小鈴木が運転する人力車は犬山城の入り口を起点に城下町を走る(写真:筆者撮影)

東京や大阪で成功するだけが人生ではない。それは芸人の世界でも同じだ。都会で売れるという目標を捨て、あえて地方での活躍を目指した「よしもと住みます芸人」たちに密着する本連載。

第2回では、愛知県犬山市で「お笑い人力車」を走らせる芸人の小鈴木(こすずき)を追った。なぜ吉本興業と犬山市は手を組み、芸人たちに人力車を曳かせることにしたのか? 執筆者はルポライターの西岡研介氏。前回の記事はこちら

2度目の緊急事態宣言が解除された2021年4月、観光客が戻ってきた犬山城(愛知県犬山市)下のメインストリートを、「お笑い人力車」が軽快に走る。

客が2人乗れば、総重量が200キロを超えるといわれる人力車を曳くのは、身長155.5センチと小柄ながら、引き締まった体を赤い法被に包んだ「愛知県住みます芸人」の「小鈴木」(38)だ。

お笑い芸人がなぜ「人力車」を?

料金は、15分のショートコースで1人=1000円と、浅草や京都で目にするそれと比べても格安だ。また乗車中、片時も飽きさせず、随所に笑いを挟んでくるしゃべりはさすが「芸人」である。

「国宝のお城のある城下町で、国の重要無形文化財に指定されているお祭り(犬山祭)が行われるのは日本でも犬山だけなんです」

地元、犬山出身だけあって、また相当、勉強もしたのだろう。犬山城や城下町の案内は、まさに立て板に水の如し、だ。

2011年に始まった吉本興業の「47都道府県 あなたの街に“住みます”プロジェクト」。同プロジェクトが、全国の自治体から注目されるきっかけとなったのが、この「犬山お笑い人力車」だった。

プロジェクト開始当初、各地から寄せられた376件の提案の中から第1弾に選ばれた犬山お笑い人力車は2011年8月にスタート。初代愛知県住みます芸人となった「サムタイムズ」(2017年に解散)が犬山市に移り住み、車夫や「お笑いお城ガイド」を務めた。

すると、スタート時は2万人台だった犬山城の入場者数が、翌月には過去10年で初めて3万人を突破。10月には4万人を超え、年間入場者数が19年ぶりに40万人を突破した12月には、中日新聞が夕刊1面で「サムタイムズ効果」と報じた。

だが、犬山城や城下町が、観光地としてブレイクする素地はあった。

犬山市観光協会によると、観光客数の目安となる犬山城の入場者数は、1992年を最後に40万人を下回り続け、2001年、2003年には20万人を切っていた。

そこで犬山市では城下町の再生を目指し、無電柱化などの再整備を進め、2003年には市と地元企業が「犬山まちづくり株式会社」を設立。空き店舗などに城下町の風情を意識した改装を行い、市内外からテナントを募った。

さらに2007年には、地元の名古屋鉄道(名鉄)との観光タイアップ「犬山キャンペーン」が始まり、この頃から徐々に客足が復活。ブレイクの陰には長年にわたる、地元自治体と企業、そして住民たちの地道な取り組みがあったのだ。

「お笑い人力車」が生まれた理由

その素地を作った一人で、犬山城を今や“インスタ映え”する観光スポットに押し上げたのが、犬山市観光協会事務局で広報を担当する後藤真司(42)だ。また、吉本に「お笑い人力車」を提案し、芸人たちの10年を見守り続けてきたのも、彼である。その後藤が語る。

「まちづくり会社の取り組みや、名鉄さんとのタイアップが観光客の復活に繋がったのは事実ですが、それまでとは違って、若いお客さんが来てくれるきっかけになったのは、間違いなく『お笑い人力車』でした。

