クリエイティブの世界は「AIを使うアマ」が多数に
これからの時代の「仕事の選び方」とは(写真:metamorworks/PIXTA)
生成AIの浸透により、仕事や働き方に関するスタンス自体が大きく変わろうとしています。最新技術によって社会のあり方はどう変わるのか、堀江貴文氏の新著『ホリエモンのニッポン改造論』よりご紹介します。
AI時代の仕事の選び方
一般企業には、まったくといっていいほど意味の見出せない仕事も少なくない。難しい入学試験や入社試験を突破して一流企業に採用されたものの、何の意味があるのかわからない仕事に追われて虚しさを感じている人も多いはずだ。
だったら、そんな仕事は辞めたほうがいい。自分にとって居心地のいい場所を見つけて、人生を楽しんでほしい。かくいう私は、それを実践している一人だ。無意味だと思う仕事はしたくないし、実際、やらない。
それでは、私がしたいと思っている仕事とは何か。それはまず、人に必要とされている仕事である。働いたことで人に感謝されたいのだ。つまり、人に必要とされない仕事をしてまでお金を稼ぎたいと思ったことがないのである。
知人にもこんな人がいる。北海道の小さな町に移住し、私が発案した地方活性型のベーカリーブランド「小麦の奴隷」を運営しているのだが、家賃はなんと1万2000円だという。LCCを使えば東京と北海道は2万円程度で往復できるから、月に何度か行き来しても、東京の賃貸マンションで暮らすより安上がりだ。毎日、満員電車に耐え忍ぶ必要もない。
彼は店舗を全国的に展開し、それぞれの地を楽しみながら生きている。何しろ生活費の多くを占める家賃がたったの1万2000円なのだから、月に30〜40万円も稼げば十分、豊かな暮らしができる。
私がオンラインサロンを運営しているのも、実は、必要とされる仕事をしたいと思ってのことだ。非常に楽しく働けるし、ミニマムな生活をすることで、生活の仕方や生き方がより自由になった。そんなことを発信していきたいと思っていたのだ。
これからの仕事選びは、このように、「人に必要とされ喜ばれているか」「自分自身が楽しい日々を送れているか」が目安になっていくべきだし、そうなっていくはずである。面倒な仕事、ルーティン的な仕事、誰にでもできる仕事はAIがやってくれるからだ。
「AIを使うアマ」が大多数になる
AIに取って代わられる可能性があるのは、ホワイトカラーやエンジニアだけではない。AIの画像生成能力も劇的に上がっているのだ。
今後は広告クリエイティブの世界でも、その商品にふさわしいモデルを探すより、AIで理想的な人物像を生成したほうが合理的になっていく可能性が高い。AIならパターンを無限に作ることができるので、コストパフォーマンスもいい。
Kindleの「写真」カテゴリーの売れ筋ランキング上位に、AIによる写真集が入っていたこともある。
また、2023年に開催された「Sony World Photography Awards 2023」のクリエイティブ部門で最優秀賞を受賞した写真が、受賞後、出品者エルダグセン氏の開示により生成AIが作った画像であると判明した。
結局、同氏は賞を辞退したが、その際、「受賞作が生成AIによるものとわかった人、あるいは、せめて疑った人がどれくらい、いるだろうか?」
「私は生意気な猿として、主催側にAI画像を受け入れる準備があるかどうかを調べるために応募した。結果、準備はなかった」などと語ったという。意図的に問題提起をしたわけだ。
たしかに、写真に関しては、今後、プロとアマの境目は限りなく曖昧になっていくだろう。学校で教えているような撮影技術がなくても、AIを使えば、素人の下手な写真をプロ級のものに処理することができる。
近年は、iPhoneなどスマホのカメラの性能もデジタルカメラ並みになっている。高価な一眼レフカメラがなくても、スマホで撮った写真をAIに加工させれば、プロの写真と比べても遜色ない出来になるだろう。
私は写真を撮影される機会が非常に多い。しかし正直、スタジオに出向き、大勢のスタッフに囲まれ、長時間にわたり写真を撮られるのは苦痛だ。
そんなときもAIの出番だ。昔、撮った写真を、年月の経過などに合わせてAIに修正してもらえばいい。そうすればスタジオ代も撮影代もかからない。
普段着で過ごすことが多い私だが、AIによる加工写真なら、ネクタイ着用のスーツ姿だろうとタキシードみたいな正装だろうと、はたまた羽織袴だろうと自在だ。実際に着用するのは御免被りたいが、写真加工ならご自由にどうぞ、という感じである。
写真のみならず、イラストや美術作品などもAIが担う時代がやってきそうだ。いまは未熟だが、ものすごい勢いで進化しているAI技術で、プロ顔負けの作品の制作が可能な時代が必ず来る。
私も、画像生成AIのMidjourneyを使って架空のアパレルブランドを作ってみた。そこで扱っているのは、私が発案したパン屋「小麦の奴隷」をモチーフにしたキャップやパーカーなどだ。デザインも着用モデルも「Midjourney作」だが、いいものができたと満足している。
もしかしたら、AIは、人間のプロデューサーや監督と同等か、それ以上の作品を作るようになるかもしれない。人間のモデルもクリエイターも要らなくなる時代が来るという私の予感はかなり高い確率で当たるはずだ。
すでに「Vチューバー」の存在は社会的に認知され、受容もされている。「中の人」が何者なのかは聞かないというのが、Vチューバーまわりの不文律だ。
ならば、ある日突然、広告モデルがAIになったとしても、気づく人はほとんどいないだろう。クールならそれでよしであり、そのモデルが何者かなんて誰も気にしていないし、問わない。生身の人間だろうと画像生成AIが作り出した人物像だろうと関係ないのだ。
「優れたプロフェッショナル」の需要はなくならない
ただし、プロの写真家やイラストレーターや画家が、この世から完全に消滅することはないだろう。デジタル時計が普及しても、アナログ時計の需要はある。オートマチックの車のほうが運転は楽なのに、マニュアル車はこの世から消えていない。
これと似たようなことだ。つまり、どれほど生成AIで精度の高いクリエーションができるようになっても、「人間の手によるもの」に対する需要はなくならない。そして、ここでいう「人間の手によるもの」とは、「極上のプロフェッショナルの手によるもの」である。
クリエイティブの世界は、「AIを使うアマチュア」が大多数になるなか、少数の優れたプロフェッショナルが極上の仕事をするという様相になっていくだろう。
(堀江 貴文 : 実業家)