貧困の状態に置かれた家族を描き続ける漫画家・さいきまこさんが、今伝えたいこととは?(撮影:尾形文繁)

貧困の状況に置かれた子どもたちや家族の現実を描き続ける、漫画家・さいきまこさん。
どこにでもいそうな幸せな家族が、夫の病を機に貧困に陥り、周囲の偏見にさらされつつも生活保護を受給して前に進みだす過程を描いた『陽のあたる家』(2014年貧困ジャーナリズム大賞特別賞受賞)。目に見えづらい貧困の状況で将来への希望を失う子どもたちを描いた『神様の背中』など、次々と話題作を発表しています。
苦しい状況の人々が互いをたたき合う光景がしばしば繰り広げられる、いまの日本社会。なぜ人々は不寛容になるのでしょうか? さいきさんに、お話を聞かせてもらいました。

なぜ間違った情報が広まるのか

――さいきさんはこれまでの作品で、思いがけず突然貧困に陥って苦しむ家族の姿、またその人たちの命が生活保護によって救われる様子を、丹念に描いていらっしゃいます。また最新刊『助け合いたい』では、「家族で助け合わねば」という“良心的”な気持ちと行動によって、老夫婦と息子や娘が、どんどん悪い状況に追い詰められていってしまう様子を伝えています。最初はなぜ、貧困や生活保護のことを描こうと思われたんでしょうか?

離婚してシングルマザーになってしばらく後に、老後はどうなるだろう? と思って老齢基礎年金を調べたら、驚くほど少ない額でした。「これでは生きていけない、どうしよう」と不安でノイローゼになりかけたとき、生活保護のことを知って、「どうしようもなくなれば、これがある」と思い、救われたことがありました。

ところが2012年、人気お笑い芸人の親御さんが生活保護を受けていることが連日報道され、バッシングが起きました。でも調べてみたら、親御さんは正規の手続きを踏んで受給していたし、ご本人も一定額の仕送りをしていて、不正受給でもなんでもなかった。なのにマスコミも一部の政治家も「生活保護は不正だらけ」「受給は恥ずかしいこと」というメッセージを発し、生活保護制度そのものや受給者のことをたたき続けました。

「このままでは世間はずっと生活保護を誤解したままだ」と思い、将来の自分の備えのためにも、生活保護制度の仕組みや、受給者の姿を漫画で描こうと思ったんです。

――作品を発表されて、世間の反応はいかがでしたか? 作品を読まずに「生活保護を肯定するなんて」とたたいてくる人もいるのでは。

読んでくださった人は「自分もいつ受給するかもしれないと、身につまされた」「制度を誤解していた」という感想を寄せてくださっています。でも、読まずにたたく人も残念ながら多いですね。それから、「私が知っている生活保護受給者は、こんなに心がまっすぐじゃない」という反応もありました。


(撮影:尾形文繁)

でもよく聞いてみると、誤解や勘違いがすごく多いんです。たとえば「近所にブランドもので着飾った受給者がいる」という。でも、それが本物のブランド品だという確証があるわけではないんです。その人が本当に生活保護を受給しているのか、それすらあいまいだったりもします。

「ベンツに乗っている受給者がいる」という話も耳にしますが、これはもう都市伝説といっていい。そもそも生活保護では、車の保有を原則として認めていません。このことは、困窮している人の生活保護受給や自立生活を妨げるとして、問題視されているほどです。本来は、公共交通機関の利用が著しく困難な地域で、通勤や通院に必要な場合など、保有が認められるケースがあるのですが、実際にはなかなか認められない。生活の足となっている古い軽自動車を、受給のために泣く泣く手放すのが現実です。この現状で「ベンツうんぬん」という話は、笑止というほかありません。

それから3年前、朝の情報番組で「裕福な実家で生活保護を受給しているシングルマザーがいる」という投書が読み上げられていましたが、それもありえないことです。受給の決定には、徹底した資産調査が行われます。そもそも、その家庭が本当に裕福かどうか、外から見ただけではわからないものです。受給しているのが児童扶養手当(ひとり親家庭に支給されるおカネ)なのに、それと混同されているケースもあります。

――そうした間違った情報に接した人が、「こんなズルい不正受給者がいるんだって」と話を拡散して、誤解を広めてしまうんですね。

そうですね。世間では、生活保護受給者の大半が不正受給をしているかのようにいわれますが、実際の不正受給の額は、全体の0.45%にすぎません。

それから、「不正」のイメージ。裕福なのに偽装工作して受給する、などをイメージする人が多いようです。ですが、さきほども説明したように、受給に至るには厳しい資産調査がありますので、そういうケースはほとんどありません。

不正受給の多くは、年金や、働いて得た収入などを申告しなかった、というものです。生活保護は、収入があれば、その金額の分が保護費から減額される仕組みです。けれど申告しないと、その金額分も支給されてしまいます。これが「不正受給」となるのです。

こうした不正は、役所が給与や年金の情報を照合することで、簡単に発覚します。不正受給といえば、入念に仕組まれたイメージがありますが、悪意のない「うっかり」レベルのものも相当数あるのです。もちろん、どのようなケースであっても、不正が許されないことは言うまでもありません。

