「話し上手」より「聞き上手」のほうが得するワケとは?(写真:perfecta/PIXTA)

3坪のたこ焼きの行商から、口コミだけで県外から毎年1万人を集める大繁盛店を作り、ユニークな人材育成法をこれまで延べ45万人に伝えてきた永松茂久氏。その永松氏がコミュニケーションの秘訣を明かし、2021年1番売れた会話の本『人は話し方が9割』の続編『人は聞き方が9割』より、「聞く力の習得法」について解説します。

コミュニケーションに難しいテクニックはいらない

「私はもともと口下手で、もっと人と上手に話せるようになりたいのですが、どうしたらいいでしょうか?」

最近、こうした相談をよくいただくようになりました。

たしかに流暢に話ができる人は、多くの人にとって魅力的に映るのかもしれません。

しかし、ことコミュニケーションにおいては、そうした話し方はすべてがプラスに働くとは限りません。

むしろ、流暢に話しすぎてしまうと、周りの人を気後れさせてしまったり、「この人は口がうまいな」とマイナスイメージを持たれてしまったりするおそれもあります。

もちろん人前でテンポよく話をする方法はありますが、私はあくまでコミュニケーションに絞ってお伝えしているので、言い切ります。

人と良いコミュニケーションを取るために、そうした流暢な話し方は必要ありません。

コミュニケーションの中で相手が求めているのは、難しいテクニックを使った話し方より、むしろ自分自身の居心地のよさなのです。

コミュニケーションの主導権は話す側ではない

もう1つ、多くの人が間違っている思い込みがあります。それは

「話す人が会話の主導権を握っている」

というものです。

本当の意味でコミュニケーションが上手な人は、一方的に自分の論理で人を巻き込んでいくようなことは決してしません。

それは、「どんな人も本来は話したい生き物である」という人間心理をよく理解しているからです。

つまり、本当に会話の主導権を握っているのは、話す側ではなく、話させる側である、ということをよく知っているのです。

私はふだん、あまりテレビを見るほうではありませんが、時間があれば勉強のために、必ずその人の番組を見ると決めている人がいます。

それは明石家さんまさんです。

さんまさんの司会者としての力は卓越したものがある、と思っているからです。

さんまさんは芸人ですから、当然トークも抜群です。

しかし、『躍る!さんま御殿!!』などをじっと観察していただけるとわかると思いますが、実はさんまさんはほとんど話していません。

たとえ話したとしても、次に話を振るゲストが話しやすいようにするために自分の話をするだけです。

基本的なスタンスとしては、

「ほー」

「へー」

「はー」

とわざとオーバーにリアクションをしながら、さんま棒でテーブルを叩いて笑っているだけです。

しかし、その会話のコミュニケーションのすべてを握っているのは、さんまさん自身なのです。

もちろん、さんまさんは日本でトップレベルの芸人であり、司会者ではありますが、そういった視点から見ると一般の私たちでも、コミュニケーションにおいて学べることはたくさんあります。

今度番組を見ることがある時は、ぜひ意識してみてください。

話し方より「聞き方」を磨くほうが簡単

「初対面だと緊張しちゃって、何を話せばいいのかよくわからないんです」

会話の悩みにおいて、いちばんと言っていいくらい聞くのがこの言葉です。

初対面というのは、当然相手のことをよく知りません。
ですから相手がどんな性格で、どんな会話をすればいいのか気後れしてしまう、これは世界中で見ても、特にシャイな日本人が持ってしまう象徴的な特徴と言っていいでしょう。

どんな場所でも、すれ違う人に「ハーイ」と声をかけたり、微笑んだりすることが日常的な習慣の欧米人に比べ、日本人は特に初対面を含むコミュニケーションが苦手分野に挙げられます。

「フランクにコミュニケーションを取るために、欧米のコミュニケーション術を学ぶべきだ」という理論もあります。

しかし私は、それが現実的な解決策とは思えません。国民性に合っているような気がしないのです。

さて、ではどうすればいいのでしょうか?

私が提案したい解決策、それは、

聞く力、周りの人に質問をして会話を広げる力を伸ばすことに特化する

ということです。

例えば、数人で会食をしている場所で考えてみましょう。

コミュニケーションは、野球に例えるととてもわかりやすいので、野球を使って説明します。

人が集まると、その中に1人や2人は自分の話をするのが得意な人がいるものです。

こういうタイプの人は、ポジションでいうと、まさにピッチャーです。

その人がボールを投げることによって、まずは会話が始まります。

この時、ピッチャーにいちばん必要な存在がいます。

おわかりですよね。キャッチャーです。

名キャッチャーと呼ばれる人は、ただボールを受けるだけでなく、「スパーン」とわざと音を鳴らしてボールを受ける技術に長けています。

ピッチャーのテンションを高めるために、わざと音をオーバーに鳴らすのです。

受けたボールを扇のように広げていく

そして「ナイスボール!」と声をかけながらボールを返すことによって、さらにピッチャーの気持ちを高揚させるのです。

そしてキャッチャーというのは、ピッチャーが投げたボールをファースト、セカンド、サードに投げる選択権、そしてホームベースで最終的な締めの部分を司(つかさど)る権利を持っています。

受けたボールを、その場を拠点として扇(おうぎ)のように広げていくということを考えると、野球におけるキャッチャーのポジションは、まさに会話においては聞き役であると言えます。

自分からアウトプットしていくのが苦手なら、無理してピッチャーになる必要はありません。

それより、

「飛んできたボール(話す人の言葉)に対して、いかにいい音を鳴らして受け取るか、そのボールをいかに他の塁に投げてゲーム(会話)を広げていくのか」

その技術を磨くことに集中すればいいのです。

いい発信者には、必ずと言っていいほど、いい受信者がいます。

逆を言えば、いい受信者がいるからこそ、発信者は安心して自分の話したいことを話すことができるのです。

古くから日本人には、自分の思いを一方的に発信する人は、単なるおしゃべりで底の浅い人と捉えられる文化がありました。

逆に言えば、人の話をしっかりと聞き、静かに受け止めることができる人を徳の高い人と捉える文化がありました。

「発信できる人がすごい人である」は思い込み

その特性を一概に否定し、欧米風の「自分の思いを発信できる人がすごい人である」という思い込みにしばられるのをやめて、「話をしっかりと受け止めることができる人に価値がある」という日本人本来の得意な部分を見直していきましょう。


柔道や茶道、合気道……。

日本には「道」がつく学びごとが数多くあります。

そしてこのほとんどの「道」の始まりは、まず「受け身」から始まる、という特性を持っています。

自分から発信するのではなく、まず相手の発信を受信することからすべてが始まります。
そういう面から考えても、日本人の「会話道」は聞き方から始まるのです。