都井睦雄はどんな思いでここを駆け抜けたのか

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 事件から70年以上が過ぎたにもかかわらず、未だ頻繁に語られる事件がある。それが「津山30人殺し」だ。

 1938年5月21日、岡山県で発生した日本犯罪史上、最大の大量殺人事件だ。

 犯人は当時21歳の都井睦雄青年。被害者の数はもちろんだが、犯行の際の「学生服に軍用ゲートルを巻き、鉢巻で懐中電灯を2本頭に括りつけ、日本刀と散弾銃で武装」という姿がとても恐ろしい事件だった。

 横溝正史の『八つ墓村』のモデルになったのは有名だが、ノンフィクション小説の『丑三つの村』は古尾谷雅人が主演で映画化されているし、ゲーム『SIREN』、岩井志麻子作『夜啼きの森』など、強く影響を受けた作品も多い。

 そんな有名な事件の現場なら見てみたい!! というワケで、実際に足を運んでみた。

未だ事件の記憶を残す集落

 岡山駅に到着後、ことぶきに乗り1時間半ほどで津山に到着。そこから、因美線に乗り換え30分、事件の最寄り駅JR美作加茂(みまさかかも)駅に到着した。

 さらに、駅から1時間ほど田畑が広がる道を歩いて、やっと事件が起こった集落にたどりついた。現場に着いた時点でかなり疲労してしまった。しかし集落といってもかなり広く、どこが殺人のスタートラインなのか分からない。ちなみに最初の殺人は、都井睦雄が自宅にて、自分の祖母の首を手斧ではねた。

 たまたま通りすがりの家から出てきた老人に話しかける。住人は、事件に対してセンシティブに反応すると、誰かに聞いたので、少し緊張しながら話しかける。

「おお、そうですか!! 残念ですのう。津山事件の警察の資料があったんですけどのう。前に火事でのうなってしまいましたわ!!」

 とかなりハイテンションで答えてくれた。予想外の展開である。

 犯人が殺人の後、自宅の前を通ったという事実を、喜々として話してくれた。

「事件の時は4〜5歳だったと思うんですけどな。事件で警察や見物人や新聞社が、いっぱい来ましてな。その時初めて自動車を見まして、興奮しましたわ」

 まだ道路も整備されていない昔だという。

 お爺さんに現場への行き方を聞いて、その場を離れる。しばらく歩いて、目印になる「貝尾」と書かれた看板を見つけた。

 そこからしばらく行った所に、都井睦雄と祖母が生活していた自宅跡があった。ただし、今は取り壊して、新しい立派な建物が建っている。なかなか肝の座ったオーナーだ。

 だが家から外に出た場所にある、塀や家々は古い。おそらくほとんど当時のままの光景だろう。都井睦雄が毎日のように見て、そして事件当日最後に見たビジョンだ。





 ノンフィクション本に書いてあった、殺人の経路の通り少し走ってみる。坂道でなかなか大変だ。当時は道路も舗装されていなかったのだから、余計足元が悪かっただろう。

 暗闇の中を、悪鬼羅刹の表情で駆け抜ける都井睦雄を想像したら、ゾクッと身震いがした。



 集落には一軒のお寺、真福寺がある。先ほど話したお爺さんは、一度に30人のお葬式が出たため、当時の和尚さんは各家々を拝んで回ってとても大変だった、と語っていた。

 76年前、実際にこの地で起きた事件を想像しながら、手を合わせた。

(取材・文/村田らむ)