日本の最高学府である東京大学はどう変わるのか。藤井輝夫・東大総長に話を聞いた(写真提供:東京大学/ (c) The University of Tokyo)

現在、学校のみならずビジネス社会においても「教養」がブームとなっている。そもそも「教養」とは何か。なぜ「教養」が必要なのか。

3万5000部のベストセラー『読書大全』の著者・堀内勉氏が、東京大学総長でこの5月にUTokyo Compass 2.0を公表した藤井輝夫氏に、その施策の1つである新たな学際的な学びと課題解決に取り組む場としての「College of Design(仮称)」構想をはじめとする、今後の教養、および大学のあり方について話を聞いた。

堀内:東大には教養学部があって、大学の柱の1つになっていると思いますが、このたび、藤井総長が先頭に立って、新しく「カレッジ・オブ・デザイン(College of Design)(仮称)」構想を打ち出されました。東大総長として、これからの教養教育について、どのように考えられているのでしょうか。

東大における「教養教育」のあり方

藤井:本学の教養学部は1949年の新制東京大学発足と同時に設置されました。全国の国立大学が一般教育科目を担当する所謂「教養部」を置いたのに対して、本学だけは独立した学部として教養教育を実践してまいりました。また、多くの大学が1991年の大学設置基準の大綱化を契機に「教養部」を改組・解体していく中で東京大学は教養学部を残した、という経緯があります。

以来、われわれが大事にしているのは、いわゆる「レイト・スペシャリゼーション」と、それから「アーリー・エクスポージャー」をセットで行うということです。まずはリベラルアーツを広く学んでから、レイト・スペシャリゼーションということで2年生の後期から専門の科目に入っていきます。2年生までは科類という大枠に分かれて教育課程が組まれています。その中で、専門分野へのアーリー・エクスポージャーが起こるような機会も設けてきました。

一方、後期課程に入ってからの「レイト・ジェネラリゼーション」も必要なのではないかという議論が起こり、いわゆるインターディシプリナリー(学際的)な、つまり特定の専門領域には収まらない科目群を学部の後期で学べる教育課程を、この10年ぐらいをかけて築いてきました。これは専門分野の学問を深く学ぶ中で、それを他の学問領域と相対化する機会を設け、その視点を養うことを目的とするものです。

以上が東京大学における教養教育の成り立ちになるかと思います。そして、現在構想している「カレッジ・オブ・デザイン」においても、文理の境のない様々な専門知の組み合わせに基づく教育を展開しようと考えています。

堀内:「カレッジ・オブ・デザイン」に先行して始まったエグゼクティブ教育――「東大EMP(東京大学エグゼクティブ・マネジメント・プログラム)」がその代表だと思いますが――は着実に実績を挙げていると思いますが、社会人に対する教養教育と教養学部や「カレッジ・オブ・デザイン」構想は、どのようにリンクすることになるのでしょうか。

東京大学エグゼクティブ・マネジメント・プログラム

藤井:東大EMPは、ビジネススクール的な学科を導入して専門知識を学んでいただくというよりは、エグゼクティブとして知っておくべき広い領域の知識や考え方、あるいは考え方を導く方法知を習得するプログラムです。

私の考えとしては、教室の中で学ぶことができる知識の塊や、演習などで学んだ知識を活用して何かを得ることはもちろんできますが、その範囲を越えて、いわゆるオフキャンパスの、学外でのアクティビティ、経験を通して学んでいくという実践の部分こそが、教養の要素として重要だと考えています。

これは、私自身が工学系の出身だからかもしれませんが、教養、あるいは自分の持っている知というものが、どのように活用し得るかということについて、経験を通して学んできました。こうした経験から、教室の中と外とを行き来すること、学びを社会と結び直すという考え方が大事なのではないかと考えるようになりました。

学びの場から社会、またその逆、どちらか一方向ではなく、社会との行き来を通じて、大学が生み出す知をどのように活用できるのか、あるいは何が足りていないのかについて、実際の経験や実践を通して気づきを得る。これをまた次の学びに生かしていくというサイクルが重要だと考えます。

このような実践を考えたときに、現在、数多くの新しい技術やツールが出てきています。最近の生成AIもそうですし、その前には、機械学習やインターネットがあったわけです。今は何かを調べようと思うと、ネットを検索して調べる、あるいはデジタルの技術でさまざまなところへアクセスすることが可能です。

