日本球界復帰の村田は輝けるか 黒田と和田、松坂と井川…分かれる明暗
米球界から復帰した投手たちの日本での成績は? 斎藤は地元・仙台で活躍
日本ハムが18日に村田透投手との契約合意を発表した。2010年オフに巨人を戦力外となった後、インディアンスとマイナー契約を結んだ右腕は、ルーキーリーグから5年をかけてメジャー昇格。2015年6月28日・オリオールズ戦の1試合のみの登板に終わったが、確かな足跡を残した。
7年ぶりの日本球界復帰となる村田は、北の大地で輝きを放つことが出来るのか。近年も多くの投手が米球界から日本復帰を果たしたが、その明暗ははっきりと分かれている。ここで、最近5年(2012年以降)、米球界からNPBに復帰投手した主な投手の成績を見てみたい。
最近で最も輝きを放ったのはソフトバンクの和田毅、広島の黒田博樹だろう。12年にメジャー移籍を果たした和田は左肘の手術などもあり、アメリカでの4年間でMLB通算5勝5敗、防御率3.36で帰国。今季5年ぶりにソフトバンク復帰を果たした。迎えた1年目は15勝5敗、防御率3.04の成績を収め、最多勝と最高勝率の2冠に輝いた。
黒田も古巣に多大な貢献を見せた一人だ。昨季、8年ぶりに広島に復帰した右腕は1年目で11勝8敗、防御率2.55をマークすると今季は2年連続2桁の10勝(8敗)を挙げ、チームの25年ぶり優勝を支えた。そして日本ハムとの日本シリーズ直前には現役引退を表明。メジャーで惜しまれながらも日本球界復帰を果たしたベテランは古巣で有終の美を飾った。
斎藤隆も現役生活を最高の形で締めくくった。メジャー通算7年間で防御率2.34と救援投手として圧巻の成績を残し、2013年に地元・仙台が本拠地の楽天で日本復帰。30試合に登板して3勝無敗4セーブ4ホールド、防御率2.36で球団史上初の日本一に貢献した。14年も31試合登板で1勝1敗3セーブ9ホールド、防御率2.59。15年は3試合登板で防御率7.71に終わり、自らユニホームを脱ぐ決断を下した。
五十嵐はホークスのブルペンで柱に、松坂は復帰後2年間で登板1試合のみ
2013年に日本に復帰した五十嵐亮太投手は移籍先のソフトバンクに貢献。13年は51試合に登板し、3勝3敗11ホールド、12セーブ、防御率2.53。14年は63試合に登板し、1勝3敗2セーブながら、44ホールド、防御率1.52。15年も54登板で3勝1敗31ホールド、2セーブ、防御率1.38と好成績を収めた。今季こそ左太もも裏の肉離れなどで33登板にとどまったが、オフにメキシコのウィンターリーグに参加するなど飽くなき向上心を見せている。
レッドソックスでブルペンの柱として活躍した岡島秀樹は、2012年シーズンにヤンキースとマイナー契約を結ぶも、2月に身体検査で左肩に異常が見つかったとして無効に。3月にソフトバンクと契約し、6年ぶりに日本復帰した。1年目で56試合に登板し、0勝2敗9セーブ24ホールド、防御率0.94といきなり大活躍。メジャー復帰を目指してオフに自由契約となり、アスレチックスとマイナー契約を結ぶと、5月にメジャー昇格を掴んだ。しかし、5試合のみの登板で3Aに降格し、10月に自由契約に。14年は再びソフトバンクに所属し、44試合登板で4勝4敗27ホールド、防御率2.11。オフに条件が折り合わず自由契約となり、翌15年はDeNAに入団したが、10試合登板で0勝2敗2ホールド、防御率8.59で戦力外に。今季、オリオールズのマイナーでプレー後、現役を引退した。
一方で、日本復帰後に苦しんだ選手もいる。松坂大輔は15年にソフトバンクに3年総額12億円(推定)で加入。「平成の怪物」の8年ぶりの日本復帰は大きな話題となったが、1年目はオープン戦からの度重なるケガなどで1軍登板ならず。8月に右肩の手術を受けた。2年目の今季も2軍調整が続いたが、10月2日の楽天戦で日本復帰後初登板。しかし、3648日ぶりに日本マウンドで、8回の1イニングを3安打2奪三振4四死球で5失点(自責2)と大乱調に終わった。来季は3年契約の最終年となる。
15年途中にレンジャーズから自由契約となった藤川球児投手は、その後3年ぶりに日本復帰し、残りのシーズンを独立リーグ高知でプレー。そして、今季は4年ぶりに阪神、NPBに復帰した。当初は先発を任されたが、結果を残せず。シーズン中からブルペンに入り、結局、43試合登板で5勝6敗3セーブ10ホールド、防御率4.60に終わった。今季は背番号18をつけたが、来季からメジャー挑戦前と同じ背番号22に戻す。
日本で実績ある川上、井川は帰国後は結果残せず
メジャー1年目の10年にメッツで10勝を挙げるなど好成績を残した高橋尚成は、14年にDeNAで5年ぶり日本復帰。先発ローテの一角として期待されたが、1年目は10試合先発で0勝6敗、防御率5.29と結果を残せず。2年目も6試合登板(2試合先発)で0勝1敗、防御率8.64に終わり、NPB復帰後は2シーズンで1勝も挙げられずに現役引退を表明した。
建山義紀は14年5月にヤンキース傘下3Aスクラントンから契約を解除され、6月に阪神に入団。4年ぶりに日本球界に復帰した。しかし、8試合の登板にとどまり、0勝0敗、防御率3.68。シーズン後に現役引退を表明した。
川上憲伸は11年シーズン終了後にFAとなり、古巣の中日に復帰。12年は7試合、13年は5試合の登板で計4勝(2敗)に終わり、戦力外通告を受けた。しかし、その後、中日と2年契約を結び直し、残留が決定。だが、14年は6試合、15年は1軍登板なしとなり、退団を表明した。
ヤンキースと5年契約を結びながら、大半をマイナーで過ごした井川慶は、12年にオリックスで6年ぶり日本復帰。だが、初年度は12試合先発で2勝7敗、防御率4.65と厳しい結果に終わった。13年は3勝、14年は2勝に終わり、15年は1軍登板なしでシーズン終了。オフに戦力外となった。
最近5年間で米球界から日本に復帰した選手は、はっきりと明暗が分かれている。日本で戦力外となって海を渡り、メジャー経験もほとんどない村田は多くの選手とは状況が異なるが、どんな結果を残すのか。初マウンドが1軍デビューとなるだけに、大きな注目が集まることは間違いない。