現在は故郷・小浜島で民宿を営むSHINOBUさん

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 NHK総合で午後に再放送されている連続テレビ小説『ちゅらさん』(2001年)。初めて沖縄県(小浜島)を主要な舞台にした朝ドラで、多くの視聴者に沖縄の自然や食などの文化の魅力を伝え高視聴率を記録した。本作で小浜島出身のヒロインを一途に思う同級生・誠役を演じたのが、当時、人気グループ「DA PUMP」のメンバーだったSHINOBUさん(44)だ。現在は故郷・小浜島で民宿を営むSHINOBUさんに現地で会い、今も続ける芸能活動や家族について聞いた。【前後編の後編。前編から読む

【写真】SHINOBUさんと愛妻、子ども2人の素敵な家族写真

「DA PUMP」を歌うことも…続けていた音楽活動

「『ちゅらさん』の撮影はすごく楽しかった思い出です。出演の話は当時の事務所からいただいて、僕がヒロイン役の国仲涼子ちゃんと同じ事務所で、小浜島出身だったからじゃないかな。

 ヒロインの相手役だった(小橋)賢児とはドラマをやる前から知り合いだったから、『こんなふうに一緒にやれるなんて!』と話した記憶があります。彼は今、大阪・関西万博の催事企画プロデューサーをやったりして、がんばっていますよね」

「DA PUMP」で活動時、『ちゅらさん』のほか映画『アンドロメディア』『ドリームメーカー』、ドラマ『六本木野獣会』(日本テレビ系)などで俳優としても活動していたSHINOBUさん。昨年は、第15回沖縄国際映画祭正式出品作品『風が通り抜ける道』で、久しぶりに演技を披露した。

「演技は本当に面白い。これからもやりたい、と思うくらいです」

 俳優業だけでなく、音楽活動も続けている。毎年、民宿が落ち着く12月には東京を訪れ、小岩の「沖縄料理 居酒や こだま」や、品川の「ライブ&ショットバー タルマッシュ」でライブを行う。

「自分で作った曲が6割、元『THE BOOM』の宮沢和史さんらに書いていただいた曲が2割、CHAGE and ASKAの『PRIDE』などカバーが2割ですね。『DA PUMP』の曲も少し入れ込んで歌ったりしますよ。やっぱりお客さんが喜びますから(笑)」

 民宿運営に差し支えない範囲で、その他の活動にも参加する。沖縄県内では、この5月に「鳩間島音楽祭」、2年前には宜野湾市で行われた沖縄アクターズスクール大復活祭のステージにも上がった。

「お客さんの反応の第一声は『黒〜い!!』です(笑)。毎日、海で仕事してるんだから、しょうがないですよね。ステージに立つのもやっぱり楽しい。でも、もう一度アーティストとして積極的に活動したいという気持ちはありません。去年、クラウドファンディングを通じて入手した新しい船の手入れを怠らず、大事にして、応援してくれたすべての人を乗せるのを目標にしています」

 年1回の上京時には、“第2の故郷”東京で出会った昔の仲間たちに会ったり、アパレルショップで洋服を選んだり、という普段とは別の刺激を楽しむ。

結婚相手との馴れ初めは

「嫁のなっちゃんは東京出身なんです。なっちゃんは小浜島のホテルのスパでエステティシャンとして働いていて、小さな島ですから、商店や港で見かけるようになって、僕から気になって話しかけるようになりました。

 2016年に結婚して、今、小学校2年生(青明クン)と幼稚園の年長(円瑠クン)の男の子がいます。もともと結婚願望があまりなく、一生独身かな、と思った時期もあったので、自分にも家族ができたんだなってしみじみ思うときがあります。家族がいるのといないのとでは、仕事に対する姿勢も変わりました。僕が倒れたら代わりがいないので、無理しないよう気を付けています」

 SHINOBUさんの夫人“なっちゃん”は、現在、「民宿宮良」のそばで、女性限定の「SEAEL12 Island SPA」(なっちゃんエステ)を運営。1日2組限定で、フェイシャルやボディマッサージを施している。

今も交流続ける「DA PUMP」メンバー

 SHINOBUさんの芸能活動は順調そのものだった。歌手に憧れ、中学卒業後、沖縄アクターズスクールに入るために、沖縄本島の浦添高校に進学。のちに「DA PUMP」となるメンバー4人でグループを結成し、16歳で上京。1997年、17歳でCDデビューした。翌1998年には日本武道館でのコンサートを成功させ、同年末にはNHK紅白歌合戦に出場。紅白には2002年まで5回連続出場した。

「すべてが素晴らしい経験でした。どこに言ってもキャーキャー言われ、お金かけていいものを食べさせてもらい……僕はまだ20前後の子どもでしたから、怖い物なし、イケイケで調子に乗っていました(笑)。

 でも、自然豊かな小浜島で育ったから気取ってはいなくて、ファンの子に声をかけられたら気軽に一緒に写真を撮っていましたし、僕という人間のベースはずっと変わっていません。脱退したときはまだ26歳。若くして調子に乗ったから、早く落ち着きました」

 当時の「DA PUMP」のメンバーとは今も連絡をとっている。

「いっちゃん(ISSA)とは、僕が東京へ行ったときに会って食事をする家族ぐるみの付き合いです。いっちゃんは『DA PUMP』のボーカルとして、今も第一線で歌い続けていますよね。音楽に人生をかけているんだな、すごい腰の据わり方だな、と尊敬しています」

 今、「DA PUMP」で活動当時のことを、日々のなかで思い出す瞬間はないけれど、「DA PUMP」の音楽はときどき聞き返しているという。

「そのときどきのテンションで、いろいろ聞いています。本当に素晴らしいヒット曲ばかり。シングルカットされてない、アルバムのなかの曲にもいい曲がたくさんある、と改めて気付かされます。

 芸能活動をしていた当時の仲間も事務所の方々、プロデューサーのm.c.A・Tさん、ライブスタッフ、スタイリスト、ヘアメイク、お客さん……頻繁に連絡を取り合うわけではありませんが、ずっと繋がっていて応援してくれています。

 故郷・小浜島で生まれ育ち、船と海を好きになるきっかけをくれたじいちゃんとオヤジと、僕の夢を精一杯応援してくれた亡き母、そして『DA PUMP』として活動させていただき、たくさんの皆さまに支えられ、応援していただいたこと──本当に、皆さまの“おかげさま”で今の僕があるのだと実感しています」

 SHINOBUさんにとって民宿経営は、華やかな舞台で何万人の観客の声援を受けていた芸能界の活動と地続きなのだ──。

(了。前編を読む)

◆取材・文・撮影/中野裕子(ジャーナリスト)