ごはんを食べながら朝のニュース番組を見ていたとしたら、アナウンサーが着ていた洋服がどんなものだったかを正確に思い出せるでしょうか?
思い出せないはずです。
つまり、人間の記憶とは、大ざっぱに記録されるようにできているのです。
むしろ、正確すぎる記憶は邪魔なのです。
記憶力があまりにも良すぎると、人間は日常生活を送ることもままならなくなってしまいます。
「超記憶(Hyperthymesia)」と呼ばれる能力を持つ人たちが報告されています。
この能力を持つ人たちは、体験したことすべてを細かく記憶し、数十年たっても記憶があせることなく、まるで昨日のことのように思い出すことができます。
しかし、この能力を持つ人たちは、正確過ぎる記憶に悩まされています。昨日の記憶と10年前の記憶が同じように鮮明なため、区別することができなくなってしまうのです。
この能力を持っている人は、自分の記憶力について「疲弊するし、重荷でしかない」と語っています。
つまり、実際に効率的に脳を使うためには、「正確に物事を暗記するため」に使うことは間違っているのです。
脳を記憶のためだけに使う無意味さについては、あなたも体験したことがあるのではないでしょうか。
試験の前日に一夜漬けで暗記した内容は、試験の翌日には忘れてしまいます。いわゆる「試験前夜の一夜漬け」ですが、わずか一晩という最短期間で試験内容を正確に暗記した点からすると、時間術の究極の成功例ではあります。
しかし、脳のなかに記憶された情報をすぐに忘れ去ってしまうため、まったく役に立たない脳の使い方ともいえます。
時間術に成功しても、自分の脳を無駄遣いしてしまった典型的な例です。
情報はざっくり記憶することが大事であり、それをもとに考察することこそが、脳に本来やってもらうべき働きなのです。
情報は「電気信号」として脳に送り込まれる
では、脳は記憶すべき情報と忘れるべき情報をどうやって判断しているのでしょうか。
それを知るためには、新たな情報をインプットしたときに、脳のなかで何が起きているのかを知らなければなりません。
ウィリアム・ギブソンという作家が書いた『記憶屋ジョニィ』という小説があります。
この『記憶屋ジョニィ』は、キアヌ・リーブス、北野武らが出演し、1995年に「JM」のタイトルで映画化されました。
この作品の主人公は、インプラント型の記憶装置を脳に埋め込まれています。後頭部にある接続端子を通じて、脳のなかの記憶装置に機密情報を直接アップロードして運ぶ「記憶の運び屋」という設定です。
同じ理屈は、1999年公開の映画「マトリックス」においても描かれました。
この「マトリックス」では、人間が端子を通じて巨大なコンピュータに接続され、人々はコンピュータの作り出す仮想現実の中で、日常生活を送っているという設定でした。
「JM」と「マトリックス」では、脳のなかに直接情報が送りこまれるという設定がとてもリアルです。しかも、これらの作品では、情報が接続端子を通じて人間の脳のなかにアップロードされます。
つまり情報は、「電気信号」として脳に送りこまれていることになります。
もしあなたが脳に詳しい知見をお持ちだったら、「脳をコントロールしているのは、アセチルコリンとかグルタミン酸とかいう化学物質ではないのか?」と思ったかもしれません。
脳を制御しているのは、電気なのか? 化学物質なのか?
じつは、アセチルコリンやグルタミン酸などの化学物質は、神経伝達物質とも呼ばれます。
脳は情報をあくまでも電気信号として、ひとつの神経細胞から次の神経細胞へと伝達していきます。
それぞれの神経細胞は突起を伸ばし、伸ばした突起の先で、別の神経細胞につながろうとします。
このつなぐ部分のすきまを「シナプス」と呼びます。
(画像:『頭のいい人が問題解決をする前に考えていること』より)
そして、そのわずかなすきまに、アセチルコリンやグルタミン酸といった神経伝達物質が放出され、次の神経細胞の電気活動をコントロールすることで、情報を電気信号として伝達していくのです。
こうしたシナプスを通じて神経細胞同士はお互いに連携し、細かく幾重にも複雑につながり合った回路をつくって電気信号を伝えあうことで、脳は複雑な作業をこなしています。
つまり、脳は巨大な電気回路なのです。
「勉強すると脳のシワが増える」はウソ
ところで小さいころ、「勉強すると脳のシワが増える」という話を聞いたことはありませんか?
