6月4日のパウエル議長の発言で市場はすでに利下げを織り込み済み。効果を狙うなら6月も(写真:ロイター/YURI GRIPAS)

6月7日に公表されたアメリカの5月雇用統計はショッキングな内容となった。非農業部門雇用者数(NFP)変化は前月比プラス7.5万人と市場予想の下限(同プラス8.0万人)をも下回り、3月分は同プラス18.9万人から同プラス15.3万人へ、4月分は同プラス26.3万人から同プラス22.4万人へ、計マイナス7.5万人の下方修正となっている。つまり、5月の増分は3・4月の修正分を加味すればゼロという計算だ。

こうした状況では平均時給の動きも勢いを欠いており、5月分は前年比プラス3.1%と市場予想(同プラス3.2%)を若干割り込んだ。いよいよ景気循環に遅行する雇用・賃金情勢も失速し始めた疑いがある。ただでさえ利下げ予想の声が大きくなっていたところにダメを押す結果だ。金融市場はトランプ政権によるメキシコへの関税見送りを好感して、とりあえず安堵感が広がったが、二転三転しやすい「水物」であるトランプ政権の通商政策よりも雇用統計の悪化のほうに目を向けたい。

正常化開始時の自然失業率の想定は「5.6%」

少なくとも債券市場は雇用統計の悪化を意識している。すでにアメリカの10年金利と3カ月金利で、長期のほうが低くなる逆イールド化が起き、その状態が3週間に及んでいる。局面変化(金融引き締めから金融緩和への転換)の到来がいよいよ現実味を帯びてきたように思える。


そもそも4%割れの失業率が持続することを期待すべきではないことは明らかであった。2013年5月、バーナンキ元FRB(連邦準備制度理事会)議長が量的緩和の段階的縮小(テーパリング)を示唆し、正常化プロセスに着手すると宣言した時、FRBスタッフ見通し(同年6月)で想定されていた長期失業率(≒自然失業率)は5.6%だった。

今月(2019年6月)で米国経済の拡大局面は過去最長(120か月)に並ぶが、それだけ景気が成熟化している以上、「働きたい人は概ね働けるようになった」というごく当たり前の状況は発生する。

NFPの増勢は2014年をピークに明らかに下降してきたのだが、拡張財政の追い風を背景として2018年だけはピックアップしていた。筆者はその効果の剥落が予見される2019年後半にかけて雇用・賃金は失速軌道に戻ると考えてきたが、今回の米5月雇用統計はそうしたシナリオを後押しする兆候ではないかと考えている。


目先の注目は雇用・賃金の失速が本物だとして、それをFRBがどの程度深刻に受け止めるかである。周知の通り、雇用や賃金は景気の遅行系列である。ゆえに、本来はその失速が明らかになる前に金融政策は調整される必要があり、本来は「次の一手」へのヒントにはなり得ない(というよりも、遅きに失するリスクがあるのでヒントにしない方がよい)。

FRBは雇用の悪化を意識して利下げ

だが、FF金利と失業率は逆相関で、目盛りを逆にとってグラフ化すると、歴史的に軌道はおおむね一致する。結局、FRBは雇用市場の失速と共に利上げを止め、利下げに転じてきたというのが実情に近いと思われる。現状、米国の失業率は3.6%という半世紀ぶりの低水準で推移しているが、これは6年前の5.8%より大分改善した現在のFRBスタッフ見通し(2019年3月時点)が想定する長期失業率(4.3%)と比べてもまだ相当低い。


真っ当に考えれば、ここからさらに失業率が改善する可能性は低いはずであり、今後は失業率の悪化に合わせてFF金利が切り下がってくる局面を予想したいところである。

では、予想される利下げのタイミングはいつなのか。FF金利先物市場の織り込みは7月が80%弱とほぼ既定路線になりつつある。7月以降、債券市場がメインシナリオに据える年内2回の利下げが実行された場合、アメリカ10年金利は2%が定着しているだろうし、ドル相場も一段と値が切り下がっているだろう。対円で105円程度、対ユーロでは1.16程度を臨む展開は不思議ではない。

しかし、それがメインシナリオだとするとリスクシナリオもある。現状、「7月以降、年内で2回利下げ」は市場予想の範疇であり、織り込み済みだとすると、サプライズ狙いで6月18〜19日の会合で利下げという可能性も否定できないのではないか。多くの市場参加者は声明文では「次の一手」が利下げであることを示唆する程度の動きを想定しているが、一気に踏み込んでくる可能性もないとは言えない。

日銀やECBよりははるかにマシだが、FRBとて残されたカードに余裕があるわけではない。例えば1回の利下げ幅を「0.25%ポイント」とした場合、出せる利下げカードは9枚である。これから繰り出す緩和的な一手については、最大の効果が乗るように工夫を凝らしたいところ。そのように考えると「サプライズ狙い」の可能性は否めない。多くの市場参加者は今月のFOMCにおける利下げを想定していないが、思わぬドル安・米金利低下をもたらすリスクも念頭に置きたい。

アメリカの通貨・金融政策は絶対である

予想が困難な為替市場において「米国の通貨・金融政策は絶対である」という論点は鉄則であり、日銀やECBがこれに対抗しようとしても限界がある。とりわけ、多額の経常黒字や上がりにくい物価を擁する通貨である円やユーロは、それは受け入れなければならない運命だと筆者は考えている。

過去5年の金融市場では「FRBの次の一手は利上げ」という大前提があり、それがアメリカの金利もドルも上昇させてきた。しかし、今後は雇用統計に象徴されるアメリカ経済の失速を理由としてFRBはハト派色を強め、アメリカの金利とドルの全面的な調整がしばし必要な局面に入ると思われる。

厄介なことに政治、すなわちトランプ大統領もこれを望んでいることをまったく隠さない。ここまでアメリカの政治・経済・金融情勢がアメリカの金利・ドル安志向を一致して示す環境も珍しいだろう。

筆者は経済の基本指標と金融政策の動向を前提に各通貨の動きを考察することを為替見通しにおける基本姿勢としており、通商政策やブレグジットなど政治色の強い材料はこれに付随するサイドストーリーに過ぎないと整理している。

※本記事は個人的見解であり、筆者の所属組織とは無関係です