いったい、ドル円レートはいくらが適切なのだろうか。実は為替レートに答えを出すのは簡単ではない(写真:ブルームバーグ)

為替レートについての騒ぎがまだ続いている。だが、ひとことで言えば、いかなる真面目な議論も、為替に関しては無駄である。

為替は何を根拠にして決まるのか?


この連載は競馬をこよなく愛するエコノミスト3人による持ち回り連載です(最終ページには競馬の予想が載っています【2024年1月5日編集部追記】2024年1月1日、山崎元さんは逝去されました。心から哀悼の意を捧げ、ご冥福をお祈りします)。記事の一覧はこちら

なぜなら、為替レートの理論値というものがまったく存在しないからだ。だから、為替は、理論とも、ファンダメンタルズとも、あらゆる合理性から無縁のところで決まる。だから、為替を「正しい」水準に戻そうとする真摯な努力はすべて徒労に終わる。諦めたほうがいい。

合理性で決まらないなら、為替は何で決まるのか。それは、投機家の意向と行動である。

それは、株でも一緒ではないか? 行動ファイナンスでは、すべての金融リスク資産の価格は投資家行動で決まるのだから、為替に限ったことではないのではないか?

そうだ。しかし、為替がもっとも極端なのだ。

株価も理論値は、厳密には存在しない。PER(株価収益率)は10倍でも20倍でもいいから、企業の収益見通しにコンセンサスが成り立っても、日経平均株価の予想は、PERの想定によって2万円にも4万円にもなりうる。
それでも、株価については理屈で議論ができ、前提を置けば、水準について何らかの論理的な予想、議論、説明ができる。

しかし、為替はそれがまったくできない。論理がほぼゼロなのだ。「そんなことはないだろう」と反論が来そうだ。例えば「東洋経済オンライン」などで、みずほ銀行のチーフマーケット・エコノミストである唐鎌大輔氏がいつも綿密かつ明快な論理で円安を説明してきたじゃないか?などと思うだろう。

それはそうだが、そうではない。結論から言えば、唐鎌理論は、円高にはなりにくいことの論理的な説明を与えてくれるが、しかし、円高の限界が1ドル=120円なのか140円なのかについては、ほぼ何も言えない。「昔ほどには円高にはならない」、ということが限界だ。

じゃあ、今が1ドル=145円前後で、2023年1月が130円前後だったのを説明する要素はまったく何もないのか?行動ファイナンスのいう、投機家の意向と行動で決まるということなのか?

それも違う。行動ファイナンスですら役に立たない。投機家の期待、1ドル=145円という期待の自己実現という、何でも説明できてしまう自己実現の論理ですら成り立たないのだ。

「購買力平価理論」は「物価の絶対水準」の話

結論を言っておこう。今、1ドルが145円なのは、1949年4月23日にGHQが1ドル=360円と決めたからなのだ。

なぜそう言えるのか。説明しよう。

その前に、まず、経済学における為替の理論をおおざっぱに概観しておこう。まずは古典的な、購買力平価である。

これは「世界中で一物一価が成り立つような水準に為替レートが決まる」という考え方で、要はビックマックレートとかスターバックスラテレートなどと同じ考え方である。

日本でだけあるブランドもののバックが安いと、世界中から日本にそれを買いに来る観光客が溢れたり、バイヤーが転売したりするので、そのモノの価格が世界中で一物一価に収斂していくが、それをマクロ経済全体で行うのは、為替レートが動くほうが早いので、為替が調整される、という考え方である。

逆に言えば、世界中で一物一価が成り立っているときに、為替がずれてしまうと、大混乱が生じるから、為替がぶれたときに、瞬時にもとに戻るほうが早いから、為替レートが調整するということである。

実体経済における貿易収支を通じた調整も働く。為替レート(例えば円)が安くなって、国内物価が安くなった国からは、その安くなった製品が輸出され、外貨(例えばドル)を稼ぐ。その稼いだ外貨を自国通貨(例えば円)に戻すから、ドル売り円買いが起きて、ドル安円高になる。マクロ経済均衡に戻る、つまり、為替レートのずれが元に戻るようになる。

この購買力平価理論は物価の絶対水準の話なので、絶対的購買力平価理論であり、相対的購買力平価理論もある。それは、物価の変化率、つまりインフレ率の各国間の変動の違いを為替レートが調整する、という理論で、つまり、インフレ率が高くなった国の通貨の為替レートは安くなって、国際的な物価水準の変動が調整される、ということになる。

もう1つの理論である「金利平価理論」とは?

