Netflix映画『余命一年の僕が、余命半年の君と出会った話。』メイキングカット

写真拡大

 永瀬廉(King & Prince)が主演し、出口夏希がヒロインを演じるNetflix映画『余命一年の僕が、余命半年の君と出会った話。』の三木孝浩監督のインタビューが到着。永瀬について、「もともと彼の声がすごく好きだった」と印象を語った。

【写真】『よめぼく』永瀬廉の美しい横顔切り取った場面写真

 原作は、森田碧の小説『余命一年と宣告された僕が、余命半年の君と出会った話』(ポプラ社)。今を大切に生きようとする2人が織りなす、“期限付きの恋”の物語だ。

 これまで多くの珠玉の恋愛映画を手がけてきた三木孝浩監督だが、本作がNetflixは初参加。三木に声をかけたのは長年タッグを組んできた春名慶プロデューサーだった。「春名さんとはたくさんの作品でご一緒してきたので、春名さんの求める作品像は僕なりに理解しているつもりです。Netflixは初参加ですが、どういうモノ作りをされるのかクリエイティブの視点でも大変興味があったので、是非にとお受けしました」同タイミングで原作小説を読んだという三木は、最初はタイトルから「悲しい物語」を想像したが、読了してみるとそのイメージはかなり異なっていたとか。

 「思っていた以上に明るさのあるお話で、非常にまぶしさを感じました。僕が今まで作って来た瑞々しい10代の子たちが一生懸命に生きているさま、みたいなことで言うと、この原作もその印象と近くて。もちろん余命という時間設定はありますが、大人になる過程の中で思春期をどう生きるかということと、ニアイコールだった」そこには三木が青春映画を作る時、根底に持っている意識が大きく関係している。「僕が青春映画を作る時は、“自分だったらこういう青春時代を過ごしたかったな”という意識で作っています。今回の余命設定も“自分だったら限られた時間の中でどう生きられるだろうか”と、自分ごととして捉えてみると、今まで作ってきた映画とより近しいものを感じました」

 共に残された時間の短い2人=秋人と春奈のラブストーリーを主軸にしつつ、「残された者のストーリーも大事にしたかった」という言葉も印象的。「命をまっとうして亡くなった2人が、これからも生き続ける人たちに何を残すのかということも、今回描きたかった大きな要素です。人は時に生きる希望を自分の中からではなく、他者から与えられることもある。それは生きている人だけでなく、亡くなった人から与えられることもあると僕は思っています。人が亡くなっても残されたものがあって、それによって生かされていく人もいるんだよということをこの作品で伝えたかった。そういう意味で2人が残す絵や、SNSのメッセージが、映画の中の友達や家族はもちろん、視聴者の方にとってもメッセージとして響いていけばいいなと」

 ちなみに春奈が残したSNSのメッセージの仕掛けについては、「今どきのタイムカプセル」のイメージだとか。「ネットの中で自分の中だけに収めたものが、もしかすると誰かに見つかるかもしれない、誰かに拾われるかもしれない……みたいなイメージです。もっと言うと海に流したボトルメッセージのような。それの現代版バージョンですね」

 余命と言われると特殊で悲しい物語を想像しがちだが、三木にとってはある種普遍的な青春映画と変わらない。そんな三木の想いと原作へのリスペクトを大事にしながら、脚本家・吉田智子が繊細に物語を紡いでいった。

 その三木の意識は秋人と春奈を演じた永瀬廉、出口夏希らの役者陣はもちろん、三木を筆頭とするスタッフ陣にも共有された。もし自分が余命を宣告されたらどういう気持ちになるのか。命の期限を明確にされた時、自分はその中でどう生きようとするのか。それは視聴者への問いになり、映画の中で生きるキャラクターたちを見て「あなたはどう感じますか?」というさらなる問いへと繋がっていく。「その問いそのものが“余命もの”の一番大きなファクターかなという気はしています」(三木)

 自らに余命が迫る中、さらに短いスパンで命のリミットが近付くヒロインに懸命に恋をする主人公・秋人を演じるのは永瀬廉(King & Prince)。永瀬とは初タッグとなる三木は、「もともと彼の声がすごく好きだった」と語る。「キラキラしたアイドルの方なのに、憂いを帯びた声。陽と陰で言うと、陰のニュアンスを持った方だなと思っていました。それが秋人の諦観した感じや、自分の運命を自嘲的に捉えているところ…でも落ち込む時はしっかり落ち込むみたいなキャラクターと重なるなと。ご本人は普段はとても明るい関西のお兄ちゃんですが(笑)、お芝居になるとふとした瞬間に憂いの部分が表出する。それは永瀬くんの魅力だなと思います。秋人に関してはこれまで斜に構えていた彼が、春奈に出会うことで“ただただこの子のために生きたい”と思うようになる、変化のカーブを描きたかった。それには永瀬くんがもともと持っている人の良さ、一生懸命さ、健気さが必要だったし、そこはうまく引き出せたのかなと思っています」

