「ヘリコプターがなんぼ飛び回って邪魔しているか」伝説の芸人・上岡龍太郎が語ったテレビ震災報道のあり方
4月14日から続く「熊本地震」。テレビでも連日にわたって報道特別番組を放送され、現地の被害の状況などを詳しく伝えている。
インターネットを通して得られる情報も多いが、やはり大規模な取材班を組んでリアルタイムで映像と情報を伝えるテレビの報道は重要だ。大きな事件や災害が発生した場合、まずテレビをチェックする人も多いだろう。取材力だけでなく、多くの人に伝える力もテレビは図抜けている。
筆者も土曜の朝からNHKと民放各社の報道番組を見続けていた。そこで徐々に気になってきたのが、民放の報道番組に登場するレポーターとキャスターのテンションだ。危険な場所に出向き、悲惨な現状をレポートしているのだから、ついつい興奮してしまう気持ちはわかる。だが、それでも極力冷静にレポートしてくれないだろうか。余震の最中、レポーターが一番大きな声を出して騒いでいたりするのは、やっぱりどうにかしてほしい。
もう一つ気になったのが、各社とも同じようなニュースが続くということだ。地震によって崩れた家屋などの映像、死亡者の数、ヘリからの空撮、避難所の様子、専門家による地震のメカニズムの解説……だいたいこんなところだろうか。
コラムニストでイラストレーターの能町みね子氏は、テレビ報道を見た違和感について、次のようにツイートしている。
「倒壊した家屋からおばあちゃんを救い出す中継に何の意味があるの… 熊本の人に役立つ情報をやってるテレビ局はあるのかね」
筆者も同じく、1局ぐらい徹底的に被災者の避難についての情報や生活情報、あるいは支援に関する情報に徹した報道番組があってもいいと思っていた。インターネットを活用すれば、役立つ情報を集めて伝えることができるはずだ。報道に関する予算が少なそうなテレ東なんかがやったら、きっと喝采ものだっただろう。
大規模な災害に関するテレビ局の報道姿勢について、今から21年も前にテレビの中から(!)徹底的に批判を行っていた人物がいる。それが芸人の上岡龍太郎だ。
上岡は昭和の時代から関西を中心に活躍していた芸人で、立て板に水の流暢な話術と、理路整然とした屁理屈、歯に衣着せぬ鋭い舌鋒で人気を集めていた。島田紳助をはじめ、明石家さんま、笑福亭鶴瓶などからも尊敬を受けていた大物芸人である。ただし、今から16年前の2000年に芸能界を引退し、それ以降は表舞台に出ていないので、若い人は存在すら知らないかもしれない。
上岡と鶴瓶が2人でフリートークをするだけという『鶴瓶上岡パペポTV』は、タイトルを変えながら14年も続いた人気番組だ。当初は関西ローカルの深夜番組だったが、話題を集めるにつれ、東京をはじめ全国でも放送されるようになった。
上岡のテレビ報道批判が飛び出したのは、1995年1月27日放送の回。5000人以上の犠牲者を出した阪神・淡路大震災の直後に収録されたものだ。いつもは入れているギャラリーを入れず、笑いも一切なし。行政やテレビの報道などに2人がストレートな怒りをぶつけ続けるという異色の回となった。特に被災者の一人でもある鶴瓶の怒りはすさまじく、対応の遅れが目立った行政に対して「与党も野党もどっちもない。政治家はアホですわ!」と一刀両断している。
一方、上岡は冷静にテレビ報道について批判を加えていく。番組の冒頭部分の会話を抜粋する。
上岡「テレビはあかんね」
鶴瓶「ぜんぜんダメですわ、テレビいうのは」
上岡「こんなにテレビのレベルが低いとは(中略)今度の報道見ていて、まったくダメ。もうテレビ局には芸能レポーターしかいてないね」
鶴瓶「ほんまそうですよ」
上岡「ワイドショーしかよう作らんね」
では、上岡はテレビの報道のどのような部分を批判していたのだろうか?