もう1つの為替均衡理論は、金利平価理論で、資本市場において、裁定取引が働いて、為替レートが均衡するという理論である。つまり、外国(米国)の金利が高く、自国(日本)の金利が低い場合、アメリカのドルで運用したほうが得になってしまうから、均衡では、ドルが今後安くなることが予想されていることになる。

つまり、金利差が年率5%あれば、1年後のドルは今より5%安くなるはずだ、と投資家たちは思っているということだ。それなら、ドルで運用して円で運用するよりも5%ドルの名目値が増えても、ドルが円に比べて5%安くなるから、ドルでも円でもどちらで運用しても同じリターンが得られる、ということだ。そう期待されているから、実際にも、ドルは1年後には5%安くなっている、ということになる。

これはドル円の金利差が円安をもたらしている、ということと逆になっているように見えるが、必ずしもそうではない。予想外にアメリカの金利が上がったとしよう。予想外に金利差が広がったということであるが、この場合は、サプライズに対して瞬間的に急激に円安が進み、その後、金利差を埋め合わせるように、円高が進むことになる。

そうでないと、永遠にドル買いが進んでしまい、誰も円を持たなくなってしまう。だから、均衡に向かうとすると、いったん円安に急激にオーバーシュートして、そこから円高が進むことになる(ただし、実際には投機家たちが合理的に期待(将来への予想)をするかどうかなどにかかっているので、理論的にもさまざまなケース、シナリオが考えられる)。

ここでは為替理論を幅広く網羅することが目的ではないので、基本的なポイントを整理しよう。

為替の基本的な「3つのポイント」とは何か

第1に、理論は均衡理論であり、為替市場は常に均衡へ向かうことが仮定され、その均衡へ向かうメカニズムも機能することが前提となっている。しかし、現実の世界では、均衡はまったく成り立っていないし、かつ均衡へ向かうメカニズムも機能していない。したがって、現実の為替市場は理論と大きく異なる。

第2に、実体経済と金融資本市場とが分離している。実体経済における購買力平価と金融資本市場の金利平価の理論値が異なった場合、どうなるのか? 一般には短期的には金融市場、長期的には実体経済ということだが、絶対的購買力平価が長期的にも成り立ったことは過去にもほとんどない。実体経済と金融市場の分裂が、ここでも生じるのである。

第3に、均衡へ向かうメカニズムが、投機家や経済主体の期待に基づくものと為替への需要と供給によるものと2つ存在することが示唆されている。

前出の説明では、暗に合理的期待形成がなされる前提に実はなっているのだが、実際には、それは成り立たないことははっきりしている。また、為替は結局需給で決まるというのは、唐鎌理論もそうなのであるが、実は、金融市場では本来理論的には成り立たないはずの議論なのである。

なぜなら、需給で為替レートが本来の水準からのズレが生じれば、そのズレを利用して儲けようとする裁定取引が投機家によって行われ、すぐに為替は元の水準に戻ることになる。

となると、結局、実際、為替はどのように決まっているのか?

前出の議論を踏まえると、理論的には論理的とは言えないが、結局現実には需給で決まっている、という説だけが生き残りそうである。そうだとすると、なぜ、論理的には生じるはずの裁定取引が行われないのか?

