「海外なら日本のモノづくりを生かせるチャンスがあります」と語る川嵜修社長。

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熱処理は主にスチール製の機械部品の強度を高める技術だ。プレスで成形されたスチールの部品を工業窯炉の中で約930度に加熱、浸炭(しんたん)といってカーボンを素材に供給し、硬度を増した後に油に漬ける。焼き入れの原理で、部品を硬く強くするのが代表的な加工工程である。

大阪市東住吉区の東研サーモテックは、戦前から熱処理を生業にしてきた。会社は自動車産業の勃興と共に発展。数千点に及ぶスチール製の自動車部品の多くは、強度を加えるため熱処理が必要だ。川嵜修が父親の跡を継ぎ、社長になった1989年には、工場も入社当時の3つから7つに増えていた。

当時、北米では日本との貿易摩擦が社会問題化。日本で野放図に生産し、輸出する形態はもう通用しない。外国に自動車の生産工場を建設し、現地の人を雇用するようになっていく。

いつかは海外へと、思いが募っていた94年、取引先の大手クラッチ部品メーカーがタイに進出するという。「ほならうちも行かしてもらいまっせ」、川嵜は名乗りを上げ、バンコクから70キロメートルほど離れた造成中の工業団地を何回か視察した。が――、熱処理の工場は地面に穴を掘り設備を据えたり、天井も高くしてクレーンを設置したり、自前で特殊な建屋を建設しなければならない。初期投資が大きいのだ。海外への進出に最後まで逡巡した川嵜だが、先手を打つということにこだわった。

「部品の強度を保証する熱処理は、人命にかかわるだけに、発注側の監査が厳しい。でもいっぺん承認を得ると続けて受注ができます。後発の同業社がコストで攻勢をかけても、疲労試験や耐久試験をやり直すのは時間と費用と、安全に関するリスクも問われますから」(川嵜)

つまり、熱処理業界は先鞭をつけた会社が、仕事を総取りできるチャンスにも恵まれるのだ。タイにモータリゼーションの波が押し寄せる読みもあった。

■鍛えられるヤンチャ社員

タイトーケンサーモの設立は95年、投資の額はおよそ10億円だった。

「あんたのとこ、何で海外進出せえへんの?」。後日、川嵜はナスダックに上場する同業の経営者に質問したことがある。

「長期にしか回収できん、ごつい投資を株主に説明できんわ」、そんな答えが返ってきた。海外進出は株式未公開のオーナー企業だからこそできた判断だと、今更ながら感じた覚えがある。

現地では日本語と英語とタイ語が乱れ飛び、身振り手振りを交え、タイ人従業員とのコミュニケーションが始まった。

「タイは基本的に農業国です。工業的なことは知れへんから、タイムカードを押して、制服、制帽、安全靴で仕事をするなど、一から教えました」(川嵜)

当初は事務処理に優れた真面目な社員が、タイ赴任には適任と川嵜たちは考えた。が、ときに上司が手を焼くようなヤンチャな社員が、タイでは水を得た魚のように働いたのだ。

ヤンチャな社員が現地に赴き、タイ人に教える立場になると、にわかに勉強を始める。“サワデーカップ:こんにちは”“ローン:暑い”などなど、手帳にカタカナでぎっしりとタイ語を書き言葉を覚える。現地の従業員宅で、タイの家庭料理を一緒に囲み、メコンウイスキーを酌み交わして、現地の従業員と交流を深めたりもする。

タイに数年間赴任し、帰国したヤンチャ社員が、自信に満ちていることに川嵜は驚かされた。品質のトラブルには、真っ先に先方に駆けつけて謝り対策書を提出する。仕事への責任感が以前とは全く違っている。海外進出は人材育成という面からも、思わぬ効果をもたらしたのだ。

タイ進出の翌年は、先の大手クラッチメーカーのマレーシア進出に伴い、他の協力工場と共に現地法人を設立。マレーシアにも5億円ほど投資した。

一方、タイ工場は1年目にはフル操業。

「社長、ごつい設備投資をしないとあきまへん」「そうか、よし!」、現地の責任者と話は盛り上がった。96年当時、約60万台といわれたタイ国内の自動車数は、数年で100万台を超えると誰もが信じていた。

■通貨危機で撤退の瀬戸際

川嵜は第一工場の隣接地に、1600平方メートルの工場建設を決断。97年春に建屋の建設が始まる。ところが、同年7月、タイバーツが暴落。アジア通貨危機が会社を直撃するのだ。11月の第二工場の竣工式の時点で、第一工場の稼働はそれまでの4分の1以下になっていた。竣工式では建屋の高い天井を川嵜は暗澹たる思いで見上げた。

同業者や取引先の知り合いは、「修ちゃん、大変やなぁ」と、ニヤニヤしながら彼に声を掛ける。「調子に乗るさかいに」という嘲笑を川嵜は背中に感じていた。莫大な投資をして尻尾を丸めて帰るわけにはいかん。現地の従業員も育っているやないか。タイ工場の継続は決めていた。が、経営のトップとして眠れぬ夜は続いた。

いったいいつになったらこの危機は収まるんや……、タイに進出した同業他社はすでに撤退を決断した。先が見えない。

「マレーシアは撤退に向けて作業を始めよう」、川嵜はマレーシア工場の責任者に伝えた。と、40代の実直な男はボロボロッと涙を流し、「社長、撤退だけは堪忍してほしい」と訴える。責任者は現地で育てたマレーシア人スタッフが可愛いのだ。元来、情に濃い川嵜は、もらい涙をグッと堪え、「ほな、経費削減はもちろん、お客さんを探して走り回れ!」と、語尾を強く言い放った。

