俗に「コンパックショック」と呼ばれた価格競争ですが、この海外ハードウェアベンダーの国内市場参入も日本国内でDOS/Vマシンが普及し、MS-DOSからWindows 3.1への移行をうながした一因と言えるでしょう。今にして思えば、前バージョンであるWindows 3.0の登場時点で、NECは苦渋の選択を迫られつつ趨勢(すうせい)を見極めるがために、現状維持を選択していました。しかし、この時点でPC-9801シリーズの終焉(しゅうえん)は始まっていたのでしょう。

1992年からは、Windows OSの利用を前提にグラフィック機能をVGA互換に変更したPC-9821シリーズを発表しました。従来のPC-9801シリーズを「98MATE」、新シリーズを「98FELLOW」に位置付け、前者をローエンドユーザー向けとして20万円台に価格改定。後者をハイエンドユーザー向けとして、31万8,000円〜43万8,000円という価格設定を行いました。しかし、前述したコンパックショックによるユーザー離れに歯止めはきかず、2000年に発売した、デスクトップ型のPC-9821Ra43(98MATE R)とノート型のPC-9821Nr300(98NOTE Lavie)を最後にPC-9801/PC-9821シリーズの幕は閉じたのです(図05)。

話は前後しますが、Windows 3.1が本格的に利用できるOSであるとユーザーから認識されると、特定のベンダー製コンピューターを利用するアドバンテージはなくなりました。最近は下火というべきか市民権を完全に得たというべきか迷うところですが、”自作PC”が持てはやされ始めたのはちょうどこの頃。DOS/VやPC/AT互換機をターゲットにしたコンピューター雑誌も多数創刊され、一大ブームが巻き起こりました。数年前はうん十万円という高額な支払いを経て手に入るコンピューターが、数万円のPCパーツを組み合わせることで作れるのですから、ブームにならないわけがありません。

筆者はちょうどその頃、某コンピューター雑誌にアルバイトとして参加していましたが、当時はコンピューターそのものに興味を持たず、そのブームを横目で通り過ぎるのを見ていたに過ぎません。初めてWindows 3.1に触れたのも、同編集部から使うように渡されたIBM PS/V Visionというモニター一体型のコンピューターでしたが、筆者にとって見れば単に雑務をこなすためのツールでした。一年ほど経つとコンピューターに対する興味も戻りましたが、後に執筆業に携わると知っていれば、もっとハードウェアやソフトウェアに触れておけばよかったと少しだけ後悔しています。次回はWindows 3.1の特徴をさらに追いましょう。

阿久津良和(Cactus)