番組序盤の上岡の発言を抜粋してみよう。
上岡「ヘリコプターで火災現場の上空を旋回しながら、『まるで死者を弔う送り火のようです!』言うてね。その日は風向きがどうで、どこが燃えていて、これから先どのへんに燃え移る可能性があるから、どのへんの人は早く避難したほうがいいのか、まったく言わない! 何のためのテレビか」
非常時に際して、テレビの報道は感傷的なコメントを垂れ流すだけではなく、被災者にとってダイレクトに役立つ情報を流すべきだと上岡は主張している。
ほかにも死者が埋まっているかもしれない瓦礫の上を平然と歩くレポーター、現場に来てただ泣いているだけのレポーターなどを批判し、「テレビに映るものはすべて芸能でありワイドショー」「テレビに報道やジャーナリズムを期待しても、もう無理でしょう」と突き放す。
報道のヘリコプターといえば、このような話もある。
上岡「取材陣のヘリコプターが被災地の上を飛び回るでしょ? あの爆音のために、生き埋めになっている人たちに外からどんなに声をかけても、その人たちの声は爆音のために聞こえない」
鶴瓶「息子さんがそうおっしゃっていたんでしょ?(上岡の息子は被災地でボランティア活動をしていた)」
上岡「だからね、あれは報道陣が何百人殺してますよ、ヘリコプターで。その爆音のために、『誰かいますかー!』『声出してくださーい!』言うても、下で何日もこうなって(生き埋めになって)いたら声も出せん。その弱い声を聞き取って、いたら『よし、助けよう!』と行動している人をヘリコプターがなんぼ飛び回って邪魔しているか。そういうことに気がつかんのでしょうね、神経として」
先に紹介した能町氏のツイートに対して、「ヘリの空撮は救助活動の邪魔! 崩れた建物の中に生き埋めになっている人の助けを求める声が聞こえない事は阪神淡路の時にも問題になった事です」とリプライしていた人がいたが、その元ネタは上岡が語ったこのエピソードだ。
上岡「だから日本のテレビにはヒューマニズムちゅうのはないんですよ、人間愛というのはね。変なセンチメンタリズムはあるんですよ。思いきり悲しがろう、悲惨さを喜ぼうという。
ところが人間性がまったくないから、18日(震災翌日)にテレビを見てたら、学者が出てきて『こういった建物は都市型直下型地震の場合には崩れやすく……』。それは後でええやろと。それ1ヶ月後でもやれることやろと。今はそんな専門家呼んでる場合違うと。地質学なんてもうどうでもええと。
とりあえず今はどうするかというと、こういう人にはこういう人工呼吸をするんですよとか、血が出たらこうやって括るんですよとか、こんなときにはこれを触ったらいけませんよとか、つまり助かるためのノウハウの専門家を呼んでくるべきだな。なんでその専門家をテレビ局は見つけないかと」
テレビの報道は、被災者に寄り添った役に立つ情報を流すべきだという主張は一貫している。
上岡と鶴瓶は1時間の番組の間に、テレビの報道をはじめ、対応の遅い政府、縦割り行政、自衛隊、国会議員、保険会社、宗教団体、便乗値上げをしていた商店などを次々と批判(組織的に支援活動を行っていた山口組のことは絶賛していた)。同時に、避難所にテレビカメラを置いて被災者の無事を伝えるようにしたらいいのではないかと提案も行っている。
最後は、同じ系列局である日本テレビで放送されていた『24時間テレビ』を「なんでこんなときにせえへんのや、夏が来たらするくせに」(鶴瓶)とこき下ろし、「結局、テレビは芸能なんですよ」という上岡の一言で番組は終わった。
彼らの言うことが必ずしもすべてが正しいというわけではない。なかには暴論もあっただろう。それにしても、バラエティ番組でここまで言える芸人の胆力と、それを放送するスタッフの懐の深さにあらためて驚かされる。
テレビの報道に関しては、阪神・淡路大震災以降、2004年の新潟県中越地震、2011年の東日本大震災を経て、多少なりとも変化はあったと思う。
