コロナ禍に「ラーメン沼」にはまった男性がいる。毎日ラーメンを食べ続けた結果、体重は65キロから85キロに増え、200万円あった貯金もゼロになった。それでもラーメンを食べ続けているという。ライターで編集者の沢木文さんが書いた『沼にはまる人々』(ポプラ新書)より紹介しよう――。(第1回)

※本稿は、沢木文『沼にはまる人々』(ポプラ新書)の一部を再編集したものです。

写真=iStock.com/zepp1969
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/zepp1969

■1日3食ラーメンを食べ続ける生活

都内の鉄道関連会社に勤務する晋太郎さん(仮名・40歳)は、コロナ禍中にラーメンにはまった。

「会食が禁止になり、外食といえば多くの人が黙食で感染リスクが少ないラーメンだけになっていたんです。ラーメンを毎日食べると、食べずにはいられなくなる。今は1日3食ラーメンを食べていて、身長170センチ、65キロだった体重は、この2年で85キロまで増えました」

その食べ方はすさまじい。朝からラーメンを提供している店に行き、朝食。昼は勤務先の近所にある“二郎系”と呼ばれる店にローテーションで行く。客先や現場に行くときは、その付近のラーメン店をチェックして食べる。ラーメンを食べた後は、アイスクリームなど甘さのアタックが強いものを欲してしまうので食べる。さらにおやつを食べて、夜もラーメン店に行く。

「夜はビールとギョーザなどのつまみを頼みつつ、スマホで『孤独のグルメ』などのグルメ系のドラマを観て、頃合いになったらラーメンを頼む。それだけでは足りないので、ご飯ものもつけます。チャーハンやじゃこ飯、ネギトロ丼などが好きです。カレーがある店もあるけれど、スープの香りを消してしまう気がして頼みません」

話を聞いていると、1日の摂取カロリーは3000kcalを超える。

「ウチの体重計は基礎代謝カロリーも出してくれるんですが、それは1400kcal程度。太るのも当たり前ですね」

当然、健康診断の結果も悪い。血糖値は高く、肝臓の数値も悪い。問題なのは塩分の過剰摂取による高血圧だ。上は160mmHg、下は100mmHgとかなり危険な領域をマークしている。

「ラーメンにはまる前までは、ほとんどAとBだった診断結果が、DとEだらけになりました。特に高血圧がひどく、お医者さんからも『これはやばいね』と言われるほどです。でも漫画家の赤塚不二夫先生のように、診断結果が悪くても好きに飲み食いして、長生きした人もいる。我慢のストレスを考えたら、食べたほうがいいと自己判断しました」

なぜ、そこまでラーメンにはまったのか。

■妻の浮気がきっかけで離婚し上京

「私は京都府出身なんです。京都はそのイメージとは異なり、個性的なラーメン屋が多く、地元の人はみんなラーメン好き。私もその1人です」東京に進出している店も多く、一例を挙げると、「京都ブラック」と呼ばれる醤油のスープで知られる『新福菜館』や『本家第一旭』、背脂系スープが特徴的な『中華そば ますたに』、全国チェーンの『天下一品総本店』など。「他にも行列店は多く、『博多長浜らーめん みよし』、ネギの入れ放題で知られる『ラーメン横綱』など、クセとアクが強いラーメンが多いんです。

私は2018年に東京に出てきましたが、それまでずっと京都にいた。それまでは週に1回程度、ラーメンを食べる普通の人でしたけど」

第一旭本店の特製ラーメン(写真=小倉商事/CC-BY-SA-4.0/Wikimedia Commons)

晋太郎さんが卒業したのは、京都にある名門私立大学だ。父親も兄もその大学を出ており、親戚も家族もみんな関西地方に住んでいる。

「東京に出てきたのは、離婚したからです。結婚は30歳のときに親のすすめでしました。大学を出てからずっとビルメンテナンスの会社で営業として勤務していて、ちょうど仕事が忙しかったんです。同い年の妻は早く子供が欲しかったのですが、私は仕事漬けで子づくりができなかった。そこで妻が浮気をした。私がショックを受けていると、6年間の結婚生活で数えるほどしかセックスをしないことに対して、罵られた」

人としての尊厳を叩き割るような妻の発言に、晋太郎さんの心は折れた。

■東京で食べられるラーメンは2万種類を超える

「仕事もうまくいかなくなり、リセットするなら最後のチャンスだと思いました。それなりに実績もあったので、転職活動をすると今の会社に採用されたんです。施設の管理やマネジメントができる人材は少ないので勝算はあったのですが、あっさりと決まりました」