90年代後半、東南アジアは日系企業の進出途上にあり、赴任した日本人社員たちの間には、開拓農民にも似た同志的連帯感があった。「うまい日本食が食いたいな」「いい日本料理屋を教えてやるで」「いい歯医者知らんか」「あそこなら日本語が通じる」など、発注先や受注側の垣根を越えてお互いに助け合い、仲間意識が高まった。

配転で帰国しても、心安い相手に仕事を発注する。東南アジアに進出してからは中京、関東地区に得意先が広がり、国内の仕事量も増えていった。

こらブーメラン効果や、海外に投げたものが日本で戻ってくる。予期せぬ仕事の受注に、川嵜はブーメラン効果と名付け、ニンマリとした。

通貨危機も癒えた2002年、マレーシア工場での日系の大手家電メーカーの仕事が具体化する。耐摩耗性を高めるため、コンプレッサーの重要部品に、極薄の被膜を施す仕事だ。薄膜形成処理は表面硬化熱処理と共に、東研の柱となる技術である。

「コーティングの設備投資が必要です」「売り上げが倍近くになる。やらない手はないやろ」

現地の責任者と川嵜の間で、そんな話が取り交わされる。

「海外進出にリスクは付き物ですが、うちは幸い、まだ国内の景気がよかった。軸足がちゃんとしていたから、踏ん張ることができました」(川嵜)

国内の業績は好調だし含み資産も十分だ。金融機関も融資に躊躇はない。約1億5000万円の投資で設備を整え、大手家電メーカーに応えると、信用につながった。これまで取引がなかった大手家電メーカーから、国内の東研に仕事が舞い込む。

マレーシアに少し遅れ、業績の回復が見えてきたタイでも、エポックメーキングな出来事が進行している。ある日、中年の男性が現地の工場を訪れる。名刺には日系の大手自動車関連メーカーの企業名があった。

■国内の雇用は3割増へ

「実はタイでも、コモンレールシステムの生産を立ち上げることになりまして」

男は人の良さそうな笑顔で、汗を拭きながら話を切り出した。コモンレールシステムとはディーゼルエンジンに使用する超高圧の燃料噴射装置で、ディーゼルエンジンの排ガスをクリーンに変える画期的な製品なのだ。

欧州で立ち上げたコモンレールシステムの製造工場は、熱処理もすべて内製で賄ったが、タイでは東研がある。

「パーツのコーティングを引き受けてくれませんか」、一部の部品の耐摩耗加工の話に、「発注をいただけるのなら、喜んで設備を入れます」、対応した当時の現地法人の社長、川嵜宏(現取締役)は大きくうなずいた。

うちだけがタイで踏ん張ったから、こんなごつい話がきたんや、けど、ほんまに実現するのやろうか……、川嵜宏は半信半疑だった。が、話はさらにごつくなっていく。

「コーティングだけでなく、コモンレールシステムのすべてのパーツの熱処理に関して、見積もりを取ってください」。後日、タイの工場を訪れた大手自動車関連メーカーの担当者は、川嵜宏にそう切り出した。コモンレールシステムの70点ほどの部品の熱処理と、コーティングを丸投げしたいというのだ。

「ごつい話やないか。なんぼかかるねん」「一発目の投資で4億〜5億円、さらに受注が増えるでしょうから、その先は……」

社長の問いに、親戚で修の右腕的な存在の宏が応える。2人は顔を見合わせニヤッとした。

この仕事が軌道に乗った05年には、現地従業員数は前年の倍の600人に増えた。現在の従業員数は1000人を超えている。タイ工場への投資額は、操業からの累計で50億円を超えた。売り上げも右肩上がりで、海外売上高60億円のうち、50億円をタイ工場が占めるまでになった。

タイでの実績が認められ、日本ではコモンレールを製造する大手自動車関連メーカーの協力会への加入が実現。またまたブーメラン効果で、日本での仕事量も増えた。東研サーモの場合、「海外進出=国内の空洞化」に当てはまらない。海外進出をした十数年間で国内雇用は約3割増え、単体の売上高もおよそ2.5倍に増加している。

企業の海外進出が取り上げられる一方で、中国での不買運動など、リスクもクローズアップされている。果たして中小企業は海外に活路を求めるべきなのか。川嵜は次のように語る。

「私は海外進出すべきだと思います。国内の多くの業種がダウンサイジングしていく中で、モノづくりの技術を持っているのに、転業せなあかんところまで追い込まれるのはもったいない。海外なら日本のモノづくりを生かせるチャンスがあります。日本人特有のチームークや、家族的な会社経営とか、必ず現地の人たちの共感を得られます」

11年には中国に進出。13年にはメキシコへの進出も決め、川嵜修率いる東研サーモのこれまでの海外投資の総額は、100億円を超えることになる。

現在3割の海外売上比率を15年までには5割に引き上げたい。川嵜は今、そんな目標を抱いている。

■福井県立大学 地域経済研究所所長
中沢孝夫教授のコメント

海外に進出することで、2次、3次の協力メーカーが1次協力メーカーになれる可能性が高まる。

また、ゼロからの立ち上げで、自らの責任で決断を下せる人材が育つメリットも見逃すことができない。

(文中敬称略)

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【熱処理業界のパイオニア】東研サーモテック
本社:大阪府大阪市東住吉区桑津5-22-3/事業内容:金属熱処理加工など/代表者:川嵜 修社長/年商:139億円(2012年3月期)従業員:759人

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(根岸康雄=文 熊谷武二=撮影)