それは「正しい」水準が存在しないので、戻っていくべき為替レートというものが存在しないからである。ファンダメンタルズがないから、戻るべき理論値もないし、アンカー(錨)となる拠り所もないのである。

唯一の拠り所は、昨日までの為替水準であるが、昨日の為替水準にも正しい理論値はもちろん存在していなかったから、昨日までの水準から今日ズレたからと言って明日戻っていくはずがない。

つまり、為替水準は、常に365日、正しくないところにあるのであって、なぜその水準かというと、たまたまそこに為替水準があった、ということだけなのだ。既成事実として存在していた、という以外のことは何もないのである。

では、なぜ為替はそこから「ズレ」たのか?いや、そこから動いたのか?
ここに需給が登場する。誰かが売ったから下がったのであり、誰かが買ったから上がったのである。

為替に需給が生じた「3つの原因」とは?

では、この需給が生じた原因は何なのか?それは、第1に、論理が出てくる場合と、出てこない場合がある。第2に、実体経済からの生じた需要と供給の場合と、金融資本市場からの売りと買いの場合がある。第3に、金融市場から需給に関しては、運用ニーズというある種の実需の場合と、投機的需要の場合とがある。

そして、この3つの軸からの、さまざまな違う需要と供給が入り混じるために、為替レートは1つの論理では説明できない動きをすることになるのである。

論理が出てくる場合とはどんな場合か。例えば、日本の貿易赤字が増加して、輸入のためにドルが必要だから、ドル買い円売りが出る、というのは1つの論理である。これは実体経済の貿易によるものだ。次に、金融市場では、アメリカの金利が上がったから、ドルでの運用ニーズが高まり、ドル買い円売りが生じた、という論理がありうる。

「なんだ、論理があるじゃないか!」と思われるかもしれないが、これは為替水準の論理ではなく、為替の変化の方向の論理なのである。貿易赤字が増えれば円安方向、アメリカの金利が上がるのも円安方向、という論理はある。しかし、では、今の1ドル=145円が150円になるのか155円になるのか、ということに関しては、何も言えない。さらに、145円と155円とどちらが長期的に正しいのか、ということはそれ以上に一切何も言えない。

つまり、何か世界に変化が起きたときに、為替の変化の方向には理屈はあるが、その変化の幅には理屈がない。その理由は、もともと正しい絶対水準というものが、なんらかの目安ですら存在しない、ということが変化の幅が決まらない、ということを助長している。

かくして為替市場は投機家のやりたい放題に

このような構造の下では、為替市場はどうなるか。投機家のやりたい放題になるのである。

為替売買の実需は実体経済にも金融資産運用市場にも存在する。そして、それは論理が成り立つから予想できる。となると、必ず出てくる需給を利用して、投機的に振り回してさやを抜く、ということが合理的になってくる。相手は必ず売買しないといけないから、為替水準が変動しても、その新しい水準で需給が出てくる。それを狙いすまして、先回りして売買することができるのである。

そして、弱い投機家を強い投機家がカモにする、ということも生じる。つまり、為替の動く方向には理屈が立つから、今述べたような投機的動きをする投機家がいる。

しかし、彼らも方向は予想し、それを利用しようとするが、それがどこまで動くかは予想できない。理屈がないから予想できないのだ。それを利用して、強い、つまり為替市場に影響力の大きい投機家が彼らを手玉に取って、大きく振り回すことで儲けることが可能になり、実際そうするのだ。

その結果、為替はオーバーシュート(行きすぎること)も起こりやすくなるし、かつ一度同じ方向に動き出すとそのモメンタム(一方向への流れ)が止まらず、オーバーシュートの乱高下をしながら、かなりの期間、同じ方向に動き続ける。

いったん円安の流れになったらしばらく止まらないし、転換点が来たら、今度は円高方向しかありえない。しかし、皆がそう思っているから、一気に円高が進んでも、進みすぎかどうかは判断できないから、その流れに乗るが、しかし、強い投機家は、オーバーシュートを意図的に作りながら儲けることができる。

このように、強い投機家によって、為替相場は短期的には作られることが多いが、長期的な動きは、一部の投機家の意図では支配しきれない。大きな投機家集団、世の中全体の「群衆的な」動きによって決まってくる。それは誰にも予想はできないし、支配もできない。しかし、その流れで決まってくるのが現実だ。

