東京ヤクルトスワローズの小野寺力投手が戦力外通告を受けてしまった。予感していたことがこうして現実となると、驚きはなくとも寂しい気持ちでいっぱいになってしまう。ファンとしては野球人生の最後をライオンズで、という思いが強い。しかし小野寺投手は長年肩痛に苦しんでいる。いくら西武球団が小野寺投手のライオンズ復帰を望んだとしても、現実的に考えれば、肩痛を抱えた速球派投手を雇用することはないだろう。

小野寺投手のブログを読んでいると、トライアウトは受けないようだ。トライアウトを受けて、少しでもアピールをして、契約先を見つけて欲しい思いもある。しかしこれは、小野寺投手はプロに入った時から決めていたようだ。トライアウトは受けない、と。これはこれで潔い決心だとは思うが、それでもファンとしてはやはり、最後にもう一花咲かせてもらいたいという思いが募るばかりだ。

小野寺投手ほどファンを愛してくれた選手は、果たしてこれまで存在しただろうか。ファンが企画したオフイベントに顔を出し、マイクを手にし、スーパーマーケットの前で一緒に応援歌を歌ってくれる選手がこれまでいただろうか。ファンが愛する以上に、小野寺投手はファンを愛してくれた。だがその優しさ故にプロでは通用しなかったという声もあった。だが筆者はその優しさ故にこそ、小野寺投手にはライオンズの守護神として君臨し続けて欲しかった。

小野寺投手が最も輝いたのは、やはり2006年だろうか。7勝3敗29セーブという好成績を挙げ、FA移籍をしていた絶対的守護神・豊田清投手の穴を見事埋めて見せた。7月までは防御率も1点台をキープし、まだ飛ぶボールが使われていた時期にも関わらず、この防御率と被本塁打2というのは、特筆すべき数字だったと思う。そして好調を維持した7月には、月間MVPも受賞している。

だがその後は年々成績が下降して行った。肩痛に苦しんだのだろう。投球フォームでもL字ステップを取り入れるなどし、制球力を重視し、少しでも肩への負荷を軽減させようと試みたものの、痛みを消すまでには至らなかったようだ。本当に不本意だったと思う。肩痛さえなければという思いもあったと思う。しかし小野寺投手は決して言い訳をすることなく、多くの批判を受け入れてきた。時には心無い批判もあったと思う。だが小野寺投手はそれに屈することなく、投げ続けた。

筆者は幾度となく小野寺投手を応援する記事を書いてきたが、その度に「なぜ小野寺?」という反論メールが届いた。中には本当に心無い内容のメールもあった。しかしそれでも筆者は、小野寺投手に復活をしてもらいたいという率直な思いを失うことはなかった。そしてもちろん今でもそうだ。願わくば、小野寺投手にはもう一花咲かせてもらいたい。ライオンズでなら最高だが、他球団でだって構わない。もう一度、あのフォークボールで三振を奪い続ける姿を見せてもらいたい。

だが小野寺投手の言葉からは、もうプロへの未練はないようにも感じられる。もう契約をしてもらえることはないと、すでに悟っているのかもしれない。だとすれば、ファンとしては静かに見送ってあげるのが最良の応援となるだろうか。小野寺投手が今後どのような道を歩んでいくのかは分からない。引退をしたのちもブログやfacebookを続けてくれるのかも分からない。だが筆者はファンとして、ライオンズに小野寺力という素晴らしい投手が在籍していたことを、今後もずっと忘れずにいたい。そして今後どのような道を歩んでいくにしても、小野寺力投手を応援し続けたい。