「東武アーバンパークライン」の愛称が付いた東武鉄道の野田線。車両にも「TOBU URBAN PARK LINE」のロゴが入っている(筆者撮影)

鉄道の路線名というのは実用的なものである。その名称を聞くと、どのあたりを走っている路線なのかイメージできることが好ましい。ところが近年、やや意味不明な愛称や、実態にそぐわなくなった線名が散見されるようになっている。

今回は、そうした「残念な」路線名を取り上げてみよう。

「アーバンパーク」略せる?

1) 東武アーバンパークライン(東武鉄道・野田線)


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2014年4月から東武野田線に「アーバンパークライン」なる愛称が付けられた。それ以来、駅の看板や案内に至るまですさまじいばかりの攻勢で、この名称を普及しようと躍起になっている感じである。「アーバンパークライン」とは、沿線にいくつもの公園や都市があり、それらを結ぶところから命名したとの説明がある。

しかし、「アーバンパークライン」と聞いて、どのあたりを走っている路線とわかる人が、どのくらいいるのだろうか? 路線名や愛称は呼びやすいこと、聞きやすいことが普及する条件だろう。カタカナでしかも長い呼称は普及しにくい。日本人は長い単語を言いやすくするために短縮化することがよくあるけれど、アーバンパークラインは言いにくいのみならず、短縮形も作りにくい。

日本語は4文字に納めるのが据わりがいいようで、たとえばブルートレインはブルトレ、パーソナルコンピュータはパソコンという略称で普及した歴史がある。それに反し、アーバンパークラインは何と縮めたらよいのだろうか? 正式名の野田線は「のだせん」と4文字で呼びやすいのだ。これでは一般化は無理ではないだろうか。

この愛称に関しては、沿線の「ソライエ清水公園アーバンパークタウン」という大規模住宅分譲地をPRするために路線愛称名を決めたのではと指摘する向きもある。広告と紛らわしい名称であるなら公共放送が採用するわけはなく、ニュースなどでは正式名の東武野田線を使用している。どうせなら、日本語の「公園都市」にすればよかったが、すでに神戸電鉄に公園都市線がある以上、それは二番煎じとなる。

どこまで普及するのか、あるいはいつしか消えてなくなるのか? そういう意味では、注目していたい愛称名である。

2)東京さくらトラム(東京都交通局・荒川線)

東京に唯一残った都電は「荒川線」として長年親しまれてきた。ところが、2017年4月に東京都交通局は「東京さくらトラム」という愛称を設定し、それを普及させようと涙ぐましい努力をしている。


「東京さくらトラム」の愛称が付けられた都電荒川線。駅ナンバーの表示も桜の花びらをかたどっている(筆者撮影)

それにしても、なぜ「さくらトラム」なのだろうか? 確かに、沿線には飛鳥山をはじめ桜の名所が多い。しかし、都電荒川線沿線の代表的な花と言えばバラであろう。線路際にバラを咲かせ、風物詩として定着しているのに、あえてサクラとしたのは、首をかしげざるをえない。

荒川線の駅ナンバリングのアルファベットはSAとなったが、これは”Streetcar Arakawaline”の頭文字とも受け取れる。万一「さくらトラム」が普及しなかったときのことを考えて決めたのかもしれない。

東北に行かないのは同じでも…

3)宇都宮線(JR東日本・東北本線)&京浜東北線


車両にも表示され、定着している「宇都宮線」の愛称(写真:ニングル / PIXTA)

JR東北本線の黒磯駅以南を「宇都宮線」と愛称で呼ぶことは、1990年にさかのぼり、すでに四半世紀以上の歴史がある。すっかり定着してしまった感があり、言いやすいことも一因であろう。当時の栃木県知事がJRに提案し、沿線自治体も賛同したため、案内表記も宇都宮線が一般的になってしまった。