表層だけ見れば「けしからん!」と思うけれど

それから、「私が知っている生活保護受給者は、こんなに心がまっすぐじゃない」という意見。確かに、中には「だらしがない」と思われるような生活をしている人もいます。よくたたかれるのは、支給されたおカネを飲酒やギャンブルに使ってしまうケースです。子どもの養育をきちんとせずに、パチンコをしていたり。

でも、それは「だらしがない」とたたいて済ませられることではありません。ギャンブルがやめられないなら、まず依存症が疑われます。そうであれば、医療につなげるべきです。それに、生活保護でパチンコやギャンブルをするのは、あくまでも一部の人にすぎません。しかも限られた保護費では、つぎ込める金額も知れています。そもそも、支給された保護費の使い道は基本的に本人の自由ですし。

そうはいっても目に余る、と思うかもしれません。でも、「だらしがない」ように見える人には、それなりの背景があります。子どもの頃にネグレクト(養育すべき者が食事や衣服等の世話を怠り、放置すること。育児放棄)や虐待されて育っていたり、文化基盤のない家庭環境で、家計を切り回す知恵を育めないまま大人になってしまったり。

表層だけ見て「けしからん!」と思ってしまう気持ちはわかります。でも、感情で切って捨てられるほど、人の背景は単純ではない。取材していると、そう感じます。

――確かに、たたいてしまう人もいるかもしれないですね。わたしも、そういった背景を、想像しきれないことがあります。

自分が経験していないことを想像するのは、難しいと思います。私も、全部想像できているわけではありません。取材して、初めて知ったことや、見えてきたことがあって、やっと少し想像が及ぶようになりました。

どんなに想像できなくても、「自分の想像が及ばない背景を抱えた人がいる」というのは事実です。その事実を、知っていただけたらと思います。

わたしが漫画を描くのは、そのためでもあります。「貧困は自己責任だ」という人があまりにも多いので、「一見、自己責任に見えるような人にも、こんなしんどい背景があるんだ」ということを、作品で伝えられればと。

わたしの作品を読んで、「こんな状況って特殊でしょ? だって日本は豊かだし、私のまわりには貧困の人なんかいないよ」と言う人もいます。そういう人が住んでいる地域は、「子どもはみんな小学校から私立」だったりします。

貧困は偏在するものです。居住地域や環境によっては、「まわりはみんな、余裕のある人ばかり」になる。だから、そういう人にこそ、お読みいただけたらうれしいです。

――学校の先生たちも、子どもたちの背景にもう少し想像力をもってくれたら、と思います。前作『神様の背中』の主人公も、自分が貧困に陥るまで、苦しい状況にある子どもに気づかなかったことを後悔していましたね。

学校の先生は、ある程度文化的な基盤のある家庭に育った人が多いことが、原因の1つにあると思います。


さいきまこさんの最新刊『助け合いたい』(撮影:尾形文繁)

昔は、苦学して教員になる道がありました。大学生が少なかったので、家庭教師はいいアルバイトになった。教員になれば奨学金の返済が免除される制度もありました。でも今は、そんな制度もなく、アルバイトも低賃金です。教育実習も今は1カ月間ですが、苦学生はアルバイトを1カ月も休んだら、生活していけない。だから、教職課程はとれない。社会福祉士養成課程も、1カ月の実習があるので同様です。

教育や福祉に携わる人には、貧困問題の知識と理解が必要です。でも、それを肌身で感じている人が、なれない職業になりつつある。

だからせめて、さまざまな背景をもつ人がいるということを、できるだけ多く発信していけたらと思っています。

自分が貧しいとは誰だって思いたくない

――特に裕福でもなく、いつか生活保護を使うかもしれないのに、「自分は関係ない」と思って、生活保護をたたいている人もいるかもしれません。どうしてそうなるのでしょうか?

いま、日本の相対的貧困率は15.6%なんですけれど(厚労省「平成28年国民生活基礎調査」)、自分の生活の程度を「下」と答える人は、5%しかいません(内閣府「平成29年世論調査」/選択肢は「上/中の上/中の中/中の下・下」の5段階)。

つまり、「実際はしんどいけれど意識は中流」という人が多いんです。自分が貧しいとは、誰だって思いたくない。

以前、ある新聞記者さんが「貧困状態の人を取材しても、みんな『自分の貧困なんて大したことない』『もっと大変な人がいる、私なんか、まだ貧困じゃない』と言う」とおっしゃっていました。

理由は2つあると思います。1つは、本当にそう思っている、ということ。「しんどくても意識は中流」ということです。

もう1つは、プライド。年収1千万を超える新聞記者に「わたし、貧乏で困っているんです」なんて、言いたくないでしょう。新聞記者に限らず、誰かに「自分は貧しい」なんて話をしたがる人は、まずいないと思います。

――言いませんね。

その裏返しが、本音を言う人をたたく傾向だと思います。

昨年、NHKのニュースで報道された貧困家庭の女子高生が、「その程度は貧困じゃない!」などと、ネット上で凄まじくたたかれました。

それは多分、こういうことです。実際の自分の生活は5段階の「1」なんだけれど、せめて「2」だと思いたい。でも、「わたしは『1』です」と言う人が現れて、その人の生活が自分とあまり差がなかったら、「いやいや、それは『1』じゃない!」と言いたくなる。住む家も着るものもない、餓死寸前のレベルでなければ「1」だとは認めない、ということではないでしょうか。

――なるほど、それはすごく納得します……。(自分を「2」と思えなくなったら)辛いですからね。

後編に続く)