NHK熊本放送局では、熊本市内のスーパー・コンビニの営業情報を流しはじめた。テレビ朝日とサイバーエージェントが共同出資したAbema TVでは、4月19日に「熊本地震情報掲示板TV」(http://news-prime.abema.tv/posts/725537?categoryIds=92698)を行う。被災地に住む人たちが、安否確認や物資、避難についての情報をテキストや動画で投稿するとそのまま紹介されるという番組だ。これなどは、まさに21年前に上岡が番組内で提案していたアイデアに近い。これからの新しい災害報道のフォーマットになるのではないかと期待している。
(大山くまお)
インターネットを通して得られる情報も多いが、やはり大規模な取材班を組んでリアルタイムで映像と情報を伝えるテレビの報道は重要だ。大きな事件や災害が発生した場合、まずテレビをチェックする人も多いだろう。取材力だけでなく、多くの人に伝える力もテレビは図抜けている。
もう一つ気になったのが、各社とも同じようなニュースが続くということだ。地震によって崩れた家屋などの映像、死亡者の数、ヘリからの空撮、避難所の様子、専門家による地震のメカニズムの解説……だいたいこんなところだろうか。
コラムニストでイラストレーターの能町みね子氏は、テレビ報道を見た違和感について、次のようにツイートしている。
「倒壊した家屋からおばあちゃんを救い出す中継に何の意味があるの… 熊本の人に役立つ情報をやってるテレビ局はあるのかね」
筆者も同じく、1局ぐらい徹底的に被災者の避難についての情報や生活情報、あるいは支援に関する情報に徹した報道番組があってもいいと思っていた。インターネットを活用すれば、役立つ情報を集めて伝えることができるはずだ。報道に関する予算が少なそうなテレ東なんかがやったら、きっと喝采ものだっただろう。
阪神・淡路大震災直後の『パペポTV』
大規模な災害に関するテレビ局の報道姿勢について、今から21年も前にテレビの中から(!)徹底的に批判を行っていた人物がいる。それが芸人の上岡龍太郎だ。
上岡は昭和の時代から関西を中心に活躍していた芸人で、立て板に水の流暢な話術と、理路整然とした屁理屈、歯に衣着せぬ鋭い舌鋒で人気を集めていた。島田紳助をはじめ、明石家さんま、笑福亭鶴瓶などからも尊敬を受けていた大物芸人である。ただし、今から16年前の2000年に芸能界を引退し、それ以降は表舞台に出ていないので、若い人は存在すら知らないかもしれない。
上岡と鶴瓶が2人でフリートークをするだけという『鶴瓶上岡パペポTV』は、タイトルを変えながら14年も続いた人気番組だ。当初は関西ローカルの深夜番組だったが、話題を集めるにつれ、東京をはじめ全国でも放送されるようになった。
上岡のテレビ報道批判が飛び出したのは、1995年1月27日放送の回。5000人以上の犠牲者を出した阪神・淡路大震災の直後に収録されたものだ。いつもは入れているギャラリーを入れず、笑いも一切なし。行政やテレビの報道などに2人がストレートな怒りをぶつけ続けるという異色の回となった。特に被災者の一人でもある鶴瓶の怒りはすさまじく、対応の遅れが目立った行政に対して「与党も野党もどっちもない。政治家はアホですわ!」と一刀両断している。
一方、上岡は冷静にテレビ報道について批判を加えていく。番組の冒頭部分の会話を抜粋する。
上岡「テレビはあかんね」
鶴瓶「ぜんぜんダメですわ、テレビいうのは」
上岡「こんなにテレビのレベルが低いとは(中略)今度の報道見ていて、まったくダメ。もうテレビ局には芸能レポーターしかいてないね」
鶴瓶「ほんまそうですよ」
上岡「ワイドショーしかよう作らんね」
では、上岡はテレビの報道のどのような部分を批判していたのだろうか?