調査の仕方についても、データセットを集めてくることができるようになり、そのデータをもとに議論ができます。さまざまなツールが次々と現れる中で、それが学問や知的な作業、さらには仕事のあり方をも大きく変えていきつつある、といってよいでしょう。

それから、現在さまざまなディシプリン(学問分野)がありますが、そのディシプリンは大学では学部、学科という形で分かれています。しかし、現代の人類社会が直面している課題、あるいは自然科学が突きつめて掘り下げている科学の問いは、単独のディシプリンのみによる解決が難しくなってきています。

たとえば私は船舶工学科の出身なのですが、私が大学で学んでいた頃の船舶工学というのは、流体力学と構造力学と設計と建造といった、あるひとかたまりのディシプリンを学べば、船舶を造ることに関する必要十分な知識がある程度得られるようになっていたわけです。

しかし、その後コンピュータによるシミュレーションが出てきたことで、加速度的にデジタル領域が広がっていくなどして、やがて産業構造の変化と共に船舶工学は学科としてもなくなりました。今はシステム創成学科となりましたが、このような流れを見ても明らかなように、専門分野の流動化が起こっていて、インターディシプリナリーに学んでいくことがきわめて重要になりました。

ですから、たとえば、地球環境や気候変動問題について学ぼうと思っても、特定の分野だけを学んでも到底その課題を解決できなくなっているのです。

「知の爆発」時代の学問

堀内:たしかに、われわれが直面している深刻な課題に対して、1つの専門知識だけで解決することは難しくなっていますね。

藤井:インターディシプリナリティが重要だということと同時に、もう一つの観点として、いま「知の世界」において、ある意味で「知の爆発」が起きているということがあります。専門知がどんどん膨張して、たとえば学部の後半、後期課程2年半で特定分野の知識をすべて教えよう、あるいは学ぼうと思っても到底間に合いません。学んでいるそばから、次々と新しい知が生み出されていくのが現在の状況です。

そのような状況においては、ある体系を隅から隅まで学ぶというより、学び方自体が大事になってきます。自分自身の興味関心、あるいは自分の仕事上のプロジェクトでもいいのですが、そういうものに必要な知識のセットをいかにコーディネートして、ひとかたまりのものとして集めてきて、それをしっかり活用できるか。そのことで、新しいものを生み出していけるか、新しい仕組みをつくり上げていけるか、新しい提案を行うことができるか。このような学びのあり方が大事になってきているのです。

このような学びかたは、たとえば船舶工学のためにカリキュラムをつくったのでこれをやりなさい、というサプライサイドからの学びではなくなります。むしろ、ディマンドサイドから見て、自分がやりたいことからスタートして、そのためになにが必要かという観点から、複数分野にまたがる知識を集め、1つのコーディネートされた知の体系を築き上げていく。

それに加えて今度はプラクティスサイドになりますが、実際のものをつくる、あるいは仕組みを考える、提案をする、ビジネスを考えるといったようなことに自らの学びを繋げていく。そうした学びのあり方が大事なのではないかと思います。

いまお話ししたようなことは、これから来るべき未来のビジネス、プロダクト、公共サービスなど、まさに未来の社会やあり方をデザインするということだと思います。これが今回、「カレッジ・オブ・デザイン」構想に思い至った経緯です。

つまり、世の中全体で変化が起こっていて、さまざまな分野において物事がサプライサイドからユーザーサイドに移行しています。それに合った新たな仕組みをつくり、社会課題の解決を目指そうとすると、企業などからの目線ではなく、生活者や市民といったユーザーサイドの個々人の目線で仕組みをしっかりとつくっていくことがきわめて重要になります。

教育もある種の社会的な機能の1つですから、必然的に「カレッジ・オブ・デザイン」で考えているコンセプトは、こうした世の中の変化を受けて、ディマンドサイドから考えてつくり上げる学び、ということになります。

