今回の騒動を受けて記者会見する斎藤元彦兵庫県知事(写真:時事)

7月16日、兵庫県・斎藤元彦知事の定例会見が行われ、一連のパワハラ疑惑について記者からの追及を受ける姿がトップ級のニュースとして報じられました。

事の発端は今年3月、県の元幹部職員が斎藤知事のパワハラ行為などを文書で告発。斎藤知事は「事実無根の内容が多々含まれている」「名誉毀損や信用失墜」「業務時間中にうそ八百含めて文書を作って流す行為は公務員失格」などと否定して、元幹部職員を解任しました。

さらに県が元幹部職員に停職3カ月の懲戒処分を下し、一方で議会は百条委員会を設置。告発者の元幹部職員は7月19日に証人として出席予定でしたが、7日に「死をもって抗議する」という主旨のメッセージを残して亡くなり、自殺とみられています。

斎藤知事は県職員の労働組合などから辞職を迫られているほか、疑惑の根拠となる情報源などを記した陳述書のほか、自治体トップに酒をねだったとみられる音声データの存在も明らかになり、批判の声があがりました。

今年に入り相次ぐ「パワハラ騒動」

また、このところ元安芸高田市長で都知事選に出馬した石丸伸二さんの言動が「ハラスメントではないか」などと疑問視する声がネット上にあがり続けていました。

疑問視された主な内容は、都知事選後のインタビュー内容、安芸高田市長時代の議員などに対する発言、印刷会社への代金未払い訴訟などがあり、都知事選から10日超が過ぎた今なおパワハラ気質を疑われています。

さらに4月には静岡県の川勝平太前知事による職業差別と受け取られる発言が問題視され、過去の不適切発言などもあって、やはり「パワハラ気質」などの指摘が見られました。

奇しくも16日夜に放送された『カズレーザーと学ぶ。』(日本テレビ系)の特集は「被害者にも加害者にもならない 大ハラスメント時代の生き抜き方」。それだけハラスメントに敏感な世の中であるにもかかわらず、なぜ自治体トップのパワハラ問題が次々と起こるのか。

ビジネスのトップにおけるハラスメントを絡めて、その背景をひも解いていきます。

「聞く・話す」の順序とバランス

まず誤解のないように書いておきたいのは、ここで選挙に出る人や政治を志す人を「○○な性格」などとカテゴライズするのは適切ではないため、それはしません。広い意味で、組織のリーダーを志す人や選挙などで選ばれた人の言動や思考に着目し、「だからパワハラにつながりやすい」というリスクを挙げていきます。

16日の会見で斎藤知事はパワハラ疑惑などで辞職要求が相次ぐ事態について、「ご指摘は真摯に受け止めさせていただきたい」などとシンプルに語った一方で、「3年前に(選挙で)多くのご負託を私自身いただきました。新しい兵庫県に向けてよりよい県政を目指していくことが私の責任だと考えています」などと辞職を否定しました。

このコメントで気になったのは、議論のすり替え。パワハラ疑惑などについてふれない一方で、職にとどまる理由はしっかり語っていました。つまり、「相手の話をちゃんと受け止めず、聞かれたことに対する返事をしていない」ということ。

ふだんから組織のトップとして周囲の言葉に耳を傾け、返事をしている人なら今回のような会見でも、もう少し言葉を重ねて記者や住民に理解してもらおうとしたでしょう。

本来、組織のトップは職員の報告を聞くことが重要な仕事であるにもかかわらず、「聞く・話す」の順序やバランスが崩れている人ほどパワハラのリスクが高まってしまいます。

たとえば、「職員の話を聞くより自分が話す量や機会が多く、そのほうが組織がよくなる」などと考えるトップは少なくありません。もし話す内容が正しかったとしても、パワハラと感じられやすければ意図は伝わりづらく、思っていたような効果は得られないでしょう。

周囲との適切な「心的・身体的」距離感は?

特に自治体のトップは、「選挙で選ばれた自分の考え方を広めることが最善策」という思考回路の言動が目立ちますし、斎藤知事の「負託」発言はまさにそうでした。

また、パワハラ疑惑などの自分に都合が悪いところを話さなかった点も、「日ごろ周囲と向き合ったコミュニケーションを取らず、パワーで押し切るスタンスだから、詰め寄られたときに弱いのではないか」と感じさせられたのです。

自治体に限らず組織のトップに求められるのは、「聞く・話す」の順序とバランスを崩さず、日ごろから向き合ったコミュニケーションを取る姿勢。特に話を聞く前に話し、自分の言葉を押し付け、相手の言葉を奪うような言動はパワハラとみなされやすいので要注意です。

