急逝が惜しまれるマテラスカイ レコードで重賞初制覇を決めたプロキオンS
まさかの訃報だった。ダートのスプリント路線で一時代を築いたマテラスカイが6月16日、息を引き取った。まだ10歳。種牡馬としても絶大な人気を集めていただけに、馬産地でも惜しむ声が多く聞かれた。そんな快足馬が重賞初制覇を果たしたのが今週開催されるプロキオンS。そこで思い出のレースを振り返りたい。
マテラスカイは父Speightstown、母Mostaqeleh、母の父Rahyの血統。15年のキーンランド・セプテンバーセールで35万ドルの値が付いた。16年に栗東の森秀行厩舎からデビュー。4歳を迎えて武豊騎手が主戦に固定されると本格化。1000万下(現2勝クラス)、1600万下(現3勝クラス)を連勝すると、果敢にドバイゴールデンシャヒーンに挑戦して5着に健闘。帰国初戦となった1600万条件の降級戦を楽勝し、迎えた国内ダート重賞初挑戦が18年のプロキオンSだった。
古豪のインカンテーションやキングズガード、オープン連勝中のウインムートなど、多彩なメンバーが揃った一戦。マテラスカイは単勝7.8倍で差のない5番人気に支持された。下馬評は「大混戦」。しかし、レースは意外な決着を見る。レースの主導権を握ったのはマテラスカイ。好発から難なくハナに立つと、前半3F33秒5、4F44秒7のハイペースで飛ばした。不良馬場にしても速い、速すぎる。「これはさすがに止まるだろう」。後続の騎手もそう感じたはずだが、マテラスカイは只者ではなかった。バテるどころか、直線に向くと後続を突き放し、残り1Fでは完全にセーフティーリード。最後は流しながら2着のインカンテーションに4馬身差の大楽勝を収めたのだ。勝ち時計1分20秒3は未だにダート1400mのJRAレコードとなっている。
この勝利で一気にダートスプリント界の主役に躍り出たマテラスカイ。その後、重賞は20年のクラスターCの1勝のみに留まったが、JBCスプリントやサウジアC、ドバイゴールデンシャヒーンなど、国内外のビッグレースで多くの銀メダルを獲得した。残された産駒は僅か2世代。その中から父の果たせなかったGI、Jpn1のタイトルを獲得する馬が出てくることを願いたい。