確かに、黒磯以北へ直通する旅客定期列車はなくなったので、実態に即しているとも言えるが、東北という語句への偏見も感じられ、全面的に賛同するにはためらいがある。

その一方で、東北どころか近場の大宮までしか行かない近郊の電車を「京浜東北線」と相変わらず呼んでいるのは、よく考えてみればおかしなことである。すっかり定着しているので異議を唱えたりはしないけれど、宇都宮線と京浜東北線という2つの線名を並べてみるのは興味深いことにも思える。

4)桃太郎線(JR西日本・吉備線)


吉備線の表記はなく「桃太郎線」とだけ書かれた案内板(筆者撮影)

岡山駅から総社駅までを結ぶJR吉備線の通称は「桃太郎線」である。路線カラーはピンクであり、これも桃をイメージしている。岡山市近郊の沿線は、桃太郎伝説が残るところで、そういう意味では納得できる愛称であろう。とはいえ、路線名に人名をつけるのは、やや違和感がある。

JR吉備線は、ようやくLRT化が決まり、富山港線が富山ライトレールとなったようにローカル線からの脱皮が期待されている。遠くない将来どんな姿になるのか、そして線名はどうなるのか、桃太郎線を踏襲するのか、別の路線名となるのか楽しみである。

海辺を期待するとがっかり?

5)阿波室戸シーサイドライン(JR四国・牟岐線)

徳島駅から徳島県内を南下し、牟岐を経て、海部に至るJR四国の路線である。それほど普及しているとは思えないけれど、「阿波室戸シーサイドライン」という愛称があり、時刻表にもその記載がある。


牟岐線を走るJR四国のディーゼルカー(筆者撮影)

しかし、実際に乗ってみると、とてもシーサイドラインという雰囲気ではない。牟岐行きの特急列車に乗ると、車窓から海がよく見えるのは田井ノ浜あたりだけ。牟岐駅で特急列車から海部行きの普通列車に乗り換えてようやくシーサイドラインの雰囲気となる。

室戸に行くには、海部で阿佐海岸鉄道に乗り換え、さらに終点の甲浦駅からはバスに乗らなければならない。ローカル線の旅が満喫できるよい路線ではあるものの、愛称につられて過大な期待をすると裏切られてしまう。

6)ドラゴンレール大船渡線(JR東日本・大船渡線)


東日本大震災の前、盛駅に停車する大船渡線の列車。現在はBRTによる運行となり、JRの列車でこの駅を訪れることはできない(筆者撮影)

政治家が地元に鉄道を引っぱろうとする「我田引鉄」の代表例としてよく挙げられる路線で、政治家に翻弄されたルートを竜の姿になぞらえ「ドラゴンレール」としたことは面白くなかなかに秀逸な命名である。

残念なのは「ドラゴン」という愛称ではなく大船渡線のほうである。災害による影響なので致し方ないが、東日本大震災で路線の4割ほどが失われたまま、列車のみで大船渡を目指すことはできなくなってしまった。BRT(バス高速輸送システム)ではやはり寂しい。しかし、鉄路での復活は、もう無理のようである。

「愛称」だけでなく、前記の大船渡線のように、路線名にかかわる地名にたどり着けないという点で残念な路線がいくつかある。以下の4つはそうした路線名を選んでみた。

7)札沼線(JR北海道、愛称は学園都市線)

札幌のひとつ西寄りにある桑園駅から大きく向きを変え北東方向に進む長大なローカル線だった札沼線。列車の起点は札幌であり、終点は当初留萌本線の石狩沼田となっていた。しかし、先へ行けば行くほど過疎地なので、1972年に新十津川―石狩沼田間が廃止され、札幌と沼田を結ぶ「札沼線」の名前は実態に合わなくなった。


「学園都市線」の表示がある札沼線・あいの里教育大駅の駅名標(筆者撮影)

ところが、札幌近郊の住宅開発と大学が沿線にできたため、札幌―石狩当別―北海道医療大学間は列車本数も増え、駅も増設され都市近郊路線として発展している。2012年には北海道医療大学駅までの電化が完成し、面目を一新した。そうした状況から、学園都市線の愛称が付けられ、札沼線という線名は、現在時刻表以外ではあまり見掛けなくなっている。

その一方で、末端の非電化区間はあまりにも閑散とした区間で、廃止が取りざたされている状況だ。今後、北海道医療大学より先の区間が廃止される公算が強いが、そうなった場合、札沼線の名称はどうなるのだろうか?

