県立大島高等学校(鹿児島)【前編】

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甲子園は「夢」から「目標」へ「経験」を力に変えて

「『夢』だった甲子園が『目標』に変わったと思います」白井 翔吾主将(3年)の父・雄之さんは言う。14年、大島が21世紀枠でセンバツに出場し、鹿児島の離島勢として初めて甲子園の土を踏んだ。2年生でレギュラー捕手だった息子をはじめ、奄美大島で育った球児たちが甲子園でプレーする姿はまさに「夢のようだった」。

 雄之さん自身も奄美で生まれ育った野球少年だが、高校は地元ではなく本土の強豪校だった。甲子園を目指そうと思ったら、島を出る以外の選択肢はないと思っていた。

 だが約20年後、地元の学校、地元で育った子供たちが甲子園に出るという「現実」を目の当たりにした。島の子供たちにとって、遥か彼方にある「夢」の世界だった甲子園も、今では現実的な「目標」として語れる世界になったのではないか。あれから約1年3カ月、夏の甲子園を目指す現チームや、少年野球で教えている島の小学生たちを見ながら、そんなことを実感しているという。

「経験」を力に変える

試合中、ベンチからの伝令の内容は選手の自主性に任せてある(県立大島高等学校)

「私より、子供たちの方が甲子園に行きたい強い気持ちを持っていました」チームを率いて7年目の渡邉 恵尋監督が振り返る。

 91年から高校教員を始めて今年で25年目になる。この間、高山、川辺、武岡台と赴任し、監督歴は14年。部長、副部長などの裏方も長かった。大島に来るまでは初任の高山でベスト8が監督としての最高戦績。それが大島の6年間でベスト4が4回(13年春、同秋、14年NHK旗、15年春)あり、14年はセンバツ甲子園、九州大会も経験した。

 春に好成績を残したチームが選ばれる5月の南日本招待野球やNHK旗には3年連続出場。かつて1回戦ボーイが指定席だった鹿児島の離島勢としては群を抜く好成績であり、神村学園、樟南、鹿児島実などの強豪私学以外の公立校で、近年これに比肩するほどの好成績を残しているチームはない。

 何か特別な指導法、人生を変えるような一大事でもあったのかと想像してしまうが、渡邉監督は「良い選手に恵まれた。運が良かっただけです」と言う。

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[page_break:ちゃんとした高校野球をやる]ちゃんとした高校野球をやる

渡邉 恵尋監督(県立大島高等学校)

 渡邉 恵尋監督の原点には「ちゃんとした高校野球をやっていない」という思いがある。無論、鹿屋で野球部員だった頃は、学業との両立を図りながら、野球も真剣に打ち込んだ。「ちゃんとした高校野球」とは、強豪私学のように甲子園を宿命づけられるほど野球に没頭するという意味だ。福岡教育大時代は硬式野球部に入っていない。

 昨年のセンバツで、大会前に「出場チームの指導者で、大学野球経験者が誰もいないのはうちぐらいかも」と苦笑していた。渡邉監督、吉永 一郎部長、有水 進一副部長、3人とも高校は経験者だが、大学では硬式野球をしていなかった。智辯和歌山・高嶋 仁監督、横浜・渡辺 元智監督…キラ星のように並ぶ著名な指導者が一堂に会した場所で「名刺を配ってあいさつして回った」ことを懐かしく思い出す。

 教員になって野球部に関わるようになって一通りの勉強はしているが「これという指導理念は持っていない」。だからこそ、謙虚に学ぶ姿勢を持ち続けていた。「川辺で筒井 正先生、武岡台で森口 洋先生のもとで学べたのが大きかった」と振り返る。時間があれば部員よりも先にグラウンドに来て、ラインを引いたり、トンボをかけたりする。これは元九州高野連理事長も務めた森口さんの教えだ。