その結果が、今の1ドル=145円前後なのである。今145円で125円でないのは、あるポイントからオーバーシュートとモメンタムを繰り返した結果なのである。

そして、そのあるポイントとは、1ドル=360円と1949年に決められたポイントなのである。そして、それが1971年末まで続けられたからであり、1973年まで1ドル=308円にしたからであり、1973年に308円スタートで変動相場制に移行したからである。

円安すぎる水準に長く固定されすぎていたから、その後は、一貫した円高モメンタムが続いたのであり、その流れがあったから、過度な円高というオーバーシュートが何度も繰り返されたのである。

そして、そのオーバーシュートが行きすぎたことから、円安の流れにどこかで転換せざるをえなかったのであるが、異次元緩和がきっかけとなって、今度は円安オーバーシュートが起きてしまったのである。したがって、すべては、1ドル=360円と決めたから、その後の水準の推移があったのであり、ゲームの始まりにおいて、たまたま決められた水準が今の水準に影響を残し続けているのである。

したがって、為替は本質的に、変動を続け、経済に歪みを与え続けるのであり、そういうものであるからこそ、異次元緩和のような、為替に意図的に強力な歪みをもたらすことは、もっともやってはいけないことであり、経済をもっとも大きく歪ませることになるのである。

ただ、異次元緩和を行ってしまった事実は動かせないし、今1ドル=160円まで行ってしまってから、今145円前後になっているということも動かせないので、この罪を償うことはほぼ不可能に近いのであり、その不可能を現在の日銀に世間が要求したために、為替市場が荒れることになったのである(本編はここで終了です。この後は筆者が週末のレースなどを予想するコーナーです。あらかじめご了承下さい)

競馬である。

8月21日、イギリスのヨーク競馬場で行われたインターナショナルステークス(G1・芝2050メートル)は、今年の英国ダービー馬で断然の1番人気だったシティオブトロイが逃げ切りでかつコースレコードで勝った。

日本から参戦したドゥレッツァは5着だった。今年は特に芝も固く、スピードの出やすい、欧州のコースの中では日本馬に相対的に向く馬場だったが、シティオブトロイの強さは圧倒的だった。ドゥレッツァは残念だったが、フランスの凱旋門賞に固執するのではなく、日本馬に向く重要な欧州GIレースを狙うのはとても良いことだと思う。

欧米での日本馬活躍を期待、日本も札幌で夏ダービーを

9月14日に行われるアイルランドのアイリッシュチャンピオンステークスには、3歳馬のシンエンペラーが参戦する予定となっており、アイルランドの競馬場は日本馬に向く、欧州にしては固い馬場のレーストラックが多く、これも良い選択だと思う。

やはり、欧州でのG1勝利を積み重ねることが、日本生産馬、日本調教馬の世界市場での価値を上げることになり、日本競馬が真に世界一になることへの最短コースである。

同様にアメリカのG1を勝つことも重要で、近年は矢作芳人調教師を始め、多くの調教師がアメリカのG1レースを目指しており、素晴らしいことだ。今年は、矢作厩舎所属で今年のケンタッキーダービー3着惜敗のフォーエバーヤングが11月2日のブリーダーズカップクラシック(ダート2000メートル、カリフォルニア州デルマー競馬場)を目指す予定となっている。

さて、週末24日のアメリカでは、ミッドサマーダービーと呼ばれる、同国の高級避暑地であるニューヨーク州サラトガ競馬場で行われるトラヴァーズステークスに注目だ。ここを勝った馬がフォーエバーヤングのライバルになるかもしれない。日本でも、このようなミッドサマーダービーを8月の札幌で行ったらよいのではないかと思う。これからも日本馬の欧米での活躍を期待する。

※ 次回の筆者はかんべえ(吉崎達彦)さんで、掲載は8月31日(土)の予定です(当記事は「会社四季報オンライン」にも掲載しています)

(小幡 績 : 慶応義塾大学大学院教授)