グローバルな視点で東大を変えていく

堀内:なるほど。今、カレッジ・オブ・デザインが必要とされる理由がよくわかりました。

藤井:今、お話ししたような考え方に基づいた新しい学びを、東大、あるいは東京から世界に向けて発信をしたいと考え、この新課程を「カレッジ・オブ・デザイン(College of Design)」という英語名称で構想しています。世界中から学生が集まってくるよう、海外大学との学期の互換性を考え、秋入学ですべて英語で教育を行う課程を実現しようとしています。

堀内:ありがとうございます。お考えのことがだいぶよくわかりました。もう一度整理させていただくと、そもそも論になるのですが、いま社会における大学の役割はどういうものか。この点について、東大ではどのような議論が行われているのでしょうか。

東大には大勢の先生方が集まっていて、これだけたくさんいらっしゃれば、やはり先生によって考え方が様々なのではないかと思います。一方の極では専門的な学問を究めて、人類の知に貢献するんだという伝統的な考え方をする方がいらっしゃいますし、もう一方の極では、大学というものは社会に積極的にコミットしていく必要があるという考え方をされる方もいらっしゃる。おそらく藤井総長は後者のほうのお考えだと思うのですが。

東大はどこへ向かうのか

東大としてはいまどのような方向に向かおうとしているのか。それは先ほど話が出た国際競争力の話にもなりますが、イギリスのタイムズが毎年発行している高等教育情報誌「Times Higher Education」で順位が何位だったかということにどれだけこだわるのか。アジアの大学はシンガポール国立大学や、北京大学、清華大学などが日本の東大の上に来ていて、東大の凋落ということが言われています。

これはきわめて資本主義的な話で、東大は日本では偏差値が一番高いからすごいと言われます。それと、Times Higher Educationの順位が高いから偉い、低いからダメというのとすごく似ているようなイメージはあるのですが、そのあたりをどのように理解されていらっしゃるでしょうか。大学のそもそもの役割は何かというあたりを交えてお話しいただけませんでしょうか。

藤井:そうですね。もちろん専門知を追求することも大事ですが、長い時間、時代の変化の中で、社会へのコミットというか、社会との関係の中で貢献していく必要度が高まっているのではないかと思っています。東京大学は、法人化にあたって「東京大学憲章」をつくったのですが、ここで「世界の公共性に奉仕する」というミッションを掲げています。

当然、世界の公共性への奉仕の一環として専門知の追求はありますが、先ほどお話ししたようなさまざまな人類社会が直面している課題――気候変動もそうですし、パンデミックもそうですし、さまざまな地域の紛争もそうですけれども――に対して、どうすれば解決への手がかりを生み出していけるのか、あるいは提示していけるのか、という新しい知を生み出す機関としての役割も大学は担っているのです。

より大事なことは、大学が生み出してきた知をむしろアカデミアの外の皆さんと共有していくことです。逆に言うと、どのような学知が求められているかということを、「学外の皆さんとの対話」と私たちはよく言っていますが、対話を通じて何が求められているかを見出していく。むしろ学外の皆さんと一緒に知を生み出していく、知を共創すると言っていますが、そういう関わり方の重要度が増していると考えています。

その意味では、大学という機関はやはり社会の中でいろいろなセクターの方々をつないでいき、そこで知を共有していく、あるいはつながった方々と一緒に知を生み出していく。そういった役割が求められているのだろうと思います。

堀内:なるほど。いまのお話をうかがって、今後はより社会との関係を深め、人類共通の課題解決に象徴されるように、社会に積極的にコミットしていく方針だと理解しました。

世界のアカデミア・ネットワークにおける存在感

藤井:そうですね。その上で、Times Higher Educationなどのいわゆる大学ランキングというものがありますが、世界の大学の中で、日本にある、東京にある大学としての東京大学が、世界のアカデミアのネットワークにしっかりとポジションを有している、ということが重要だと考えています。

さまざまな指標の取り方がありますが、それでもやはりTimes Higher Educationの議論に加わったり、あるいは国際会議があればプレゼンスを示しにいったりしていかなければならないだろうとは考えています。

いたずらにランキングを上げるために何かをしようとは考えていませんし、世界のアカデミアの人たちとしっかりつながっていけるということのほうが重要だろうと思っています。

後編に続く)

(藤井 輝夫 : 東京大学総長)
( 堀内 勉 : 多摩大学大学院教授 多摩大学サステナビリティ経営研究所所長 )