「一見客がまた来たいと思うラーメン店」とは何か…所沢の超人気店が「夫婦間の私語厳禁」を定める深い理由
■もちもちの手もみ麺で人気沸騰
西武池袋線・狭山ヶ丘駅の西口から徒歩1分。
埼玉を代表する中華そばの名店がここにはある。「自家製手もみ麺 鈴ノ木」だ。
2018年にオープン。「食べログ」では3.90点を誇り、埼玉のラーメン店では堂々の4位につく(2024年7月11日現在)。
「鈴ノ木」は店主の鈴木一成さんと妻・千尋さんの2人で切り盛りしている。埼玉西武ライオンズファンの2人は独立にあたって所沢市に引っ越し、ここ狭山ケ丘でお店をオープンした。
自家製の多加水麺を一玉ずつ手もみして仕上げた極上の麺が自慢。スープは鶏と昆布のみで、ここにキレのある醤油ダレをプラス。創業当時よりも鶏の量を増やし、圧倒的なダシ感で魅了する。麺は3種類の国産小麦をブレンドした専用粉で仕上げている。
一気に人気が沸騰したため、現在は記帳制を導入。営業日は毎日11時頃に記帳台が出るので、ここに名前を書いておけば順番に呼ばれる仕組みだ。
最近はネット予約制のお店も増えているが、「鈴ノ木」は地元のお客さんを大事にするためにあえて記帳制を採用している。地元の常連は朝散歩がてら記帳しに来て、家でのんびりしてからまた食べに来るのだという。
「常連さまに支えていただいているので、夫婦で話し合った結果、記帳制を続けようと決断しました」(一成さん)
■ドライバー→お菓子工場を経て「六厘舎」の店長に
一成さんは埼玉県幸手市生まれで、高校卒業後はヤマト運輸のドライバーを経てお菓子の工場で働いていた。
ある日、つけ麺の名店「六厘舎」がテレビで取り上げられた時に、同級生の瀬戸口亮さんが店長としてインタビューに答えているのを見た一成さん。同級生が有名店で活躍しているその姿を見て、刺激を受けた一成さんは瀬戸口さんに連絡をする。
すると、瀬戸口さんは「今、人がいないので良かったら来ない?」と一成さんを「六厘舎」に誘う。こうして一成さんはラーメンの世界に足を踏み入れることになる。27歳の頃だった。
「六厘舎」では4年間働いた。最後の2年間は「六厘舎」のソラマチ店の店長に抜擢され、多くの従業員を管理するマネジメント的な仕事に就いていた。
一方で、店作りやマネジメントを学ぶことはできたが、スープ作りや麺作りなどには携わることができなかったため、さらにラーメン作りを学んでみたくなる。
そんな頃、同僚の瀬戸口さんが独立し、埼玉県三郷市で「さなだ」をオープン。このころから独立を考え始めるようになる。
■独立すると給料は半分になってしまうが…
「人生は一回きりだし自分もやってみたいと思ったんです。独立するなら、手もみの多加水麺を使ったラーメンを作りたいなとも思っていました。幼い頃から佐野ラーメンや喜多方ラーメンが好きだったので、そんなイメージのラーメンを作りたいなと考えていました」(一成さん)
「六厘舎」を辞めた後は、都内にある有名店で働かせてもらえることになった。約4年間、徹底的に基礎を学んだ。その間、週に一日は、東京・金町の「金町製麺」にアルバイトに行き、多加水の手もみ麺の製法を教わる。
修行をしながら、独立に向けてぼんやりとではあったがラーメンのイメージが固まってきた。
金町製麺で学んだ手もみ麺に「白河ラーメン」のような鶏のスープを合わせ、無化調(化学調味料不使用)で仕上げた一杯だ。試食を重ねつつ、こうして自分だけの一杯を完成させる。
こうして、「自家製手もみ麺 鈴ノ木」は2018年10月にオープンした。店名は苗字の「鈴木」を文字って「鈴ノ木」とした。
さらに、子どもでも安心して食べられるラーメンを作りたいという思いから、産科医が主人公の漫画『コウノドリ』(講談社)の著者・鈴ノ木ユウさんの苗字を拝借し、ダブルミーニングになっている。
■開業で重視したのは「お客さんの層」
妻の千尋さんとは22歳の頃に出会い、六厘舎で修行している間に将来独立したいと相談をした。ソラマチ店の店長をしている時期から考えると給料は半分になってしまうが、千尋さんは賛成してくれた。
独立を考え始めてから、2人で節約しながら独立資金を貯めていった。時には食費を一日100円にまで切り詰め、徹底的に節約をした。同棲時代からは給料を千尋さんに全部渡してお小遣い制に切り替えた。
「安い食材で栄養のある料理を手作りで毎日作ってくれた妻には感謝の気持ちでいっぱいです。初期費用は掛かりましたが、スケルトンにして内装からすべて理想のお店作りができたのも、妻が開業資金を貯めてくれていたからです」(一成さん)