冒頭に挙げた斎藤知事、石丸さん、川勝さんの言動で気になったのが、自治体、社会、マスコミなどに対する「自分が変えなければいけない」という強烈な自意識。もちろんそのような矜持はトップとして大切なのでしょうが、パワハラにつながる選民意識と紙一重。

「自分が」という意識が高まりすぎるほど、親と子や飼い主とペットのような主従関係に近い思考回路になりやすく、“主”が信頼関係を築いているつもりでも“従”は「それほどでもない」。あるいは「本当は嫌だった」というケースが少なくありません。

そもそも組織のトップは、周囲との心的・身体的な距離感を適切なものに保てなければ、常にハラスメントを訴えられるリスクがあるポジション。トップに就いたあとに「自分は選ばれた」という意識が高まりすぎるとその距離感がズレて、「自分が思っているより遠かった」「相手にしてみたら近すぎた」ことで訴えられてしまうケースが散見されます。

さらに、「自分を選んでいない」という人が多数いることや、「選ばれたときに得た評価は変わる」ことを忘れがちなところも含め、組織のトップは自意識以上に周囲との心的・身体的な距離感を意識するべき時代なのでしょう。

パワーを意識した日々を経た「全能感」

「自分が変えなければいけない」という自意識が強くなりすぎる懸念はそれだけではありません。「まるで枕詞のように自己正当性や過剰攻撃の言葉が口を突いて出やすいこと」もリスクの1つです。

パワハラ気質のあるトップは「自分が正しい」という前提で話しはじめるため、そこから外れた人を「努力していない」「頭を使っていない」「間違えている」などと勝手なラベリングをしてしまう傾向があります。

もしその発言が正しかったとしても、誰かや何かを否定する必要性はありません。むしろトップだからこその配慮や寛容さを見せたいところですが、それを見せなければ正しい発言でも、何らかのフレーズからパワハラを感じられてしまうリスクがあります。

また、組織のトップは時間や利益を考えて、過程や文脈より効率や事実を重視するところがありますが、その際も「自分が」という意識が強すぎると自己正当性や過剰攻撃の言葉を続けやすいため要注意。

さらに、自分の言葉や真意が伝わらないときに、相手を論破しようとすることで言いすぎたり、言葉が強くなったりしてしまい、パワハラを訴えられるケースも散見されます。

最後に挙げておきたいのは、自治体や企業のトップを目指す人がはまりやすい思考回路とそのリスク。

「多くの人々のトップに立つ」ことを目指す人は、自分がそこへたどり着くために上下関係や力関係への意識が高まりやすいところがあります。

地位や名誉、権限や資格などのパワーに敏感な日々を送り続けた結果、いざ“上”になったときに全能感を抑えづらいことがリスクに直結。謙虚に振る舞おうとしても、パワーの存在を自覚してしまい、よほど意識を高めなければそこから逃れることは難しいところがあります。

なかでも、よく見られるのは、パワーを前提に「彼にはこれくらいは言っていい」「当たり前のことを言っているだけ」などと自分の言動に甘くなりやすく、周囲への心理的な配慮に欠けやすくなること。

現在は「これくらい」や「当たり前」に個人差がある多様性の時代だけに、トップであるほど全能感とは真逆の対等な対人感覚が求められているのです。

“絶対に避けたい”シチュエーション

もともと組織のトップに接するときは、「不満や不安を抑える」「本音を言わず合わせる」のが部下の基本スタンス。「表では仮面をかぶって無難に接し、裏では仮面を取って怒りを募らせている」という二面的な対応になりやすい関係性だけに、「自分は大丈夫」と高をくくってはいられないものです。

トップとして特に避けなければいけないのは、部下が「我慢を強いられて逃げ場がない」「防御ができず耐えるしかない」というシチュエーション。即パワハラとして訴えられてもおかしくない状況であり、日ごろから「逃げ場を残しているか」「耐え続けていないか」などと相手を見ながら話す習慣をつけたいところです。

むしろ最近はハラスメントを恐れて「叱れない上司が増えている」という声をよく聞くようになりました。それでもハラスメントをしてしまう人は、やはり自分や何らかの大義への意識が高まりすぎて、相手の心境をよく見ていないのではないでしょうか。

組織の運営や収支などがうまくいっていたとしても、「トップと周囲との人間関係がうまくいっているか」「パワハラがないか」は別問題。

「社会的地位や信頼を失ってしまう」ことに加えて「賠償金額がジワジワと上がっている」という今、これまで以上にパワハラに対するセルフチェックが必要になっていることは間違いないでしょう。

(木村 隆志 : コラムニスト、人間関係コンサルタント、テレビ解説者)