鹿児島空港で機体の誘導をする南国交通のグランドハンドリングスタッフ(記者撮影)

7月19日、日本政府観光局(JNTO)が、6月の訪日外国人観光客が2019年同月比72%の207万3300人になったと発表した。中国からの観光客がいまだ停滞する中で単月の訪日客が200万人を超えるのは3年5カ月ぶりのこと。ただ、東京・浅草や京都の祇園などは外国人観光客であふれかえる一方、地方にまだその熱気はみられない。なぜなのか――。

ある日の鹿児島空港。午後1時48分、東京発のANA623便が定刻から13分遅れで誘導路から駐機場に向かう。マーシャラーと呼ばれる誘導員の合図で機体が6番スポットに停止すると、搭乗橋が機体に寄せられ、貨物がハイリフトローダー(コンテナを搭降載する車両)で次々に機体から降ろされていく。

「受け入れ体制が整わない」

こうした作業はグランドハンドリング(グラハン)と呼ばれ、作業一つ一つに社内資格が必要だ。グラハンスタッフはマーシャリング(航空機の誘導)から業務を覚え、もっとも高度なプッシュバック(トーイングカーで機体を押し出す作業)ができるようになるには5年程度の時間を要するという。

このグラハン業務でいま、異変が起きている。

「受け入れ体制が整わない。海外の航空会社から運航再開の要請はきているが、現状では断らざるをえない」。鹿児島空港で地上支援業務を請け負う大手バス会社、南国交通(鹿児島市)の有村和洋人事労務部長は話す。

南国交通は1970年の現・鹿児島空港開港以来、グラハン業務を請け負ってきた。カウンターで接客を行うグランドスタッフを派遣しているのも南国交通だ。

コロナ禍前、同社ではこうした地上業務に携わる社員を約400人抱え、離島路線を含むJAL(日本航空)、ANA便に加え、ピーチアビエーションやソラシドエア、FDA(フジドリームエアラインズ)など、スカイマーク便を除く1日約90便の国内線、さらに韓国や中国、台湾からの定期便、チャーター便の地上業務を請け負っていた。

ところが、2020年のコロナ禍で国内線の4割が減便、国際線に至ってはゼロになった。この急激な需要減に合わせ、南国交通は毎年30〜40人だった空港職員の採用を数人に絞り込んだ。過密ダイヤのため遅番や早番職員の残業でまかなっていた勤務シフトは、むしろ時短勤務を導入することになった。

一方、この間にも毎年60人程度の退職者は出続けていた。もともと低賃金で時間が不規則な職種。離島に飛ぶ小さな飛行機の離着陸時は重たい荷物を人力で抱えて積み込むこともある。カウンターでは乗客からのクレームにつねにさらされる。

400人いた空港スタッフは2割減

「コロナ期間中は残業代がなくなり、所得も減ったことを機に辞めていった社員も少なくない」(有村部長)という。400人いた空港スタッフは一時320人まで減った。


そこに、コロナ後の需要急回復だ。いまでは国内線全便が復活し、6月には香港エクスプレスが3年ぶりに週3便で香港便を復活させた。

「海外路線の復活は寝耳に水だった」(有村部長)という南国交通。すぐに職員を充てることができず、JALや香港の航空会社から職員が現地に派遣され、ようやく航空機を受け入れることができた(7月17日からは南国交通の単独ハンドリング)。

その後、ほかの海外エアラインからも路線再開を打診されているが、受け入れ体制はいまだ整わず実現していない。

大分空港では大分県が仲介してJALの委託先のグラハン職員を投入して韓国からの便を受け入れた。だが、鹿児島県庁の関係者は「海外エアラインの中には行政に泣きついてくるところもあるが、基本的にグラハンをどうするかは民間同士の契約の問題だ」と話す。それでも県は、グラハン業務の資格取得費用の一部を助成する制度を導入した。

南国交通では上限3000円だった資格手当を1万円に増やしたり、職員が利用できる空港リムジンバスの回数券を支給したりするなど、待遇改善に邁進している。社員寮の部屋をリニューアルし、シャワーのヘッドを高級品に取り替えるなど涙ぐましい努力も積み重ねている。

こうして2023年度は約20人の新規採用に結びついた。ただ、即戦力となる航空専門学校の卒業生はゼロ。「福岡などの専門学校で学んだ鹿児島県出身者が、鹿児島に戻ってこない」(有村部長)のだという。

