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東京地裁で3月15日、元信者が統一教会を相手取った一つの訴訟が終わった。和解金額は、請求とほぼ同額の約9000万円。2018年の提訴後、2度の交渉中、統一教会の提示金額は、なぜか倍増した。

「奇跡だと思いました」。2人の息子と夫のため、8年間でつぎこんだ老後資金などが戻ってくることに、原告のA子さん(70代)は安堵の声を漏らした。

訴訟が人知れず進む中で、2022年夏に起きた安倍元首相銃撃事件。満額回答を得られた理由とは。代理人の郷路征記弁護士が感じ取った、事件前後の「統一教会の変化」を探る。(ジャーナリスト・本田信一郎)

●判決ではなく和解を選んだ

2020年に原告側から訴訟外和解の打診をすると、9000万円超の請求に対し約2900万円という低額回答で不調に終わった。2022年に裁判所から和解の打診があったが、和解交渉自体を断った。

しかし、銃撃事件とその後の慌ただしい動きの最中、裁判所から2度目の打診があった。原告側が応じたところ、統一教会側からの提示額に郷路弁護士は目を疑った。

「前回の倍以上の約7000万円になっていました。裁判の中には、そうする根拠はないのにです。(解散命令請求を見据えた)文化庁による質問権の行使などもあって、早く解決したいという思いを感じました」

判決は欲しかったものの、もしも解散命令請求が出されれば、また時間がかかる。判決による予想額を超えたと考えて、統一教会が約9000万円の支払いを認めたところで和解に応じた。

郷路弁護士は、協会の微妙な変化について、こう印象を語る。

「統一教会が、解散命令請求を想定して焦っているようにまでは感じませんでした。むしろ『注目されているので粛々と対応しながらも、解散命令を出させないために高額でも、今、和解に応じるとの対応をしているのではないでしょうか」と補足した。

●家庭崩壊の一歩手前で助かった

2007年に東京・渋谷で声を掛けられて入信してから16年、自分自身を取り戻し、夫と北海道で暮らすA子さんは和解成立後の今年4月、40代の次男と共に郷路法律事務所を訪れた。

「あのままだったら、借金を重ねて家庭崩壊していたのは間違いないと思います。ただ、今も、やったことの重さを考えるとおかしくなりそうになりますから、それを振り払うように毎日を頑張っています」

その母の横で次男は「良かったです。私も家庭崩壊していれば、もしかしたら山上被告のようなことを考えたかもしれないですから…」と言った。

家族を守ろうとする懸命さに付け込まれるようにして家族を犠牲にしたA子さんは、その家族に救われた。

●コンプラ宣言を知らされずに献金を重ねた

そのきっかけとなった2009年の出来事を次男が語る。「家の玄関に変な『壺』が置かれていたんです。何でも飾ることをしない母なので『おかしいな』と思いました」。

A子さんは「物品は押し入れに隠していましたが、『壺』には悪霊を吸い込む力があるといわれたので置いてしまいました」というから、家族を思う必死さの現れだった。

統一教会の関連団体が特定商取引法違反罪で立件され、「コンプライアンス宣言」を出した年だ。しかし、家族はそんなことを知るよしもなかった。当初は、合同結婚式のイメージしかなく「多額の献金をしていなくて、人様にも迷惑をかけないならいいか」と深くは考えなかったという。

信者の経済状態に比して過度な献金とならないよう十分に配慮するとされた宣言は、信者であるA子さんも知らなかったというから組織内で徹底されていたのではない。

そのため、献金や物品購入を繰り返した額は、コンプライアンス宣言から脱会までの6年間で3600万円、最初に印鑑を購入させられてからの総額は約8000万円に上った。

「お金よりも命が大事、お金じゃない」「地上天国実現のため、今献金しないと後孫が大変になる」との説得を受け、A子さんは不安や使命感をあおられ続けた。

●発覚のきっかけは、玄関の壺と文鮮明の写真

事態が大きく動いたのは2015年5月。関東近郊で建築関係の会社を営んでいるA子さんの夫は、経営を長男に任せて単身で北海道に移住していた。A子さんが北海道の夫宅に行った際、持参していた文鮮明夫妻の写真を置き忘れたことで、夫にも深く入信していることが発覚した。