所沢に引っ越してから店舗を探し、内見をしてから夕方まで人の流れをじっくり見ていった。
一成さんは、通行量もしかりだが、特にお客さんの層を重視したいと思っていたのだという。
「ここの物件は2人でビビッときたものがあったんです。周りには穏やかな人が多く住んでいて、駅の乗降人数も多い狭山ケ丘に惹かれました。最終的には『この場所にしよう』という妻の言葉が決め手になりました」(一成さん)
■夫婦間で「私語厳禁」のルールを課す理由
一成さんは夫婦で切り盛りしているラーメン店に憧れていた。「Miya De La Soul」や「燦燦斗」「こうかいぼう」など大好きなお店は夫婦経営のお店ばかりだった。
「従業員やアルバイトとお店をやっている絵が私には描けなかったんです。奥さんと片田舎で2人で切り盛りしているイメージしか描けませんでした。なので『一緒にやってくれないか?』とお願いしました」(一成さん)
2020年からは隣の物件も借りることができ、お店のサイズが倍になった。
子連れ客やお年寄りも入りやすいように、待合室とテーブル席を作った。
こういう時も最終決定権は千尋さんだ。いつだって冷静な判断と広い視野で決断してくれるのだという。
「お客さんから『夫婦で頑張ってるよね』と言われている雰囲気が好きなんです。これからもさらに地元の方々に愛されるお店になれたらと思っています」(一成さん)
毎日営業が終わった後に言い合いをすることはあるが、その日でリセットし、次の日に持ち越さないのが2人のルール。2人の間がギスギスしているのがお客さんにもわかってしまうからだ。
営業中は2人の間では基本的に私語厳禁。コミュニケーションはとるが私語はしない。初めて来たお客さんがまた来たくなるようにお店の雰囲気作りに気を配っている。
■常連客だからと特別扱いはしない
たとえ味が良かったとしても接客が疎かになっていくと店は長続きしない。一成さんが大事にしているのは「お客さんに優劣をつけないこと」だ。接客の悪さとは無愛想な態度をとるということだけではなく、常連とばかりぺちゃくちゃ喋ったり、内輪的な空気を醸し出したりすることも含まれる。
2人は開店当初から現在に至るまで、一人ひとりに対し丁寧に接客することを心がけているが、開業して間もない頃はお酒を持ち込んで飲み始めるお客や、店前でタバコを平気で吸うお客もいたという。そういうお客に対してはハッキリとやめてほしいと伝えた。店がある程度の規律を保つとお店の雰囲気がよくなっていくのだという。
人と話すことが大好きな一成さんだが、常連客との会話は挨拶程度にとどめ、ありがとうの気持ちを一杯のラーメンに込めて提供している。
■大好きなライオンズのコーチや選手も来てくれた
2人の共通の趣味は埼玉西武ライオンズを応援することだ。一成さんはもともとライオンズファンだったが、千尋さんを2009年からファンに引きずり込んだ。
もともと高校野球のファンだった千尋さんだが、当時のライオンズはイケメンの若い選手が大活躍していて、今までのプロ野球のイメージを変えてくれたという。今はどっぷりライオンズファンになった。
「独立したら球場に行き放題かなと思っていましたが、やることが多くてなかなか行けないのが悩みです。実際にお店には潮崎哲也コーチや嶋重宣コーチ、岡田雅利選手が食べに来てくれて、その時は本当に嬉しかったです」(一成さん)
これだけの人気店でありながら、常連客が5割を占める「鈴ノ木」。
地元を大事にし、毎週のように通うファンが多いことがわかる。千尋さんへの感謝を忘れずに一成さんは今日もラーメンを振る舞う。
これからも人を雇うつもりはない。弟子もとる予定はない。夫婦2人どちらかが動けなくなったら辞めようと話している。
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井手隊長(いでたいちょう)
ラーメンライター、ミュージシャン
全国47都道府県のラーメンを食べ歩くラーメンライター。東洋経済オンライン、AERA dot.など連載のほか、テレビ番組出演・監修、コンテスト審査員、イベントMCなどで活躍中。自身のインターネット番組、ブログ、Twitter、Facebookなどでも定期的にラーメン情報を発信。ミュージシャンとして、サザンオールスターズのトリビュートバンド「井手隊長バンド」や、昭和歌謡・オールディーズユニット「フカイデカフェ」でも活動。
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(ラーメンライター、ミュージシャン 井手隊長)