秋田空港に設置された「釣りキチ三平」のレリーフの前で笑顔の矢口さん(2016年)

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 この漫画にハマって釣りを始めた友だちが、子どもの頃にいなかったでしょうか。代表作の一つ「釣りキチ三平」を描いた漫画家の矢口高雄さん(1939〜2020)。矢口さんの作品は現代を生きる私たちに変わらぬ強いメッセージを残しています。朝日新聞の編集委員・小泉信一さんが様々なジャンルで活躍した人たちの人生の幕引きを前に抱いた諦念、無常観を探る連載「メメント・モリな人たち」。今週は矢口さんの原点に迫ります。

【写真】秋田空港に設置された「釣りキチ三平」のレリーフの前で笑顔の矢口さん(2016年)

自然破壊が進んだ現代社会への警鐘

 ふるさとの自然にこだわり、人々の暮らしにこだわった。山のにおい、川のにおいが伝わってきた。

秋田空港に設置された「釣りキチ三平」のレリーフの前で笑顔の矢口さん(2016年)

 公害都市の神奈川県川崎市川崎区に生まれ育った私は、子どもの頃から矢口高雄さんの漫画「釣りキチ三平」(1973〜1983年)を夢中になって読んだ。「週刊少年マガジン」に掲載され、矢口さんにとっては代表作となる。

 公害が社会問題化し、高度経済成長のひずみが語られたころである。麦藁帽子に藁草履で釣りに熱中する三平少年は「このまま行ったらこの日本は人間の住めない国になる」と訴えていた。

 たしかに、我がふるさと川崎の空は光化学スモッグで覆われ、多摩川の流域は汚染水であふれていた。70年代は「ノストラダムスの大予言」が大ヒットした時代だ。人類は1999年7の月に滅びるという予言が真摯に受け止められていた。

 そういえば、東宝の怪獣映画に「ゴジラ対ヘドラ」(1971年)があった。ヘドロでできた怪獣ヘドラは相当なリアリティーがあった。矢口さんのヒット漫画「幻の怪蛇バチヘビ」(1973年)も、未確認生物(UMA)ツチノコブームの火付け役となった。

 いずれにしても、あのころの矢口漫画の根底には、自然破壊が進んでしまった現代社会への警鐘の思いがあった。

 そんな矢口さんの原点を探りたい。私は2016年冬と18年夏、ほぼ1カ月かけて秋田県内を回った。山の奥深くに分け入り、クマやカモシカなどの狩猟を生業としたマタギの取材が主だった。

「ホリャー、ホリャー」

 獲物を追う勢子(せこ)の声が聞こえてきた。「ムカイマッテ」と呼ばれる見張り役の合図を受けて「ブッパ(射手)」が銃を放つ。「ショーブ(勝負)、ショーブ」。仕留めたことを仲間たちに伝える合言葉が雪深い東北の山に響く。

 独特の装束や習俗、信仰……。時代の流れとともに失われてしまった儀式を、矢口さんは漫画に描いた。

 起源は1000年以上前ともいわれ、秘伝の巻物も残るマタギ。江戸時代後期の紀行家・菅江真澄(1754〜1829)は、そのルーツについて「マダ(シナノキ)の樹皮をはぐために入山したから」との説を唱えたが、主な獲物はクマなどの大型獣だったはずだ。矢口さんの「マタギ」(1975〜1976年)や「マタギ列伝」(1972〜1974年)は、それを生業とするマタギの「聖地」として知られる秋田中央部の阿仁地区に暮らす男たち(現在は三十数人)にとって「バイブル」のように扱われていた。いまなぜ矢口さんの作品が注目されているのだろう。

「街ではジビエがはやり、田舎は獣害に苦しむ現代。狩猟の必要性が叫ばれるこの時代にこそ、読み返したい。猟師の源流がここにある」

 そう力説するのは猟師である千松信也さんある。

 まず私が18年夏に訪ねたのは、阿仁地区にあり、実際の狩猟道具などを展示するマタギ資料館。統率者「シカリ」のもとで結束し、山の神からの授かり物として獲物を公平に分配するマタギのオキテがよくわかる。館内には、温泉施設「打当(うっとう)温泉」が併設。「よぐ温まる」と地元でも評判の塩化温泉だが、たしかに源泉は56・6度もあるという。ざぶんとつかり、四肢を伸ばしながら、生とは、死とは何かを考える。

銀行員を経て漫画家に

 ここで矢口さんの経歴を追ってみたい。

 1939(昭和14)年、奥羽山脈のふもと秋田県西成瀬村(現・横手市)生まれた。本名・高橋高雄。4歳のとき、宮尾しげをさん(1902〜1982)の漫画「西遊記」(1925年)を読み、孫悟空など登場人物の顔をまねて描くようになる。

 戦後は手塚治虫さん(1928〜1989)の漫画に夢中になった。高校卒業後、東京・浅草のブラシ工場に集団就職が内定していたが、「親に恩返しするのは当たり前」と地元の銀行に就職した。

 銀行とはいえ、コンピューター化が進んだ今日と違って、何から何まで手作業に頼る時代だ。紙幣勘定の流麗さとソロバンの速さを競った時代でもあった。銀行業務の基本そのものは今も昔も変わりはないが、ただ、手作業ゆえに生々しい人間味の濃かった時代とも言えよう。

