【プロ野球】広島・黒田博樹の男気「日本に戻るならこのチームしかない」
2014年12月27日、広島カープは、ニューヨークヤンキースからFAとなっていた黒田博樹投手(39)の獲得を発表した。メジャー球団からの年俸21億円のオファーを断り、4億円+出来高でカープと契約。「また日本に帰ってプレ ーするならこのチームしかない」そう宣言して海を渡った男が、その言葉通りに古巣への義理と愛着で帰ってきてくれたのだ。
この男気にカープファンは元より、プロ野球ファン、さらには一般の人々も黒田の男気に賞賛の声を上げている。この一件にとどまらず、黒田博樹という男は、様々な場面で合理的な世の中に反するような、ある種で異端であり、時代錯誤に映る実直な生き様を見せている。この生き様がファンの心を掴んで離さないのだ。そんな黒田博樹の男気溢れるエピソードを、敬意を込めてここに掲載したい。
黒田博樹の男気を語る上で、彼の原点である両親、特に母親からの教えを外すことはできない。黒田は元プロ野球選手の父親、砲丸投げの選手で体育教師の母親というアスリート一家に生まれている。そして、母親の教は「信念を貫き通す」こと。この教えこそ、今の黒田を形成しているといっても過言ではない。
というのも、日米3球団でエースとして君臨した黒田も、実は高校時代は補欠。自分よりレベルの高い選手達との競争と挫折、過酷な練習で何度も心が折れかけるが、それを耐え抜き3年間を乗り越えられたのは母親からの教えがあったからだという。常に?信念を貫くこと?を念頭におき、自身が決断したことにはブレない男らしい姿勢は、ここで培われたのだ。
高校卒業後は、東都リーグの専修大学へ進学。4年時に大学生で初の球速150キロを記録し、一気にプロ注目の選手となる。その頃から、専修大のグランドにはプロのスカウトが何人も来るようになっていた。しかし、黒田が150キロを出す以前の3年生当時から足繁く通うスカウトがいた。それが、カープの苑田スカウトだった。
都心から離れた伊勢原、駅からは3kmも離れたところにあるグランドに、広島からわざわざに見に来てくれている。その熱意を意気に感じた黒田は、恩返しをしたいという思いを持つ。足を運び、姿勢を理解してもらうカープ的なアプローチに心打たれたのだ。そして、逆指名制度を使いカープへ入団するのだった。
信念を貫くことを信条とする黒田にとって、一途に熱意を表すカープのスタイルが心に響いたのだろう。ここから、黒田とカープの強い絆が生まれたと言っても過言ではない。
チームの士気をも高めた練習に対する紳士な姿勢入団1年目から、先発ローテーション入りしていた黒田は、コツコツと実績を踏み、カープのエースへと成長。そんな2005年の春季キャンプで事件は起きた。
黒田がブルペンに入った際、受けるキャッチャー倉義和は、新品のミットを慣らしていた。新品のミットからは、鈍い音しか出ない。100球以上投げ込む予定だったのを、わずか50球で切り上げたのだ。
「今の段階でミットを作っていることが投手に失礼。信頼して投げられない」
と、その日は倉からの謝罪も受け付けないほどに激怒。当時のカープは、暗黒時代の最盛期と言ってもいいほどの状態。その中で孤軍奮闘する黒田にとって、キャッチャーのその姿勢は許せるものではなかったのだろう。
その後、倉は休日を返上し捕球練習をし自らを見つめ直す。黒田の部屋に出向いた倉は話し合い、再びブルペンで黒田の球を受けることを許された。これについて黒田は、
「ケンカしているわけじゃない。本人が気持ちを切り替えてやっていたし、そういう気持ちを持ち続けてくれればね」
と、コメント。ブルペンの結束をより強固なものへと押し上げたいとの考えから、黒田はあえて憎まれ役になり事に至ったのだろう。それに応えた倉は以後、黒田専属の捕手として、抜群の相性を見せるのだった。
2006年のFAで貫いたカープへの恩そんな黒田の男気を語る上で忘れてはならないのが、最早伝説と化している、2006年10月17日のシーズン最終戦の出来事だろう。
この年、FA権を獲得した黒田に対し、他球団は注目の視線を送っていた。黒田も、他球団からの評価を聞いてみたい意思もありFAを宣言。他球団への移籍があるのでは? との報道が流れていた。その報道に反応したカープファンが、シーズン最終戦に動いた。黒田残留を願い、スタンド全体で赤い15番のプラカードを掲げ、中継ぎで黒田が投板する際には外野スタンドから横断幕が掲示されたのだ。そこには、
「我々は共に戦ってきた。今までもこれからも…
未来へ輝くその日まで
君が涙を流すなら 君の涙になってやる
CARPのエース 黒田博樹」
と書かれていた。
これを見た黒田の気持ちは大きく揺れる。カープファンの熱意が深く心に染み入ったのだ。結果、FA権の行使に心揺れていた黒田だが、カープ残留を決める。その大きな要因になったのは間違いなくこのプラカード、横断幕だった。
残留会見の席でも、
「僕が他球団のユニフォームを着て、広島市民球場でカープのファン、カープの選手を相手にボールを投げるのが自分の中で想像がつかなかった。僕をここまでの投手に育ててくれたのはカープ。そのチームを相手に僕が目一杯ボールを投げる自信が、正直なかった」
と会見。自伝『決めて断つ』(ベストセラーズ)の中でも横断幕の一件にふれている。その一部を引用すると、
<カープファンの方の姿勢こそが、カープに残る決断をした大きな大きな要因となったことは間違いない。本当に僕だけに向けたメッセージということが嬉しかった。僕の心に永遠に残るものだと思う>
<球場、球団、ファン…『広島という環境』が僕を育ててくれた>
と記しているのだ。FA権を行使すれば、恐らくカープ以上の条件は提示されていただろう。それでもカープに残留したのは、お金や条件を超越した感謝と愛着が?広島?にあること、それが強く伺える一文である。
この一件で、黒田はファンからの絶大な支持を得て、さらなる人気選手へと成長。翌年、満を持してメジャーリーグへ挑戦を決断するのであった。
金銭的条件よりも愛するカープファンとの?約束?そしてあれから7年……。
「また日本に帰ってプレーするならこのチームしかない」
冒頭の宣言と共に海を渡ったエースは、「約束」どおりカープ復帰を宣言してくれた。プロである以上、提示された金銭を含む条件が自身の価値である。そのため、条件が良い球団に移籍するのが当たり前の世界。しかし、黒田は?信念を貫き通す?事が信条。金銭的条件よりも、愛するカープファンとの?約束?が勝ったのだろう。
そんな黒田の生き様、男気は多くの人々の心を掴んで離さない。特に男性は誰もがその男気に感化されたことだろう。カープ女子で湧いた昨季のカープだが、今季は黒田の男気に惚れた鯉男で溢れるのではないか。そんな気がしてならないのである。
(取材・文/井上智博)