公式戦で116連勝中、来年のパリ五輪出場を目指すレスリング女子53キロ級の藤波朱理【写真:積紫乃】

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連載「10代逸材のトリセツ」、藤波朱理(レスリング)前編

 日本スポーツ界の将来を背負う逸材は幼少期からどんな環境や指導を受けて育ち、アスリートとしての成長曲線を描いてきたのか――。10代で国内トップレベルの実力を持ち、五輪など世界最高峰の舞台を見据える若き才能に迫ったインタビュー連載。今回はレスリング女子で116連勝中と、破竹の勢いを見せる19歳の藤波朱理(日本体育大)だ。来年のパリ五輪出場への期待も高まる、その強さの原点はどこにあるのか。前編ではレスリング一家に生まれた幼少期からの歩みを、本人の言葉で辿った。(取材・文=松原 孝臣)

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 その数字は「圧倒的」というほかない。

 2023年3月、ブルガリアで行われたレスリングの国際大会で優勝。2017年に始まった連勝は、実に「116」となった。

 116連勝という壮大とも言える記録を打ち立て、今なお継続しているのが、レスリング女子53キロ級で活躍する藤波朱理である。日本体育大学の1年生である藤波は、昨年11月に19歳の誕生日を迎えた。

 連勝記録の間には、世界選手権をはじめとする国際大会があり、全日本選手権など国内最高レベルの大会も含まれている。そこからも連勝記録の重みが、なおさら伝わってくる。

「レスリングのこれからを背負う逸材」

 そうした言葉が冠せられることも増えている。残してきた実績からすれば、それらは大袈裟とは言えない。

 その中心にいる藤波本人は、でも、淡々と受け止めている。

「自分はそんなに連勝を意識していなくて、周りの人が言っているものだと思っています。だから何も記録のことは考えていないというか。結果はもう過去のことでしかないので」

 淡々と、そう語る。

 レスリングを始めたのは4歳の頃。ただ、「いつの間にか始めていたそうです」と答えるように、藤波本人にはその頃の記憶はない。

「その後も、小さな頃のことはあまり覚えていないですね。いつからレスリングをずっと続けようと思ったのか、そういったことも含めて」

 いわば自然な流れであったのも、そもそもレスリングの世界に足を踏み入れたのも、おそらくは「環境」に要因があった。父の俊一は国体優勝など国内有数の活躍をした元レスリング選手であり、兄の勇飛は2017年の世界選手権で銅メダルを獲得するなどの実績を残している。その兄とともに、引退後は指導者となっていた父に教わりながらレスリングに励んだ。

中学に上がり優勝できないことが大きな転機に

 レスリングを続けているうちに徐々に頭角を現し、年代ごとの全国大会に出場する。それらの大会で上位の成績を収めるようになっていった。

 ただ、今日の姿からすれば、圧倒的というわけではなかった。中学生になってからは準優勝や3位といった成績で終える大会が続いた。大会では学年が上の選手とも戦うことがある。シニアになってからよりも1年の差は大きいから、年長の選手と当たれば負けることがあるのはやむを得なかったかもしれない。ただ、本人はそう思っていなかったこと、優勝しきれないことが、大きな転機となったことを次の言葉が示唆する。

「当時、勝てなかった相手がいて、どうしても勝ちたい、どうしても勝とうと練習に取り組んでいました。その選手に勝てた時、自信を持つことができてここまで来たような気がします」

 藤波は「自分がどういう人間であるのかを自分で説明するのは難しいんですけど」と言ったあと、こう続けた。

「あまり顔には出ないんですけれど、人には負けず嫌いと言われます」

 アスリートは誰しも負けず嫌いであると言われる。ただ、毎日の練習でもそれを貫ける、つまり負けたくないから怠けることなく日々努力できるアスリートばかりではない。藤波は努力し続けられるほどに負けず嫌いだったのだろう。

 壁を破ったあと、藤波はあらゆる大会で優勝を続ける。

 それとともに視野に入る世界は広がっていった。五輪の位置づけもその1つだ。

「これもいつからとか、何かあって、というのは記憶にないんですけれど、いつしか自然に、オリンピックへの憧れは持っていました」

 五輪の中でも藤波が強く記憶している大会がある。中学1年生だった2016年に行われたリオデジャネイロ五輪だ。

「登坂絵莉さんの逆転での金メダルだったり、伊調馨さんの逆転金メダルだったり。よく覚えています」

2021年の世界選手権で優勝「オリンピックが射程圏内に入った気がした」

 その翌年から連勝がスタートした藤波が、五輪を現実的な目標として捉えることができるようになったのは2021年、高校3年生の時だった。

 東京五輪後に行われた世界選手権に初めて出場し、優勝を飾った。

「世界選手権代表になることができて、そして世界選手権では優勝して、オリンピックが射程圏内に入った気がしました。それまでは、まだまだ難しいことだと思っていました」

 世界選手権という舞台で頂点に立ったあとに五輪が具体的に見えたというのは、堅実な性格を思わせる。

 今や紛れもなく世界のトップに位置するまでになった藤波だが、そのレスリング人生において大きな存在を占めるのはレスリングの手ほどきをし、今日も指導にあたる父をおいてほかにいない。

 最も藤波をよく知ると言っていい父はその成長をどう見てきたのか。どのように導いてきたのか。

(中編へ続く)

■藤波 朱理(ふじなみ・あかり)

 2003年11月11日生まれ。三重県出身。父と兄の影響を受けて4歳からレスリングを始める。中学3年生だった18年に世界カデット選手権で優勝。19年に父が監督を務めるいなべ総合学園高に進学すると、全国高校総体(インターハイ)53キロ級で1年生チャンピオンに輝く。20年には全日本選手権に17歳で出場し初優勝、21年も勝ち続け、世界選手権に初出場で優勝した。昨年4月に日本体育大に進学。17年から始まった公式戦の連勝記録を「116」に伸ばしている。兄・勇飛は17年世界選手権フリースタイル74キロ級銅メダリスト。

(松原 孝臣 / Takaomi Matsubara)

1967年生まれ。早稲田大学を卒業後、出版社勤務を経てフリーライターに。その後スポーツ総合誌「Number」の編集に10年携わり、再びフリーとなってノンフィクションなど幅広い分野で執筆している。スポーツでは主に五輪競技を中心に追い、夏季は2004年アテネ大会以降、冬季は2002年ソルトレークシティ大会から現地で取材。著書に『高齢者は社会資源だ』(ハリウコミュニケーションズ)、『フライングガールズ―高梨沙羅と女子ジャンプの挑戦―』(文藝春秋)、『メダリストに学ぶ前人未到の結果を出す力』(クロスメディア・パブリッシング)などがある。