 そんな昭和の普通の銀行員生活を過ごしていた矢口さんだったが、30歳のころ、転機を迎える。まさにそれは突然だった。というより、漫画の神様によって導かれたと言ったほうがいいかもしれない。

 細かく詳細は省くが、銀行員時代に描いた漫画は、あまり評価が良くなかったらしい。だが、赴任した支店の前の本屋に「月刊漫画ガロ」が並んでいた。そこに掲載されていた白土三平さん(1932〜2021)の「カムイ伝」(1964〜1971年)に感動。漫画家になりたいという思いが再び膨らむ。

 1970年、13年間の銀行員生活を経て30歳で上京。漫画家としては遅いデビューだが、74年に「釣りキチ三平」と「幻の怪蛇バチヘビ」で講談社出版文化賞の児童まんが部門賞を、76年に「マタギ」で第5回日本漫画家協会賞大賞を受賞した。

 右手一本で妻子を養っていかないといけない不安。自分に何が描けるのか模索する日々が続いた。私は20年12月19日の朝日新聞夕刊「惜別」で書いたが、「描くたびに新鮮で、考え得る限りの試みを惜しげもなく傾注することとなった」と周囲に語っていたという。

「マタギ」に登場する辰五郎の孫でシカリ(頭領)を務める鈴木英雄さんは「マタギの歴史や風習を調べ尽くしていた。だからこそ細かな情景描写ができたのだろう」と矢口さんの努力を語る。

「誠実な人だった。『知らないことを知ったかぶりして描くことはできない』と徹底して現地で取材し、事実に迫った」。こちらは編集者時代に幾つかの作品を手がけた中央公論社の元社長・嶋中行雄さん(78)の意見である。

「人間が故郷から追い出された」

 矢口さんの次女かおるさんがTwitter(現・X)で発表したところによると、2020年5月に膵臓がんが見つかり、闘病生活を続けていた。

 同年11月25日にかおるさんが投稿したTwitterは、矢口さんがどれほど家族を大切にしていたのかが伝わってくる。

《父・矢口高雄は11/20に家族が見守るなか、眠るように息を引き取りました。今年5月に膵臓がんが見つかり、約半年病気と闘っていました。すごく辛くて苦しかったはずだけど、涙も見せず頑張りました。最後まで格好良い自慢の父でした。パパ、ありがとう。そして、お疲れ様。》

 自然への畏れと敬意を生涯失わなかった矢口さん。ニホンオオカミ、バチヘビ(ツチノコ)、巨大な熊、マタギ犬……。雄大な奥羽山脈を舞台に描かれる動物たちは、まるで人間のようだ。満月の夜に宴会を催すタヌキたちは、侃々諤々の論議を繰り広げる。阿仁マタギの秘伝・重ね打ちを難なくこなす三四郎も男前で格好いい。矢口作品の魅力とは、まさに人間くささと言っていいだろう。

 亡くなった2020年11月は、まさにコロナ禍。だからこそ私たちはもう一度、矢口さんが残した作品を読み返し、自然と人間との関わりについて真剣に考え直さないといけないのではないか。

 私は過去に矢口さんについて書かれた記事を読み返してみた。すると、漫画家を夢見て上京したころは「ふるさとの秋田」が好きになれなかったという。目に見えない因習、その土地その土地のしがらみ。何よりも、訛りのきつい方言は嫌いだった。

 その象徴を矢口さんは、深い雪にたとえた。「人間のあらゆる可能性を、雪が埋もれさせちゃっているように感じた」(朝日新聞・秋田県版・2011年6月20日)

 だが、東京で初めて迎えた正月、アパートでテレビを見ていると、ニュースで秋田の雪が映し出された。神々しいまでに美しい秋田の雪。矢口さんの代表作となる「釣りキチ三平」の三平は、田舎育ちや方言を決して恥だとは思わない。秋田への応援団長として三平は漫画の世界を飛び出て活躍する。

 矢口さんは東北で起きた東京電力福島第一原子力発電所の事故に心を痛めた。

「人間が故郷から追い出された」

 その構図は、秋田の田沢湖だけに生息した固有種のクニマスが、1940年から始まった導水工事により酸性の水が湖内に入り死滅したことに似ているというのである。

 話は尽きない。まずは矢口作品を手に取って読んでほしい。

 次回は4年前に78歳で亡くなったコメディアンで俳優の小松政夫さん(1942〜2020)。人気バンド・クレージーキャッツの植木等さん(1927〜2007)の付き人を経て芸能界デビュー。1970年代に伊東四朗さん(87)らと共演したバラエティー番組で一世を風靡した「しらけ鳥音頭」や「小松の親分さん」などのギャグが懐かしい。

小泉信一(こいずみ・しんいち)
朝日新聞編集委員。1961年、神奈川県川崎市生まれ。新聞記者歴36年。一度も管理職に就かず現場を貫いた全国紙唯一の「大衆文化担当」記者。東京社会部の遊軍記者として活躍後は、編集委員として数々の連載やコラムを担当。『寅さんの伝言』(講談社)、『裏昭和史探検』(朝日新聞出版)、『絶滅危惧種記者 群馬を書く』(コトノハ)など著書も多い。

デイリー新潮編集部