離婚もして心機一転、単身東京へ。

離婚したらすごく楽しかったんです。6年間、貯金をさせられており、その半分は元妻に奪われました。購入したマンションも奪われた。ウチの実家が頭金を出したんですよ。元妻はタカりだったと思います。身ぐるみはがされましたが、それでも貯金は200万円ほどあり、自由に使えるお金も増えた。好きなことをしようと思ったときに、思いついたのがラーメンだったんです」

ラーメンの激戦区である東京は、新しい味、美しいビジュアルのラーメンが続々と登場している。東京都にあるラーメン店の軒数は2696軒(2020年タウンページ調べ)。1店舗当たり、10種類の味のバリエーションがあると仮定して、東京で食べられるラーメンは2万種類超。1日に3食食べたとしても24年以上かかる。

「そうなんですよ。上京していて感動したのは、テレビで流れる東京のラーメンがすぐに食べられること。数時間待ちと聞き、ダメ元で行ってみると意外と入れる。メディアが言っていることはウソばかりだと思いました」

■「知識とデータを得ることに血道を上げていました」

晋太郎さんは、まず世界的グルメガイド『ミシュラン』に掲載されたラーメン店を制覇した。東京には2022年現時点で、21のミシュラン掲載店がある。8年連続掲載の『ラーメン屋 トイ・ボックス』(荒川区東日暮里)、そして、7年連続掲載の『らぁめん小池』(世田谷区上北沢)、『麺尊 RAGE』(杉並区松庵)、6年連続掲載の『創作麺工房 鳴龍』(豊島区南大塚)、5年連続掲載の『Ramen にじゅうぶんのいち』(荒川区東尾久)、『Homemade Ramen 麦苗』(品川区南大井)、『SOBAHOUSE 金色不如帰』(新宿区新宿)などがある。

「初めて行ったのは、『ラーメン屋 トイ・ボックス』。『ああ、これが東京のラーメンなんだ。なんて芸術的なんだろう』と感動しました。そして、『もっと東京のラーメンを知りたい!』とミシュランガイドの掲載店を軸足に、あらゆる店に通いました。私のルールは有名店の全メニューを制覇することです」

SNSを通じて仲間もできた。互いに情報を交換する程度のゆるいつき合いだ。ラーメンの奧は深い。一時期は塩分濃度計を持って店を回ったこともあった。

「おいしいかどうか、好きかそうではないかではなく、知識とデータを得ることに血道を上げていました。好きな店が使っている製麺所の関連図も作っていました」

周りが当たり前のように毎日ラーメンを食べていて、地方にも食べ歩きに行く。

「私も当たり前のように食べ歩いていたら、気づけば貯金は0円になっており、それに比例するように体重は増えた。ラーメン好きには健啖家が多い。際限なく食べて飲んでを繰り返していた」

ラーメンのためだけに地方に行き、1日6杯を食べたこともある。

「さすがに今は自分の中で『ある程度は極めた』という自信があるので、前ほどは食べ歩いていません。でも経験をしたからこそ、新しいお店が出ると、写真を見て味を想像する。多くがその通りの味なのですが、稀に外れる店がある。そういうところに興味をそそられます」

晋太郎さんにとって、ラーメンは人生そのものなのかもしれない。

■「結婚に失敗したから、ラーメンと結婚したんですよ」

有名店のオーナーと顔見知りになっていたり、有名なラーメンブロガーも晋太郎さんのことを知っている。

沢木文『沼にはまる人々』(ポプラ新書)

「ラーメンはライフワークです。でもそうならざるを得ない背景はあったと思う。同年代の友人には家族がいて妻も子供もいる。僕には何もありません。両親だって僕より兄を頼りにしている。結婚に失敗したから、ラーメンと結婚したんですよ。ラーメンは孤独な人に寄り添ってくれる。だって、1人で食べても恥ずかしくないじゃないですか」

ラーメン沼にはまって、失ったものは貯金と健康。得たものはラーメンの知識と生きがい。

「健康については、見ないようにしています。たぶん、このままでは糖尿病になる。でもいいんですよ。家族がいるわけでもないし、これから彼女ができる見込みもない」「本当にラーメンと結婚したのか?」と聞くと、しばらく迷ってから、「やっぱり取り消します」という。

「あさましいと言われるかもしれませんが、これから僕を好きになってくれる人が1人くらいいるんじゃないかと思うんです」

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沢木 文(さわき・あや)
ライター/編集者
1976年東京都足立区生まれ。大学在学中よりファッション雑誌の編集に携わる。恋愛、結婚、出産などをテーマとした記事を担当。さまざまな取材対象をもとに考察を重ね、これまでの著書に『貧困女子のリアル』『不倫女子のリアル』(ともに小学館新書)、『沼にはまる人々』(ポプラ新書)がある。
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(ライター/編集者 沢木 文)