国分太一、日テレ社長に直接謝罪 今後の「テレビ復帰」の可能性は?
無期限の活動休止
元TOKIOの国分太一は、日本テレビの番組に出演している中で、コンプライアンス上の問題行為が複数あったと報じられ、すべてのレギュラー番組を降板して、無期限の活動休止に入ることになった。その後、彼は本件に関する日本テレビの対応に疑問を呈し、日本弁護士連合会に人権救済を申し立てていた。【ラリー遠田/お笑い評論家】
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なぜなら、彼は日本テレビに呼び出されて、コンプライアンス上の問題行為が複数あったことを指摘されたものの、実際にどの行為が問題となったのかが一切明かされなかったからだ。この件について日本テレビ側は「プライバシー保護の観点から内容については説明できない」と主張し続けていた。この時点では国分と日本テレビの意見は完全にすれ違っていたように見える。

ところが、ここへ来て新たな動きがあった。2月12日、国分が日本テレビの福田博之社長と面会して、直接謝罪したことを発表したのだ。人権救済の申し立ても行わないことを伝えたという。彼がそれを行わないのだとすれば、これでいったん事態は収束したことになる。
これによってすぐに国分が芸能活動を再開できるようになるのかと言えば、そういうわけにはいかないだろう。むしろ今回の対応は、本人が置かれている状況の厳しさを逆説的に示しているとも言える。
近年のテレビ業界におけるコンプライアンスにまつわる問題は、個人の謝罪や当事者間の和解だけで解決する性質のものではなくなっている。一昔前であれば、本人が謝罪し、関係者が一定の理解を示せば時間の経過とともに復帰が可能になるケースも多かった。テレビに出られるかどうかは、純粋にテレビ側の事情や視聴者のニーズで決まっていたのだ。
だが、現在では、世間の目が厳しくなっていて、スポンサーもそれを意識している。「当事者間の問題が解決したかどうか」よりも「リスクが残っているかどうか」が判断基準になる。テレビ局にとって最も避けたいのは、起用することで再び批判の炎が燃え上がることだ。その可能性がわずかでもある限り、起用には慎重にならざるを得ない。
時間をかけて信頼を再構築
また、今回の騒動で致命的なのは、彼が引き起こした不祥事の具体的な内容が明かされていないことだ。たとえどんなトラブルを起こしてしまったのだとしても、何をやってしまったのかが客観的にわかる状態であれば、その情報をもとにして復帰の是非を判断する余地がある。
しかし、何も明かされていないのであれば、そのような判断をすること自体ができない。テレビ局やスポンサーにとってはきわめてリスクが高い状態に置かれていることになる。そんなタレントをあえて起用する理由は見出しづらい。
国分は長年にわたって好感度の高いタレントとして活動してきたが、それは裏を返せば「安心して起用できる人物」というイメージに依存する部分が大きかったということだ。彼がMCを務めるようなバラエティ番組において求められていたのは、強烈な個性や代替不可能な芸ではなく、場の空気を壊さず、視聴者に不快感を与えない安定感だった。このタイプのタレントは一度イメージに傷がつくと、復帰のハードルが急激に上がる。なぜなら、安心感という最大の武器が失われてしまったからだ。
もちろん、芸能活動を続ける道が完全に閉ざされたわけではない。マスメディアに頼らず、YouTubeなどで自ら発信をしていくことはできる。そういうところで地道に実績を作ってイメージが良くなれば、状況は変わるかもしれない。ただ、彼が問題を起こす前のポジションにまで戻れるかと言えば、その可能性は低い。
国分太一の今回の謝罪は、争うことを避けて事態の沈静化を優先した現実的な選択だ。ただ、自らが置かれている立場の厳しさを受け入れざるを得なかったということでもある。今後も芸能活動を続けるのなら、じっくり時間をかけて信頼を再構築していくしかないだろう。
ラリー遠田(らりー・とおだ)
1979年、愛知県名古屋市生まれ。東京大学文学部卒業。テレビ番組制作会社勤務を経て、作家・ライター、お笑い評論家に。テレビ・お笑いに関する取材、執筆、イベント主催など多岐にわたる活動を行っている。お笑いムック『コメ旬』(キネマ旬報社)の編集長を務めた。『イロモンガール』(白泉社)の漫画原作、『教養としての平成お笑い史』(ディスカヴァー携書)、『とんねるずと「めちゃイケ」の終わり 〈ポスト平成〉のテレビバラエティ論』(イースト新書)、『お笑い世代論 ドリフから霜降り明星まで』(光文社新書)、『松本人志とお笑いとテレビ』(中公新書ラクレ)など著書多数。
デイリー新潮編集部