ハード面での整備が進んで、何か“目玉”が欲しいと思っていたところに『住みます芸人』の話を聞き、これだ、と思ったんです。

というのも、以前から観光協会は1台、人力車を持っていたんですが、曳き手がいなかった。そこで、『まだ売れる前の子(芸人)が元気に曳いてくれたら、(人力車の)人気が出るんじゃないか』と思って、吉本さんに応募したところ、採用していただいた。まさにタイミングとニーズがマッチしたという感じでした。

実は人力車の車夫って、メンタル強くなくちゃできないんですよ。まずはお客さんに乗ってもらわなくちゃ始まらないし、乗車中もコミュニケーションを絶やしちゃいけない。その点、若手芸人さんってピッタリじゃないですか。元気が売りだし、しゃべれない子はいない」

そして後藤は「お笑い人力車」が成功した、もう一つの要因を挙げる。

「犬山は、歴史のある観光地なんで、新しい企画をスタートするには地元の理解と協力が不可欠なんです。サムタイムズの2人の、地元に溶け込もうとした努力もさることながら、彼らに付き添っていた『住みます社員』の兼松(辰幸)君の存在が大きかった。毎日のように名古屋から犬山に通ってきて、老舗の商店主さんたちからも気に入られていました」

吉本では2011年1月、プロジェクト開始に際し、所属タレントの中から住みます芸人を募るとともに、彼らの活動を現地でサポートする「住みます社員」を募集。全国から約5000人の応募があり、各都道府県に1人ずつ、計47人が選ばれた。兼松(33)もその一人だった。

兼松は名古屋市出身。大学在学中に、住みます社員に応募した。兼松が当時を振り返る。

「今思うと、本当に申し訳ないんですけど、僕、在学中に1年休学して、留学してたんで、その年の春には卒業できなかったんですよ。夏の卒業見込みで。けど、就職活動はしなくちゃいけなかったんで、いろんな会社受けたんですけど、リーマンショック後の就職氷河期で、おまけに僕、面接苦手で、ことごとく落ちて。

で、実家に帰って、地元の企業に勤めようと思っていたら、テレビで、住みます芸人のニュースをやってて。芸人と一緒に、住みます社員も全国から募集します、愛知でも募集しますって言ってたんです。それで、どうせ受かんないだろうな、けど、万が一、受かったら(3月に卒業できないことを)めちゃめちゃ謝ろうと思って、エントリーシート出したら、運よく拾っていただいて。

人事の方から『採用になりました。頑張ってね』って言われたときに、『実はすみません。春には卒業できないんです』って言ったら、『何ぃー! 』ってなって(笑)。

あ、やっぱり落とされたなと思っていたら、4月1日の入社式の前に人事からもう1回、連絡が来て。『今さら愛知県だけ穴を開けるわけにはいかないから、とりあえず来て』って言われて、『はい! ありがとうございます!!』って、滑り込ませていただいたスタートでした(笑)」

突如開花した「マネージャー」としての才

だが、やはり「人事」というものは面白い。住みます社員として吉本に滑り込んだ兼松はその後、「マネージャー」としての適性を開花させていく。

「当時の東海支社長だった上司と話してて、『このプロジェクトは芸人だけでなく、社員も地域から愛されんといかん』と。『じゃあ、毎日、朝から(犬山に)行こう』と。何の用事もない日でも、とにかく毎朝、電車で犬山に通い、商店主さんらを回って、ご挨拶して、名刺配って、顔覚えていただいて。そういうのを『お笑い人力車』が始まる前から、(お笑い人力車の)第1期が終わる(2011年)11月までの約半年間、ずっと続けていました」

住みます社員(現在は「エリア担当社員」)には、採用から3年後、正社員登用のチャンスが巡ってくるが、兼松は3年を待たずに正社員となり、2013年、今度は、東日本大震災で甚大な被害を受けた宮城県の石巻市役所に出向した。

企業の若手を期限付きで自治体に派遣し、地方の活性化を図る総務省の「若手企業人地域交流プログラム」に基づいた人事で、総務省から打診を受けた吉本が白羽の矢を立てたのが兼松だった。

