履正社高等学校 寺島 成輝投手「願いを現実に」

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 2016年の高校生左腕を代表するのが寺島 成輝。1年生時から実戦デビューし、1年秋では一学年上の溝田 悠人、永谷 暢章と3本柱を形成してきた。しかし2015年の夏、大阪桐蔭に敗れ、そして秋も大阪府大会3位決定戦で阪南大高に敗れ、近畿大会出場を逃すなど悔しい負けを味わってきた。もう悔しい負けをしない。そんな寺島投手の強い決意が見えるインタビューをお届けしたい。

2015年夏の忘れ得ぬ記憶

寺島 成輝投手(履正社高等学校)

「先発を言い渡されたのは試合当日の朝でした」履正社のキャプテン・寺島 成輝は過ぎ去った夏の記憶を辿りながらそう言った。

 履正社と大阪桐蔭が互いに初戦となる2回戦で相まみえた2015年夏の大阪大会。大阪を代表する強豪同士の早々の激突は高校野球ファンの大きな関心を呼んだ。「監督からは『先発の可能性は3人全員にある。3人とも準備をしておくように』と言われていました。自分が先発するというイメージを持ち続け、試合当日に向けて準備をしていたので、言われた時は『よし!』と気合が入りました」

 2015年6月に行ったチーム取材で、溝田 悠人、永谷 暢章、寺島 成輝の3本柱で2015年夏を戦い抜くことを示唆していた履正社・岡田 龍生監督。大阪桐蔭戦の先発マウンドを託されたのは3年生の溝田、永谷ではなく、2年生左腕の寺島だった。「溝田さん、永谷さんからは『頼んだぞ!』と激励の言葉をいただきました。グラウンドから試合会場に向かうバスの中でどんどん緊張感が増してきたことを思い出します」

 7月19日、決戦の舞台となった舞洲ベースボールスタジアムのスタンドは超満員に膨れ上がり、通常時では開放することのない外野席にまで観客を入場させるほどのフィーバーぶりだった。「球場に到着して大観衆を見た途端、『もう、やるしかない!』と腹をくくりました」

 調子は悪くなかった。腕もしっかり振れ、ストレートの最速は145キロをマークした。しかし結果は、5失点を喫しての完投敗戦。履正社の2015年夏は初戦で終わりを告げた。「チームの期待に応えることができず、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。試合が終わった後、すぐに溝田さんが『ありがとう』と言いながら右手を差し出してきて…。先輩野手の方々も『点を取ってやれなくてごめんな』と声をかけてくださって。素晴らしい先輩方と一緒に戦えたことを誇りに思います」

 少しの間があった後、寺島はしみじみとした口調で続けた。「あんな大観衆の中で投げるのも、あれほどのすさまじいプレッシャーの中で投げるのも初めてでした。2015年の夏のプレッシャーを上回るようなことは今後、野球を続けていく中で、そうはないんじゃないかと思っています」

[page_break:予想だにしていなかったキャプテン任命 / 秋の苦い経験を生かすために]予想だにしていなかったキャプテン任命

寺島 成輝投手(履正社高等学校)

「大阪桐蔭に負けた次の日の朝に監督から『どうだ?』言われました。『まさか自分が!?』と思いました」

 新チームの始動とともに主将に任命された寺島。4番、エース、主将という3つの重責を担った選手は履正社においては前例がなかった。「こんな機会はそうそうないだろうし、やりがいはあると感じました。『やります』と引き受けました」

 小学校以来となるキャプテン業。しかし実際にやってみると、想像していた以上に大変だった。「ピッチャーは野手の練習にあまり参加しないので、チーム全体で起こっていることを自分の目ですべて把握しようとしても、現実はやはり無理なんです。そこで副キャプテンの四川 雄翔とプレーイングマネージャーに、委ねるところは委ねてしまおうと割り切ることにしました。チームで起こったことを3人で常にすり合わせて共有することでチーム全体を把握できればいいと」

 主将として強く心がけていることは、「広く、マメに声をかけること」だ。「とくに裏方で頑張ってくれている選手たちに対しては感謝の気持ちをきちんと言葉にして伝えるようにしています。そしてキャプテンになって『まずは自分がしっかりしないと』ということを強く意識するようになりました。やはり口だけのキャプテンじゃ誰もついてこない。自分が先頭を切って手本となれるよう、率先して行動していく必要があると思っています」

