「教え子」の挑戦、退ける・鹿屋

 鹿屋は2回、一死二三塁から、7番・中川路航(3年)のレフト前タイムリーで先制し、重盗を仕掛けるなど足でも揺さぶってチャンスを広げ、9番・岩元貴一朗(2年)のセンター前タイムリーで2点目を挙げた。

 3回は相手投手陣の4四死球の制球難にもつけ込んで打者10人で4点を挙げて大勢を決めた。先発の郷原考(3年)は初回一死満塁のピンチをしのぐと、2回以降は川内商工打線につけ入るスキを与えなかった。

 鹿屋の松元将志監督は、3月まで川内商工の監督だった。かつての「教え子」たちの挑戦を退け、2006年夏に準優勝して以来、8年ぶりとなる4強入りを決めた。

 当然のことながら、川内商工の選手1人1人の特徴は頭に入っている。先発の郷原は元々直球で押すタイプだが、捕手・中川路航は、試合のビデオを見て、松元監督のアドバイスも参考にして、配球を工夫した。立ち上がりはこれまでの疲労や緊張で制球が定まらず、ストライクを取りにいったボールを痛打される。連続四死球で一死満塁のピンチを背負うが、このピンチをしのぐと2回以降はスローカーブ、スライダーのコンビネーションも冴え、つけ入るスキを与えなかった。

 攻撃でも、相手捕手が5月以降の急造捕手であることを見越して、2、3回には重盗を仕掛けるなど、6盗塁と積極的に足を絡めて揺さぶった。徹底して転がしていけば、野手がミスすることも織り込み済みだった。

 2〜4回で一気に畳み掛け、主導権を握った。

 鹿屋は松元監督の母校。現役時代は2、3年と8強入りしたが、その先には進めなかった。就任1年目で4強の壁を突破した今の教え子をねぎらうとともに、試合中は一切考えないようにしていたかつての教え子たちに想いを馳せ、目頭を熱くさせていた。

(文=政 純一郎)