『金正男氏(写真:AFLO)』

 インテリジェンス(情報)活動に詳しい外交ジャーナリストで作家の手嶋龍一氏は、金正男事件をこう分析している。

「女性の実行犯2人は、いわば振り込め詐欺の“出し子”。つまり逮捕要員です。殺害はきわめて計画的ですが、実行犯が素人だったことは、毒による暗殺史上、大きな意味があります。近年でも2006年のリトビネンコ殺害は、相当なプロによる犯行ですから」

 毒物の専門家、常石敬一・神奈川大名誉教授も、公衆の前での犯行に驚く。

「本来毒薬は、相手に気づかれずに仕込めることが最大のメリットです。1978年のマルコフ暗殺も、当人の第一印象は『通りすがりの誰かとぶつかった』。じつは傘の先端から1.5mmの弾丸が発射されていた。リシンの毒が回り、マルコフが亡くなったのは4日後。孝明天皇や徳川家定には当然毒見役がいましたが、少量しか試食しませんから。少しずつ弱らされ、死んだ可能性はある」

 毒殺史に“新時代”が訪れたわけだが、作家の斎藤充功氏はこうみる。

「私は、戦前の諜報機関・陸軍中野学校の工作員に北朝鮮出身者が複数在籍し、戦後、帰国していたことを取材してきました。北朝鮮の諜報技術は、彼らが育成したものである可能性がある。ならば、今回の暗殺事件は、中野学校のDNAが受け継がれ、進化したものといえるのではないか」

 世界が揺れるとき、そこには常に“毒”があったのだ。

●紀元前323年 アレクサンドロス大王
【死因は「有毒体質」の美女!?】
 東西4500kmもの大帝国を築き上げた古代マケドニア王。32歳で逝去、死因は熱病とされるが、家庭教師を務めていた哲学者・アリストテレスや、インドの太守から贈られた体液に毒をもつ体質の美女による毒殺説も根強い

●紀元前54年 ローマ皇帝クラウディウス
【暴君ネロの母に毒キノコで】
 ローマ帝国第4代皇帝。4番めの妻・アグリッピナが、連れ子のネロを寵愛、皇位を継がせようと毒キノコで暗殺を企んだとされる。暴君で知られる第5代皇帝・ネロも異母兄弟のブリタニクスほか、政敵を多数毒殺した

●1002年 神聖ローマ皇帝オットー3世
【政敵の未亡人の誘惑】
 古代ローマ帝国の神政政治復興を目指したドイツ王。17歳のとき、反乱を起こした政敵・クレッシェンティウス2世を斬首し、城壁に吊るした。しかしその4年後、その未亡人に誘惑され、毒を盛られたという説がある

●1352年 観応の擾乱
【『太平記』では尊氏が毒を】
 室町幕府で起きた内紛。足利尊氏の弟である直義派と、尊氏の執事・高師直派が敵対。直義派が勝利したが、やがて尊氏と対立していく。尊氏に追討された直義は病没したが、『太平記』は尊氏が毒殺したと記している

●1564年 三好長慶
【戦国時代初の「天下人」】
 長慶は室町幕府の細川政権を倒し、中央集権の三好政権を樹立。42歳で病死したとされるが、重臣・松永久秀(通称・松永弾正)による毒殺説も有力。
「松永は長慶の弟・十河一存、長慶の嫡子・義興も毒殺し、三好政権を意のままに操った。下剋上の時代に毒殺で成り上がった傑物です」(『「毒殺」で読む日本史』の著者・岡村青氏)

●1791年 モーツァルト
【映画『アマデウス』でも描写】
 モーツァルトが35歳で夭逝したことは知られているが、その直後からライバルのサリエリによる毒殺説が広まった。結果、サリエリは映画『アマデウス』で描かれたように精神を病んだ。生のポークカツに当たった説も

●1821年 ナポレオン
【フランスの英雄の謎の死】
 主治医が公表した死因は胃ガン(享年51)。だが、ヒ素中毒症状を思わせる記述がある看護師の日記が20世紀に発見され、英グラスゴー大学が遺髪から高濃度のヒ素を検出。死亡前4〜8カ月にわたりヒ素を飲まされていた可能性が