 センバツの龍谷大平安(京都)戦(試合レポート)の直前には、前神村学園監督の山本 常夫さんに走塁のコツを教わっている。昨年12月には元横浜部長の小倉 清一郎さんを島に招いて指導してもらった。「70歳を過ぎても、あんなに熱く高校生に接するんですよ」と渡邉監督は目を輝かせる。その時に学んだのは「キャッチボールの大切さ」だった。キャッチボールは「投げる」ことよりも「捕る」ことを大事にする。ワンバウンドでも、大きく反れるボールでも、それを捕れる位置に自分が移動することで守備の感覚が養える。今年のチームは堅守が売りだが「この時の経験が大きい」と言う。

「離島のハンディー」の一つに、練習試合などの経験や、豊富な知識、経験を持つ人やチームから受ける刺激が少ないことが挙げられる。ここ数年勝ち上がっていく中で、負けて苦い思いをすることも度々あったが、渡邉監督は「この経験を次に生かしたい」と常々言い続けてきた。

 長期滞在のノウハウ、普段とは違うホテル暮らしでのコンディションの整え方、センバツや九州大会、招待野球などで有名チームと対戦できたこと、人との出会い…数少ない貴重な経験だからこそ、それらを大切にしてチームの「力」に変えてきた。そのための人脈作りや下準備には労を惜しまなかった。

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[page_break:指導者の個性]指導者の個性

渡邉 恵尋監督の指示に耳を傾ける県立大島高等学校ナイン

 指導者にはいろんなタイプがある。「俺についてこい」と引っ張る熱血漢、斬新なアイディアを積極的に取り入れる革命児、野球について深く考える哲学家、冷徹に勝敗に徹する勝負師…監督の個性に応じて様々な指導や采配がある。渡邉 恵尋監督はどんな指導者だろうか?

「上から目線で子供たちに指導しない。欠点を指摘するよりは、長所を見つけて伸ばそうとする」武岡台で同僚だった森口 洋さんはこう評する。野球に対する考え方は「いたってシンプルだと思います」とは本人の弁。

 好きなのは打撃。スイングを速くする点を重視しているのは「130キロの速球に振り負けず、相手投手を威圧する」ためだ。打撃練習は自由に打たせて、監督は横でひたすらノックを打っている。気づいた点があれば指摘はするが、基本的に口を挟むことはない。「生徒の中にはそれが楽しみで学校に来ているのもいますから」と苦笑する。練習メニューは基本的に全員に同じことをさせてチャンスを平等に与える。その姿勢はセンバツの甲子園練習でも貫いた。

 試合中のベンチでは、陣頭に立って選手を引っ張るというよりは、どっしり構えて選手を見守っている印象がある。采配はオーソドックスで、奇手奇策を用いることはあまりない。「試合中にあれこれ細かいことを言っても、ミスを恐れて委縮するだけ。シンプルに考えた方が案外うまくいく」

 選手の力を引き出すことに重点を置いているので、勝った時は持ち味を存分に発揮したドラマチックな試合が多い。打力に自信があった昨年のチームは13年秋3回戦の鹿児島玉龍戦や、準々決勝の樟南戦、14年5月のNHK旗準々決勝の樟南戦のような打撃戦、投手と守備に自信のある今年は15年春2回戦の川内戦、15年5月のNHK旗2回戦の鹿児島工戦のような1点を争う緊迫した守り合いの試合が好例だ。反面、あまり勝負に対してガツガツいく方ではないので、負けるときはあっさり負けることもある。

 選手の個性を尊重し、手綱を引き締めるところは締める。そんな指導法が「島の子供たちの気質に合っているのではないか」と森口さん。喜界での監督経験もある森口さんは、渡邉監督が大島に赴任する際「島の子供たちは上からガミガミ言ってもついてこない。そのかわりこの人と思い込んだら、とことんついてくる」とアドバイスしたことを覚えている。

 昨年であれば主将の重原 龍成、4番・小野 浩之介、今年のエース前山 優樹(3年)、白井 翔吾主将といった、強豪校も欲しがった力のある選手たちが大島に進学し、そこで集まった仲間たちと、前述したように「監督以上に甲子園に行きたい気持ち」(渡邉監督)を存分に発揮してつかんだのが昨春のセンバツだった。

 前編では大島が鹿児島県を代表する強豪へ育つまでの過程について振り返った。後編では、この夏へ向けての意気込みを伺った。

(取材・写真:政 純一郎)

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