これはウソです。
シワが増えるということは、脳の神経細胞の数が学習に伴って増えるということになりますが、それはありえません。
もし、学習したことが神経細胞そのものに貯蔵されるのだとしたら、新たなことを学習するたびに神経細胞が増えることになります。
そんなことになったら、勉強するたびに脳が大きくなっていき、脳が頭蓋骨のなかに収まりきらなくなってしまいます。
では、知識はどうやって脳のなかに蓄積されるのでしょうか?
脳が学習し、記憶する際のメカニズムについては、まだよくわからない部分も多く、いまなお世界中で熱心に研究が行われています。
しかし、その基礎的な仕組みについてはわかっています。それは神経細胞同士のつながりと、その強さにあります。
つまり、すでに存在している神経細胞同士に「新しいつながり」をつくることで、新たな情報を記憶させているのです。
神経細胞は、新しい情報がインプットされると突起を伸ばしていって、近くの神経細胞が伸ばしてきた突起と、まるで手を取り合うかのようにつながります。
この指先が触れ合っている部分が、前述の「シナプス」と呼ばれる場所です。このシナプスを介した神経細胞同士のつながりがいくつもできて、やがて回路をつくります。
この神経回路、あえて言い換えるなら「記憶回路」こそが、記憶の正体と考えられます。
インプットされた情報は、脳のなかの「海馬」という場所にまず保存されます。海馬は脳の奥深くに存在しています。つまり、それだけ重要な機能を担う部位といえます。
細かく書くと複雑になるので省略しますが、この海馬に保存された情報は、情報として重要な部分が残るように適切な処理が行われたのち、一時的に保存されます。
じつはこの状態のままだと、長くても1カ月後には海馬から記憶が消去されてしまいます。
つまり、何もしなければ1カ月後には思い出すことができなくなってしまうのです。
この海馬に情報が一時的に蓄えられたあと、「重要な情報」と判断された場合には、その情報は海馬から取り出され、脳の表面にある側頭葉と呼ばれる部分などに、長期間「記憶回路」として保存されるのです。
なにもしなければ記憶は1カ月で消える
この海馬から側頭葉などに取り込まれた情報こそが、脳のパフォーマンス向上につながります。
なぜ記憶回路が脳のパフォーマンス向上に関係するのか。
それは、この記憶回路が、問題の解決やアイデアを出すときにおいては、「知識のテンプレート」として応用が効くものになるからです。
だからこそ、「重要な情報」として残るように、海馬から側頭葉に記憶回路を作るコツを身につけなければなりません。
そうしなければ、あなたがさまざまな方法で試している時間術やインプット法で覚えた情報は、ただ海馬にとどまっているだけで、そのうち消えてしまう記憶になります。
つまり、努力してせっかくインプットした情報が、いつのまにか思い出せなくなっていたのは、海馬から先に行くことなく、脳にとって必要のない情報として、消されてしまっていたことになります。
ではどうすればいいのか。
重要な情報を記憶に定着させるコツは、もう一度同じ内容を改めてインプットすることです。1カ月前に書いたメモの内容を、何も知らない小学生に教えるつもりで改めて文章として記載してみてください。こうすると、1カ月前にインプットした情報が、さらにバージョンアップされた状態で再インプットされるのです。
せっかくインプットした情報を使える記憶として残しておくために、本稿を参考にしていただければ幸いです。
(下村 健寿 : 福島県立医大主任教授、医師)