ふだん何気なく押しているバスの降車ボタンは、古くからあったわけではありません。日本で独自の発展を遂げた降車ボタン、どのような背景から誕生したのでしょうか。

ワンマンバスの普及にともない登場

 押すと「とまります」というランプが光るバスの降車ボタン、じつはこのボタンは日本で独自の発展を遂げたものです。


オージ製の降車ボタン。ガードの色がピンクのものを採用している高速バスも(乗りものニュース編集部撮影)。

 そもそも、かつてのバスにこのようなボタンはありませんでした。それは、運転手のほかに車掌が同乗していたため。運賃の受け取りや降りる乗客の把握といった各種業務を車掌が行っていたのです。しかし人件費の問題から、現在のような運転手だけのワンマンバスが登場。日本で初めてのワンマンバスを走らせたのは大阪市交通局で、1951(昭和26)年のことです。

 やがてワンマンバスが主流になっていくなかで、運転手の仕事をできるだけ機械化し、業務量を減らすことが必要になってきます。そこで登場したのが運賃箱や方向幕巻取機、そして降車ボタンでした。

 ボタンを押すと光る降車ボタンを日本で初めて開発したのは王子ダイカスト工業、現在の株式会社オージ(東京都北区)です。同社は1962(昭和37)年、当時手巻き式だったバスの行先方向幕を電動化した商品を開発し、これがバス業界でヒット。その翌年に、日本初のランプ付きメモリーブザー(降車合図装置)を開発しました。こうした商品をきっかけに、同社はバス関連機器専門のメーカーとしての歩みを進めていくことになります。

日本で独自に進化 細かな配慮がデザインに

 1970年代から1990年代にかけては、ゴールドキング(名古屋市中川区)、レゾナント・システムズ(横浜市鶴見区)、ナイルス部品販売(東京都大田区)など、各社が降車ボタンの製造を行い、形やランプ、ボタンの大小、「とまります」といった文言が異なる様々なタイプのボタンが登場しました。なお、海外では現在でも「STOP」などと書いてあるだけのボタンをよく見かけますが、ランプが光るタイプを進化させてきたのは元祖の日本と、日本のバスが輸出されてその文化が定着した韓国、台湾くらいです。

 しかしこれらメーカーは、バス架装メーカーの統合などにともない徐々に撤退。2004(平成16)年にバス関連団体が車体仕様や使用部品の規格を定めた『バス車体規格集』において、バリアフリータイプの降車ボタンが定義されたあとは、オージと岐阜県のレシップ、この2社のみが降車ボタンを製造しています。

 現在の降車ボタンは誰もが押しやすいよう、場所に応じた取り付け位置の高さも規格化されています。押しやすさだけでなく、押し間違いを防止するデザインもポイント。大きなボタンが飛び出たタイプもあれば、ボタンとランプを取り囲むガードが出っ張った誤操作防止タイプもあるなど、取り付ける場所に応じて選択されます。


段差で乗客の足元を照らすステップライト(画像:オージ)。

 ちなみに、日本で走っているバスに取り付けられた降車ボタンの半数以上はオージ製のものです。観光バスの段差に取り付けて乗客に注意を促すステップライトや、緊急時にボタンを押して乗務員に異常を知らせる緊急連絡システムなど、バス関連機器専門メーカーとして乗客の安全を守るための機器も販売しています。

記事制作協力:風来堂

【写真】好きなだけ押せる降車ボタンも!?


東急バスが2015年に発売した「降車ボタンキット」。ボイスレコーダー内蔵で、ボタンを押したあと、自分が録音した音声を流すこともできる(乗りものニュース編集部撮影)。