果たせなかった夢の跡

8)名松線(JR東海)

台風による甚大な被害で部分廃止もうわさされたJR名松線は、2016年に奇跡的な復活を遂げた。とはいえ、過疎に悩み人気ある観光地に乏しい沿線だけに前途は多難であり、さまざまな活性化策を実行することが期待される。


古びた給水塔の残る名松線の終点、伊勢奥津駅。ここから名張を目指す計画だった(筆者撮影)

そうした名松線の歴史を振り返ったとき、果たされなかった夢があったことをどれだけの人が知っているだろうか? 名松線の名称は、名張と松阪を結ぶことに由来する。結局は、途中の伊勢奥津で果ててしまい、かつて伊勢奥津と名張を結んだバスも今はない。松阪から名張まで行きたいなら近鉄を利用すればよいので、名松線が中途半端な状況で途切れてしまった現状でも不便と感じる人はいないであろう。

名前だけを見ると残念な路線だが、沿線の渓谷美や四季折々の移ろいなど、車窓が楽しめる路線だけに、せっかく復活したのだから観光列車などを走らせて集客してほしいものである。

9)信越本線(JR東日本)

本線と名が付く長大な路線で、これほどまでに残念な状況になってしまった路線はほかにあるだろうか? 北陸新幹線の開業に伴い、ずたずたに分断されてしまった気の毒な路線である。


現在はしなの鉄道の駅となった、かつての信越本線軽井沢駅(筆者撮影)

横川―軽井沢間は廃止、軽井沢―篠ノ井間はしなの鉄道線に、長野―妙高高原間はしなの鉄道北しなの線、妙高高原―直江津間はえちごトキめき鉄道に、それぞれ移管されてしまった。群馬県内を走る高崎―横川間に至っては、「信」も「越」も関係ないところで完結しているのに信越本線を名乗り、かわいそうな感じもする。時代の流れとはいえ、残念極まりない。

「東上」するから東上線ではない!

10)東上線(東武鉄道)

最後に登場するのは東武東上線。言いやすいこともあって何も考えずに東上線という路線名を使っているけれど、その由来を知ると無念さが伝わってくる。東上線とは、東京から(地図の)上の方へ延びているから付いた名称ではない。1912年に東上鉄道として発足したときは、東京からとりあえずは上州(群馬県)の渋川まで鉄道を敷設するつもりで「東上」と命名したのである。ゆくゆくは、さらに北上して新潟県の長岡まで路線を伸ばす壮大な構想があったのだ。


埼玉から先、上州を経て新潟県までを結ぶ予定だった東武東上線(筆者撮影)

しかし、渋川まで到達することもなく、埼玉県の寄居で建設は中断。そうこうしているうちに国鉄(現・JR)八高線の計画がでてきて、寄居以北への延長は夢と消えてしまった。今では、池袋から寄居までの直通列車もなく、小川町駅で系統は分断されている。秩父鉄道へ乗り入れる観光用電車も消え、純然たる通勤通学路線として大繁盛だ。それでも、長距離鉄道として発足して「東上線」と命名したことを考えると、ちょっと寂しい。

鉄道路線は時代とともに役割を変えつつ、栄えるものもあれば、衰退の一途をたどるものもある。それでも路線名だけは、長年親しまれていれば簡単に変えることはままならない。だからこそ、新たに命名したり、愛称を考えるときは、あとで後悔することのないよう、多くの人が納得できる名称にしてほしいものである。