秋の苦い経験を生かすために

「気持ちの甘さが出たと思う。心のどこかでチームにスキがあった」秋季大会において履正社は大阪府大会の3位決定戦で阪南大高に0対1で敗れ、近畿大会出場を逃してしまう。目指していたセンバツへの道も絶望的となった。 敗戦後、履正社ナインは選手たちだけでミーティングを行い、徹底的に話し合ったという。

「技術面においては、打線が打つべきボールを見逃し、見逃すべきボール球に手を出すという悪循環にはまっていた。逆方向へ打つ意識も希薄だったため、この点をチーム全体でしっかりと見直そうという話になりました。チームの雰囲気という点でも、例年と比べ、選手同士でガンガン言い合えるような空気が乏しかったので、練習の段階からもっと言い合っていこうと。ケンカになってもいいくらいの勢いでいこうじゃないかと」

 秋季大会を通じての投球内容も寺島自身、納得できるものではなかった。「夏はボールが指にしっかりかかって、低めのボールも伸びていくような感覚があったんですけど、秋の大会が進むにつれて、ストレートのキレが悪くなっていき、低めのボールも垂れる感じになっていって。納得のいく真っすぐとは程遠かったため、どうしても変化球を多めに使ったごまかしの投球になってしまった」

 オフシーズンに突入した現在、「ストレートのキレはかなり戻ってきました」と寺島。「ピッチングコーチと話し合った結果、体が横振りになり、開きが早くなった分、腕が遅れてしまい、結果的に手投げになってしまっていることがストレートが悪くなっている原因じゃないかと。グラブを持った右手が体の外側に流れないように意識したところ、指にかかったボールが随分と増えてきました」と手応えを感じている。

[page_break:無意識のレベルで気負いすぎていた / 高校ラストイヤーに向けて]

 現在のストレートの最速は高2の6月にマークした148キロ。寺島は「数字が全てじゃないですけど…」と前置きした後「高校の間にプラス2キロの150キロを投げてみたい」と続けた。「ただしマックスだけじゃなく球速のアベレージを上げる必要がある。今の平均は130キロ後半ですけど、これを140キロ前半まで上げたい。体力面を強化し、全力で投げられる割合を増やしても疲れない体を手に入れることがポイントだと思っています」

無意識のレベルで気負いすぎていた

寺島 成輝投手(履正社高等学校)

「高校に入学して以来、ずっと『あの2人についていけば大丈夫!』と思いながらやってきたので。新チームになってから、引っ張ってくれる存在が突然いなくなってしまい、どうしたらいいんだろうと感じたことは事実です」

 入学以来、頼もしい存在だった溝田、永谷がいなくなったことによる喪失感と戸惑いは「想像していた以上だった」と寺島は告白した。「意識も高かったですし、自分にないものを持っておられる先輩2人だった。いつも手本にしていた存在がいなくなってしまったことでものすごく不安になってしまった」

 寺島は溝田に心の内を打ち明けた。「『そんなん、俺らをいつまでも追いかけんでもいいやろ。自分のやり方でやったらいいんや』と言ってくださって。気持ちがすっと楽になりました」

 ピッチングコーチからは「試合でピッチャーをしているときもキャプテンの責任感を背負いすぎていないか?」と指摘された。溝田、永谷とともに形成していた3本柱が1本になったことで生じた「自分がやらなくては」という気負いも望む結果を阻む要因となっていた。「無意識のうちにかなり気負っていたことに気づかされました。背負っているものを降ろして、いい意味で無責任になった方がチームのためになるのかもしれないと。これからは自分が投げているときは、ゲームの最中も極力、副キャプテンに任せようと思っています」

高校ラストイヤーに向けて

 迎えた2016年。寺島は高校ラストイヤーに向けての意気込みを次のように語った。「残る甲子園出場のチャンスは夏の1回だけ。でも夏に焦点を置きすぎると『まだ時間はたっぷりある』と思ってしまう。それだと日々の取り組みがぼやけたものになりかねないので、目標と課題を短いスパンで設定し直し、個人としてもチームとしても大きなレベルアップを果たして最後の夏を迎えたい」

 寺島は「たしかに大阪は激戦区。でも…」と前置きした後、続けた。「実力もさることながら、気持ちの差が明暗をわける要素が大きいのが夏の大会。最終的には『甲子園に行きたい!』という気持ちが一番強いチームが勝つんじゃないかと思っています」

 最後に2016年への気持ちを表した言葉をお願いし、色紙を手渡した。マジックペンで力強くしたためられた言葉は「願いを現実に」。寺島主将率いる履正社ナインの2016年の熱き戦いに注目したい。

(取材・文/服部 健太郎)

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