いろいろな方面から「サッカー文化を向上させていきたい」。鈴木は新たな“チャレンジ”へ意欲を示した。 写真:茂木あきら(サッカーダイジェスト写真部)

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 浦和の鈴木啓太が1月10日、さいたま市内のホテルで引退記者会見を行なった。浦和ひと筋16年間にわたってプレーした功労者のために、クラブが鈴木からファンへ“最後のメッセージ”を伝える場として設けたものだ。スーツ姿の鈴木は終始リラックスした表情で、約1時間にわたって集まったメディアの質問に答えた。
 
 まず引退後の去就について、次のように報告をした。
 
「サッカー界から恩恵を受けてきたので還元したい。浦和とはずっと関わりを持ち続けてたいので、淵田(敬三)社長をはじめ、ゆっくり話し合っていきたい。
 
 コンディションとパフォーマンスについて考えていたなか、今、スポーツ科学が盛り上がってきている。選手をサポートする、ひとつのプロジェクトに力を注ぎたい。昨年からいろいろな方と知り合い、腸内フローラの解析事業を立ち上げた。
 
 外から選手のパフォーマンスを向上させ、コンディションを整えられたらと思う。そこから一般の皆さんにも還元していきたいと考えている」
 
 一方、「解説の話や、チームメイトからは『読者モデルをやらないか』という話ももらったが、いろいろチャレンジしたい」と話し、基本的には「サッカー界への還元」を念頭に置いて“チャレンジ”する意向を示した。
 
 また、指導者として浦和の監督を目指してほしいという声もある。
 
「指導者になりたいかと自分自身に問えば、正直、『イエス』とは言えない。いろんな形で、サッカーの文化を上げていかなければならないと考えている。浦和の監督は偉大すぎる。
 
 もちろん、将来、どう考えるかは分からない。今、(浦和の)淵田社長がいらっしゃっているが……浦和の社長のほうが興味がありますね(笑)」
 
 そのように『引退→指導者』だけではないセカンドキャリアの道を開拓し、サッカー文化の裾野を広げていく考えを示した。
 
 
 鈴木はこれまでに、プロサッカー選手になって特に影響を受けた指導者として、ハンス・オフト、イビチャ・オシム、そして現監督のミハイロ・ペトロヴィッチ(愛称ミシャ)の3人の名前を挙げてきた。
 
 彼は改めて、その3人から学んだことを語った。
 
「オフトは僕がプロ3年目の時に就任し、『サッカーはこういうものだ』と基礎のところを教わった。小さい頃、ワールドカップ予選で監督をしているのを観て、怖そうだと思ったけど、とても温厚で誠実な方だった。若手を積極的に起用し、僕もチャンスをもらえた。オフトの下で、浦和レッズの土台が作られた」
 
 また、オシム氏からは「水を運ぶ人」と呼ばれ、日本代表で欠かせない主力メンバーとして重宝された。
 
「『水を運ぶ人』という言葉を使って、それまでスポットライトを浴びてこなかった僕に、光を当ててくれた。オシムさんからは、人生についてもいろいろ学んだ。オシム語録は、僕の人生の教訓にしていきたい」
 
 そしてペトロヴィッチ監督について、鈴木は「第2のサッカー人生を与えてくれた」と、感謝を惜しまなかった。
 
「2010年にコンディションが上がらず(レギュラーから外れ、出場機会が大幅に減った)、もうサッカーを辞めてもいいかな、と思った時期があった。その翌年には残留争いをする苦しいシーズンを過ごし、『このままでは浦和の力になれないのではないだろうか』と考えた」
 
 ちょうどその時期に再び就任した山道強化本部長に相談したことも示唆した。そんな悩んでいた時、浦和の指揮を執ることになったのがペトロヴィッチ監督だった。
 
 鈴木はペトロヴィッチ監督に思い悩んでいることを明かした。すると、指揮官の一言が鈴木の心を一瞬にして晴らした。