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プロ野球西武で捕手としてプレーした伊東勤氏(61)が2024年7月16日にユーチューブを更新し、現役時代に最も衝撃を受けた外国人選手を挙げた。

伊東氏が西武時代に対戦した中で最も衝撃的だった選手は、元近鉄のラルフ・ブライアント外野手(63)だったという。

「とにかく当たればどこまで飛んでいくのだろう」

ブライアントは大リーグのロサンゼルス・ドジャースで85年にデビューすると、88年4月に中日に移籍した。中日では2軍でプレーし、88年シーズン途中の6月に近鉄にトレードされた。

近鉄時代は3度の本塁打王をはじめ、打点王、ベストナインなど数々のタイトルを獲得。95年シーズンまでの8年間、近鉄でプレーし、通算259本塁打、641打点、OPS(出塁率と高打率を足した数字).904を記録した。

伊東氏はブライアントの印象について

「空振り三振もすごく多かったですが、当たればとてつもなく飛んで行った。東京ドームのセンターのスピーカーに当てたのが語り草になっている。とにかく当たればどこまで飛んでいくのだろうというバッターだった」

と語り、1989年に西武と近鉄が優勝争いをしていたときのブライアントの打撃に言及した。

伊東氏が振り返ったのは、シーズン終盤の10月12日に行われた西武と近鉄のダブルヘッダー。ペナントレースでは西武が首位を走り、近鉄が2位で追走していた。

伊東氏は「西武がひとつでも勝てば優勝間違いないと言われるような天王山でした」とし、ブライアントの神がかった打撃を、こう振り返った。

「どこに投げても打たれる」

「あの日は最初からブライアントのオーラが強すぎて。僕は今までそういうのを感じたことはあまりなかったですが、試合前からブライアントに後光がさしているんですよ。嘘みたいな話ですけど。これは今日はやられるなと」

第1試合の西武の先発は、伊東氏が「西武の1番いいピッチャー」と評したエースの郭泰源投手。ブライアントは、その郭から第2打席にソロ本塁打、6回には満塁本塁打を放った。

8回の第4打席では、苦手としていた渡辺久信投手からソロ本塁打を放ち、優勝の行方を大きく左右する天王山で、1試合3本塁打を記録した。

数々の修羅場をくぐってきた伊東氏は「不思議なくらいに(打席がブライアントに)回ってくる。後にも先にもそんなに怖さを感じたバッターはいなかった」と振り返り、次のようにブライアントの打撃を評した。

「1塁が空いていたら歩かせればいいと思うかもしれないが、そういう気持ちよりも、どこに投げても打たれると。とにかく走者を出さないようにして攻めていった。2本打たれたあとに、渡辺久信が抑えとして入っていた。それまでシーズンで10三振くらいとっていて、打たれたのが1本か2本くらいだった。ほとんどが三振。あの久信でも最後に打たれた。よく『吸い込まれていく』と言うじゃないですか。まさにそんな感じでした。ブライアントのためにあったダブルヘッダーだった」

ブライアントの活躍で初戦を6−5で制した近鉄。第2戦でもブライアントの1発が飛び出し、近鉄が14−4の大勝を飾った。結局、89年は近鉄がペナントレースを制し、西武は3位に終わった。