日本人サラリーマンの生活態度を変えなければ、世界で売れるものなど作れない!?

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日本の大手電機メーカーが苦境に立たされている。世界最強のエンジニア集団を有し、長年にわたり日本経済をけん引してきた存在が、このような状況に陥ってしまったのはどうしてだろうか。

最大の問題は、日本人サラリーマンが「機械を知って人間を知らない」ところにある。つまり技術はあるが、製品を使う人が感じ考えるところを理解していない、ということだ。


スペック志向から脱却できない日本メーカー


日本製の電気製品が世界を長年席巻してきたのは、性能が高かったから。しかし今やパソコン、テレビ、白物家電といった電気製品の製造はグローバル化し、メーカーの違いによる技術的な優劣は非常に小さくなった。


たとえばパソコンは、それぞれの会社が作ったCPUやハードディスクや液晶を幕の内弁当のように箱に詰めたようなものだ。世界的な大手企業の作った最新の製品であれば、まず十分な性能を有している。


だから先進国の消費者は、スペックで製品を選ぶことは少なくなった。使い勝手やデザイン、ブランド…。つまり個人の嗜好に基づいて決める。今や消費者向けの製品における主戦場は、技術力ではないということだ。


こうなると、今まで日本企業が得意だった「とりたてて魅力的でも個性的でもないが、性能が高く壊れにくい」という製品の入り込む余地は少なくなる。


そんな状況でも我が国の大手電機メーカーは、技術偏重のスタンスを続けた。それは日本のエンジニアが技術以外の能力を伸ばすことができなかったからだ。


これは、日本人サラリーマンのライフスタイルの問題に起因する。



アップルの下請けでは利益が少なすぎる


日本の多くのサラリーマン家庭では、伝統的に妻が家庭内のマネジメント全般を取り仕切ってきた。衣食住、家計、子どもの教育、家族の健康管理や冠婚葬祭等々、生活に関する重要な事柄のほとんどは妻が牛耳ってきた。


そのため夫であるサラリーマンは、「生活」にはタッチしない状況が続いてきた。このシステムのおかげで会社の仕事に専念できたが、一方で技術のことしか考えることのできない単細胞エンジニアが大量に生み出されることにもなった。


わき目を振らずテクノロジーを追及するというのは、ノーベル賞を狙うような科学者にとっては正しい態度かもしれないが、人間が使う商品を作る観点からは問題だ。技術ばかりを重視すると、使う人に魅力的でないものとなってしまうおそれがある。


日本のメーカーは純粋に技術の勝負であれば、まだまだ強い。たとえばiPhoneには日本の技術が多く貢献しているので、今後は電子部品や素材メーカーとして生き残ればよい、という意見がある。


しかし、部品メーカーのマージンは低めに抑えられる傾向にある。カリフォルニア大のケネス・クレーマー教授他の研究(2011年7月付)によると、iPhoneの売上のうち、日本の企業が受け取った利益は全体のたった0.5%であるという。


一方、アップル社自身の利益率はなんと58.5%にのぼる。あなたがiPhoneを買うのに支払った金の半分以上は、アップルの儲けとなっているということだ。iPhone5になって日本メーカーが部品に占める割合は増えたそうだが、やはり最終製品を握れない会社は弱い。



「人間らしい」活動をすることから始めよう


日本の大手電機メーカーが復活するには、製品に技術以外のプラスアルファの価値をつけるしかないと思う。これは前述のように日本の伝統の深いところにまで関係している問題であり、困難な課題だ。しかし改革は不可能ではないはずだ。


どうすればよいか? エンジニアをはじめとして、マーケターや経営幹部を含めた日本のサラリーマンの生活パターンを変えることにつきる。今後は生活の一定割合は、技術以外のことに振り向けることが重要だ。


日本のサラリーマンには、衣食住にこだわりが少なく、女性や若者の動向に無頓着で、文化や芸術に無関心、という人が多い(もちろん例外も多数いるが)。


iPhoneのような製品を生み出すためには、技術の可能性を追求するだけでは足りない。日々の生活を豊かに過ごすことを最優先し、私たちに足りないのは何か、どんな商品やサービスが私たちを豊かにするのか、深く考えることが必要だろう。


そのためには、組織集団に従属するのではなく、個人を大切にした「人間らしい」活動に時間を当てるべきだろう。まずは長時間労働をやめ、終業後の同僚との飲み会も減らす。ぼんやりとテレビを見る時間を少なくし、落ち着いた思索ができる時間と場所を確保することも欠かせない。(小田切尚登)