夫は息子たちと相談し、会社の金庫に常に保管している3000万円があるかどうかを確認することにした。長男が開けると、100万円ほどしかなかった。母子は並んでがらんとした金庫を見つめ、もう何も言葉を交わせなかった。

「すぐに北海道へ帰って来い。そうしなければ離婚だ」と夫に迫られ、A子さんは、それまでの献金リストや統一手帳などの関係資料を全て渡した。夫と長男の預貯金、夫の生命保険解約金、会社の経理操作での捻出分はすべて消えていたが、なんとか家庭崩壊の端緒となるような借金や資産売却までには至っていなかった。

「家族に知られて、なんだか静かな感じでした」とA子さんは振り返る。偽りの使命感に追い立てられるようにしていた日々からの解放と同時に、しばらくは「私は統一教会に見捨てられたのだろうか」と不安を抱いていたという。

所属していた協会に相談したところ、北海道に帰るよう言われた。中央の指示を受けた婦人部長から「献金や物品購入は全て自発的なもの」という主旨の手紙を書くよう指示されたが、「何かあったらいつでも北海道に行くから」と告げられて以降、何の連絡もなかった。

統一教会としては、説得のために北海道へ行くのが面倒だし、経費的に無理があっただけのことだろう。図らずも物理的な距離の遠さが隔離状態を作ったのであり、確かに統一教会は「もう獲るものは獲った」とばかりにA子さんを「見捨てた」ことになる。

●家族の理解と努力があって提訴へ

虚脱状態ながらもまだ信仰心を保つ母親に代わって動いたのが、2人の息子だった。

献金リストを手に、教区長と婦人部長に献金等の返金を求めたが、「自らの意思による献金なのでお返しできません」と言われた。本やネットで情報収集した。次男が「青春を返せ訴訟」を知り、郷路弁護士に連絡を取った。

郷路氏は「まず本人が自分を取り戻し、その気になることが大切だとお伝えしました。心を取り戻せば、お金は取り戻せるからです」と当時を振り返る。

4人の家族は、被害回復を求めて裁判をするために話し合いを続けた。夫は「先祖のためだと信じさせられてやったことだから許す。お前も被害者だ」とA子さんに伝えた。A子さんはこの一言で気持ちが救われ、意思が固まった。それでも、統一原理から解放され、入信前の自分に戻るまで、4年くらいかかったという。

2018年5月、東京地裁に提訴。請求金額は弁護士費用と慰謝料を含む9743万2416円。この慰謝料は精神的苦痛(「死ぬ気」での献金をさせられていた、家族関係の苦しみ、ほぼ全金融資産であることを勘案しての金額)として750万円とした。

●集団交渉の行方、かつての仲間への思い

なぜ、家族は闘い抜けたのか。

生来が真面目なA子さん自身の「必死さ」が一つの助けとなった。まず家族のことを思うばかりに、隠すはずの壺を飾ってしまったこと、そして、献金に関する証拠となるメモを残していたことだ。

統一手帳に献金額や購入物品ばかりか、日々の思いの短い走り書き(「夫の命、息子たちの命!」「命がけでやる!」等々)を記していた。

いくつかの幸運もあった。統一教会への手紙をいわれるがまま書いたものの、「請求権を放棄する」という一文がなかったことだ。郷路弁護士は「念押ししなかったのは協会の失策でしょう」と評価する。

A子さんは「今思うと、不信は罪という呪縛、神世界やサタン世界などの考え方に縛られた恐怖心、霊界や地獄を実感させられた恐怖心、そして、家族にばれることの恐怖心がありました。それから私は抜け出すことができました。家庭崩壊した山上家は、他人ごとではないのです」と言った。

今、計70人の元信者らが約19億2600万円の返金を求めた集団交渉に臨んでいる。返金はもとより、A子さんのケースは、何がその人を救うのかをあらためて考えさせられる。

【取材協力弁護士】
郷路 征記(ごうろ・まさき)弁護士
1943年札幌市生まれ。1965年東北大学経済学部卒業。1971年弁護士登録。 北海道合同法律事務所を経て、郷路法律事務所。1980年代より旧統一協会問 題にかかわり、「全国霊感商法対策弁護士連絡会」代表世話人を務める。近著 は「統一協会の何が問題か―人を隷属させる伝道手法の実態―」(花伝社)。
事務所名:郷路法律事務所
事務所URL:http://www.glo.gr.jp/