グラハン従業員の平均年収は326万円

国土交通省も対応に本腰を入れる。2023年2月に有識者による「持続的な発展に向けた空港業務のあり方検討会」を立ち上げ、グラハンの人手不足への対応を検討してきた。同検討会の資料によれば、コロナ禍の中で地上職員の離職者が相次ぎ、コロナ前に比べてグラハン作業員数は1〜2割減った。航空専門学校への入学者も4割減っている。


グラハン業務には手作業も多い(記者撮影)

有識者会議は6月、「現場で働く人の使命感などに甘え、『やりがい』の搾取を続けているような現状は、一刻も早く改善していかなければならない」などとする中間とりまとめを発表した。

「グラハンのコストを抑えようと、エアラインは業務を外注化し、必然的に待遇は悪くなっていった。今後も航空業界の人気から労働力の供給は見込まれるが、熟練スタッフの離職を止めるには待遇改善が必要。外国人労働者の受け入れも積極的に進めていくべきだ」

こう指摘するのは、桜美林大学の戸崎肇教授(交通政策が専門)だ。国交省の資料によれば、グラハン従業員の平均年収は326万円と、建設業の451万円と比べても見劣りがする。休憩所のトイレはいまだに和式、そもそも休憩スペースもなく、ターミナルのロビーのベンチで仮眠をとっているケースもあるという。

さらに構造的な問題もある。

グラハンの作業は、客室のドアの開け方から貨物の積み込み方に至るまで、作業手順や方法が細かく定められており、機種ごとはもちろんJAL、ANAでそれぞれのやり方がある。作業車両のボタンやレバーの位置も、それぞれの系列で異なっている。このため、前出の南国交通のグラハン職員は「JAL運送課」「ANA運送課」に分かれ、それぞれの系列の社内資格を取る必要がある。

離島路線は天候によってダイヤが乱れがちだが、時間に比較的余裕があるANA便担当者がJAL便の応援に入ることはできない。


JAL系もANA系も南国交通がハンドリングを担う(記者撮影)

この問題は国の有識者会議でも問題視され、「系列ごとに異なる資格者車両仕様等の見直し・業界ルールの整備(特に地方)」といった提言も検討会の中間とりまとめに盛りこまれた。

待遇改善に国が責任を持つべき

福岡空港では同じスポット(駐機場)でJAL機とANA機が到着するたびに、それぞれの系列の作業車が遠く離れた駐車場からやってきていた。2021年7月からJAL・ANAで車両を共有化して、スポット周辺で待機する実験を行ったところ、国内線で最大18%、国際線で70%の走行距離を削減できたという。

「JALとANAはライバルとしてサービス水準や安全性向上を競ってきたが、福岡空港で共用化をやってみたら効果も出た。資格の統一や車両の共用化は積極的に進めてほしい」と国交省の担当者は話す。

航空業界はグラハンに特化した業界団体を今年8月に立ち上げて、資格や車両の共通化を含め議論を深めていく方針だ。

さらに、前出の戸崎教授は「日本が観光立国をうたい続けるのであれば、委託料の流れを透明化したうえで、グラハンスタッフの待遇改善などに国が責任を持つべきだ」とも指摘する。

6月に政府がまとめた「経済財政運営と改革の基本方針2023」、いわゆる「骨太の方針」には、訪日外国人拡大に向けた航空需要回復の推進とともに、「空港におけるグランドハンドリング・保安検査体制の強化等を含めた航空・空港関連企業の経営基盤強化」が盛りこまれた。

グラハンスタッフの待遇改善は、もはや国策になっている。グラハン事業は羽田でも6割、地方空港ではすべてをエアライン系以外の地元企業が請け負っているケースが多い。グラハンを含む空港関連企業の強化は、直接地元企業にメリットがあるだけでなく、地方のインバウンド拡大の基盤にもなる。そのためには、グラハン委託料の値上げも喫緊の課題となるだろう。

業界、行政の意識改革が求められる

「これまで地方の首長は、海外のエアラインに頭を下げ、就航をお願いし、グラハン会社が人的にも金銭的にも無理をして受け入れてくれていた。いまの人手不足はそれに目をつぶってきた結果だ。委託料を引き上げることで、職員の給料も上げて、設備投資もできるようになる。外航の就航には費用もかかるが、毅然とやっていくべきだ」(国交省関係者)

「2030年訪日外国人客6000万人」を目標に掲げるなど、「数」を求めてきたのは国自身にほかならない。真の観光立国に向け、航空業界、行政を含めたすべての関係者の意識改革が求められる。

(森 創一郎 : 東洋経済 記者)