石巻市役所への1年間の出向を終えた兼松はそのまま、同じ宮城県の仙台市にある吉本の東北支社に“スライド異動”。東北での3年の勤務を終え、現在は東京マネジメントセンターでチーフマネージャーを務め、今田耕司をはじめ、多くの人気芸人を担当している。

一方、「お笑い人力車」の成功で、犬山市観光協会には、各地の自治体や観光協会からの問い合わせが殺到したという。再び後藤が語る。

「それこそ、問い合わせは全国から。実際に幹部が視察に来られた自治体さんもありました。なかには『吉本と組んで大丈夫なのか?』『吉本にいくら払っているんだ?』なんていう問い合わせもありました(笑)。実際はほとんど払ってないんですけどね。

当時は行政側にも、吉本さんに対する偏見みたいなものがあって、問い合わせてくるのはいいけど、いざ組むとなると二の足を踏む自治体さんも少なくありませんでした」

それでも、岐阜県美濃市や島根県松江市など、犬山に倣って観光ガイドなどに住みます芸人を起用する自治体が相次ぎ、2017年からは香川県の丸亀城でもお笑い人力車が始まった。

「犬山といえば人力車」は定着したが…

だが、その“元祖”となった犬山にも悩みがなかったわけではない。後藤が続ける。

「この10年で、『犬山といえば人力車』と、すっかり定着しましたし、これで若い人が来てくれるようになり、さらには、その若い人向けの新たなコンテンツが地元で生まれる――という好循環が続いているので、吉本さんには大変な恩義を感じているんです。きっかけを作ってくれたことはもちろん、10年もの間、芸人さんたちを犬山に送り続けてくれたことに。

けれども、一方の吉本さんにとってはどうだったのかな、と。

10年も続けていると、どうしてもマンネリ化してしまいますし、残念ながら、最初のサムタイムズ以上に地元に溶け込んだ子がいない。なかにはアルバイト感覚で曳いてた子もいましたし。それは、ちょっと違うんじゃないか、と。

彼らにはやはり、『芸人』であることを忘れてほしくないんですよね。せっかくのチャンスなんだから、1人でも多くのお客さんに顔を覚えてもらって、芸人としてのスキルを磨いて、せめて『愛知県では知られるタレント』ぐらいにはなって欲しいと思っているんです」

そんな中、5年前から人力車を曳き始めたのが、冒頭で登場した地元出身の小鈴木だった。

大学在学中の2003年に大阪NSCに入校し、大学卒業後は「名古屋よしもと」に所属。その後、入ったトリオのメンバーが愛知県住みます芸人だったことから、犬山お笑い人力車を曳き始め、トリオ解散後も1人で続けている。小鈴木が語る。


今日も小鈴木はお笑い人力車を走らせる(写真:筆者撮影)

「最初は『住みます芸人』に興味もなく、地元に根付いて人力車曳くっていうのも何だかなぁ……と思っていたんですが、トリオが解散になって、1人で曳くようになったらいろんなものが見えてきて。今はこの犬山にすごくポテンシャルを感じています。

今後、10年で犬山は観光地としてますます伸びます。それに合わせて、『お笑い人力車』も、会社(吉本)と一緒に事業化して、少しでも地域に貢献したいと思うようになりましたね。今では」

車夫でなく芸人として成功させてあげたい

後藤はそんな小鈴木を見守りつつ、今後の住みます芸人についてこんな思いを語る。

「小鈴木君は事業化を目指せばいいと思うんですよ。地元出身だし、やる気も商才もある。ただ、これから来てくれる子たちには、ただ『車夫』をやるのではなく、もっと『芸人』として頑張ってほしいんです。

人力車をきっかけに、1人でもいい、この犬山から“売れる”タレントを出してあげたいんですよね。愛知のローカルタレントでもいい、『芸人』として成功させてあげたいんです。

それで、人気者になった暁に『昔、犬山で人力車曳いてました』って言ってくれれば、少しは吉本さんに恩返しができる。それが、このプロジェクトのゴールかなと思っています」

(文中敬称略)