報道陣のヘリコプターは何百人も殺している
番組序盤の上岡の発言を抜粋してみよう。
上岡「ヘリコプターで火災現場の上空を旋回しながら、『まるで死者を弔う送り火のようです!』言うてね。その日は風向きがどうで、どこが燃えていて、これから先どのへんに燃え移る可能性があるから、どのへんの人は早く避難したほうがいいのか、まったく言わない! 何のためのテレビか」
非常時に際して、テレビの報道は感傷的なコメントを垂れ流すだけではなく、被災者にとってダイレクトに役立つ情報を流すべきだと上岡は主張している。
ほかにも死者が埋まっているかもしれない瓦礫の上を平然と歩くレポーター、現場に来てただ泣いているだけのレポーターなどを批判し、「テレビに映るものはすべて芸能でありワイドショー」「テレビに報道やジャーナリズムを期待しても、もう無理でしょう」と突き放す。
報道のヘリコプターといえば、このような話もある。
上岡「取材陣のヘリコプターが被災地の上を飛び回るでしょ? あの爆音のために、生き埋めになっている人たちに外からどんなに声をかけても、その人たちの声は爆音のために聞こえない」
鶴瓶「息子さんがそうおっしゃっていたんでしょ?(上岡の息子は被災地でボランティア活動をしていた)」
上岡「だからね、あれは報道陣が何百人殺してますよ、ヘリコプターで。その爆音のために、『誰かいますかー!』『声出してくださーい!』言うても、下で何日もこうなって(生き埋めになって)いたら声も出せん。その弱い声を聞き取って、いたら『よし、助けよう!』と行動している人をヘリコプターがなんぼ飛び回って邪魔しているか。そういうことに気がつかんのでしょうね、神経として」
先に紹介した能町氏のツイートに対して、「ヘリの空撮は救助活動の邪魔! 崩れた建物の中に生き埋めになっている人の助けを求める声が聞こえない事は阪神淡路の時にも問題になった事です」とリプライしていた人がいたが、その元ネタは上岡が語ったこのエピソードだ。
上岡「だから日本のテレビにはヒューマニズムちゅうのはないんですよ、人間愛というのはね。変なセンチメンタリズムはあるんですよ。思いきり悲しがろう、悲惨さを喜ぼうという。
ところが人間性がまったくないから、18日(震災翌日)にテレビを見てたら、学者が出てきて『こういった建物は都市型直下型地震の場合には崩れやすく……』。それは後でええやろと。それ1ヶ月後でもやれることやろと。今はそんな専門家呼んでる場合違うと。地質学なんてもうどうでもええと。
とりあえず今はどうするかというと、こういう人にはこういう人工呼吸をするんですよとか、血が出たらこうやって括るんですよとか、こんなときにはこれを触ったらいけませんよとか、つまり助かるためのノウハウの専門家を呼んでくるべきだな。なんでその専門家をテレビ局は見つけないかと」
テレビの報道は、被災者に寄り添った役に立つ情報を流すべきだという主張は一貫している。
上岡と鶴瓶は1時間の番組の間に、テレビの報道をはじめ、対応の遅い政府、縦割り行政、自衛隊、国会議員、保険会社、宗教団体、便乗値上げをしていた商店などを次々と批判(組織的に支援活動を行っていた山口組のことは絶賛していた)。同時に、避難所にテレビカメラを置いて被災者の無事を伝えるようにしたらいいのではないかと提案も行っている。
最後は、同じ系列局である日本テレビで放送されていた『24時間テレビ』を「なんでこんなときにせえへんのや、夏が来たらするくせに」(鶴瓶)とこき下ろし、「結局、テレビは芸能なんですよ」という上岡の一言で番組は終わった。
彼らの言うことが必ずしもすべてが正しいというわけではない。なかには暴論もあっただろう。それにしても、バラエティ番組でここまで言える芸人の胆力と、それを放送するスタッフの懐の深さにあらためて驚かされる。
テレビの報道に関しては、阪神・淡路大震災以降、2004年の新潟県中越地震、2011年の東日本大震災を経て、多少なりとも変化はあったと思う。
NHK熊本放送局では、熊本市内のスーパー・コンビニの営業情報を流しはじめた。テレビ朝日とサイバーエージェントが共同出資したAbema TVでは、4月19日に「熊本地震情報掲示板TV」(http://news-prime.abema.tv/posts/725537?categoryIds=92698)を行う。被災地に住む人たちが、安否確認や物資、避難についての情報をテキストや動画で投稿するとそのまま紹介されるという番組だ。これなどは、まさに21年前に上岡が番組内で提案していたアイデアに近い。これからの新しい災害報道のフォーマットになるのではないかと期待している。
(大山くまお)