バブル崩壊後の長引く不況に、山一証券やダイエーといった大手企業が経営破綻を受け、「もはや会社が安住の地ではなくなった」と識者が不安を煽りました。

そこに、「勝ち組」と称された「ヒルズ族」の成功物語に描かれた「ホームページ」の可能性と「PC一台で商売を始めた」というエピソードが「起業は簡単」という幻想を大きくし、「起業」がブームとなりました。

著者もPC一台で起業した一人です。

起業は確かに簡単です。

実は、筆者の場合も簡単でした。

しかし、しばらくするとこの春から始まった連載の「ビジネス書カスタマイズ」のタイトルに掲げたように、起業したら「月商3万円」になりました。

これでは家賃も払えません。

商売を始めるのは簡単ですが、続けていくのは簡単ではありません。

H社長が「起業」したのは2008年。

築城400年を迎えた彦根城のイメージキャラクター「ひこにゃん」が全国ニュースで取り上げられていた頃です。

そこで、「ゆるキャラによる街おこしプロデューサー」を名乗りました。

「クリエーターがデザインするので、ワンランク上の『ゆるキャラ』が出来上がる」というのがセールスポイントです。

クリエーター……と言っても、食べることにさえ困る芸術家の卵を探すのは簡単で、仕事が決まってから発注する契約にしたことで、初期費用がいらないビジネスモデルが起業のハードルを下げました。

成功が約束されたかのような船出でした。

ある自治体が「創業者支援」として始めた貸し出しオフィスの申し込みに役所の窓口へ出向くと、自治体の職員が「創業支援コンクール」への参加を勧めます。

そこで「ゆるキャラによる街おこし」という、ひねりのない「思いつき100%」の企画を提出するとグランプリを獲得し、自治体の「広報担当ゆるキャラ」という正式な仕事として依頼されます。

オフィスと仕事が同時に舞い込んできたのです。

仮に、このゆるキャラの名前を「ピコにゃん」としておきます。

ブームも手伝い「ピコにゃん」は各種メディアで紹介されて、みるみる知名度を上げました。

しかし、快進撃は最初の1年でピタリと止まります。

「ピコにゃん」は今も活躍中ですが、それによる利益はわずかです。

昨今の厳しい財政状況から、役所からの支援は1年で終了し、「広報担当」から「公認」へと肩書きが書き換えられます。

「ピコにゃん」の着ぐるみを市内のイベントに貸し出しますが、得られる利益はスズメの涙です。

PR会社を通じた売り込みの成果により、メディア露出は継続していますが、バラエティ番組への出演料は「薄謝」が基本で「記念品」すらもらえないことも珍しくありません。

はっきり言えば「ピコにゃん」は赤字です。

それでも継続できるのは、H社長の本業である「行政書士」の収益があるからです。

「ゆるキャラのデザイン」に目をつけたのは、書類や手続きに疎い一方、権利者である「クリエーター」の代理人を目指してのことでした。

自ら市場を創り出す発想は素晴らしかったのですが、そもそも「ゆるキャラ」とは、自治体職員の落書き程度のクオリティで成立するもので、クリエーターにわざわざ発注する必然性がありません。

それは、「駄菓子」を有名パティシエに創作させようとするようなもので、発想はよくても「ゆるキャラ」という商材の選定で失敗していたのです。

これだけなら普通の商売における失敗ですが、さらにネット絡みの起業が陥りやすい泥沼がありました。

それは「ホームページ0.2」です。

Webには「ピコにゃん」のオフィシャルサイト、ブログがあり、会社のホームページも「あのピコにゃんをプロデュース」と掲げています。