 秋人が恋に落ちる春奈には、今日本映画界が最も熱い視線を注ぐ若手俳優・出口夏希。「彼女はあの見た目通り、本当にキラキラしていて全然死ななそう(笑)。だからこそ春奈というキャラクターが活きるし、“こんな子なのに余命があるんだ”という切なさとショックに繋がったと思います。出口さんに最初にお会いした時もある意味衝撃的で、光が駄々洩れている感じがしました。監督なら誰もが彼女を起用したいと思うだろうなと。僕がこれまでお仕事した女優さんみたいに、会った瞬間に“まぶしい!”と感じる方々と同じような輝きを感じましたね。出口さんの魅力はご本人のかわいらしさや、表情の豊かさはもちろんとして、お芝居をお芝居じゃなくする力。本当にキャラクターとして生きて心が動いている姿を、きっちり映像に乗せてくるところが素晴らしかったです」

 月のような静かで優しい光を持つ永瀬と、太陽のようなまぶしさで周囲を照らす出口。初共演となる2人のバランス、相性も三木の予想以上のものとなった。

 撮影は2023年9〜10月、神戸を拠点にオールロケで行われた。三木にとって神戸の街は撮影で何度も訪れているお気に入りのロケ地。「神戸が素敵なのは、山あいに住宅街があって高低差もあるし、海も街もある。街がギュッと詰まっていて、いい意味で箱庭的にいろんなシチュエーションが撮影できるんです。ひとつひとつのディテールにデザイン性があって、美的センスが高い街だとも思います」

 永瀬にとって約1ヵ月地方に泊まり込みでのロケは初。しかも意外なことに王道のラブストーリーも本作が初となる。「1ヵ月、映画に集中できる環境は嬉しいと本人もおっしゃっていましたね。東京での撮影だとどうしても他のお仕事と縫いながらやることも多いと思うので、今回は秋人というキャラクターに集中できて、ずっと秋人でいられたと」

 2人のシーンは春奈の病室がメイン。現在は使われていない病棟を撮影用に貸し出してもらい、春奈の病室を1から美術&装飾部で作り込んだ。「病室が春奈の世界のすべてに見えるようにしたいなと。幼い頃から入退院を繰り返し、外部との接点をあまり持たずに生きてきた子なので、幼い部分もある。そのようなことを細かくスタッフと打ち合わせしながら丁寧に作っていってもらいました」病室の窓ももちろん本物で、後にそこから春奈が1人で花火を見るという重要なシーンもあったため、窓の大きさもポイントとなった。

 「花火のシーンは原作も脚本も、秋人のやりきれなさをすごく感じた。本当のことを言いたいけど、言わずに過ごすことを決める。やるせないんだけど、それでもこの花火の時間を共有するという秋人の想いはうまく掬い取りたいなと思いました。撮影では電話越しのやり取りということもあって、2人の距離感は大事にしましたね。すぐ近くにいるのに会いに行けないという秋人の感情を、永瀬くんと丁寧に話し合いながら撮影していきました」

 撮影中、永瀬と三木の会話が弾むことも多かったという。「永瀬くんは本来とても人懐っこい。普段は関西弁ですし、僕も四国出身で西寄りの人間なので、会話するのがすごく楽しかったし意思疎通がしやすかったなと思います。撮影中分からないことや疑問があると、ポイントポイントで質問してきてくれるし、秋人の感情の出し方のニュアンスについてはかなりディスカッションしました。分からないことははっきり聞いてきてくれるタイプで、それもやりやすかった点のひとつです」

 一方、春奈としての出口の思いがけない芝居に驚かされたことも。秋人が春奈と綾香の間を取りもち、初めて綾香を病室に連れてくるというシークエンスで、綾香の顔を見るなり「ごめんね」と謝る春奈。「僕は久々の再会だしもう少したどたどしい感じで謝るのかなと思っていたら、むしろ先に(春奈が)泣いているくらいの勢いだった。その瞬間に春奈が綾香に会えなかった時間の重さを、出口さんがちゃんと表現してくれたなと思って”やられたな!”と思いました。出口さんはそれをロジカルに演じられたというよりは、春奈としての感覚で自然に出たという感じ。これを無意識にできるのはすごいなと」

 初めて病院の外に出た2人が訪れるのが高校の文化祭、そして美しい海だ。三木作品に文化祭が登場することは非常に多いが、毎回そのクオリティの高さが絶妙。“素人の高校生が作り上げることのできる、ギリギリの高いライン”を保つ美術部には感服する。

 「美術部さんには“もう文化祭は無理。これ以上アイディアがないです!”と言われながらも(笑)、毎回手を変え品を変え素敵な文化祭を作り出してもらっています。実際あの作り込まれた文化祭を見ると、役者さんたちのテンションも変わりますからね。今回は綾香主演の劇(『白雪姫』)もあったので、本当に大変だったと思いますが……」永瀬と出口は実際はかなり長尺で上演された『白雪姫』をリアルタイムで鑑賞し、綾香役の横田をはじめ役者陣はダンス練習もきっちりやって劇中劇に臨んだという徹底ぶり。「どうしても短めでやると嘘っぽくなってしまうので。だからこそ客席の2人の表情が引き出せたと思います」

 文化祭の後に2人が向かった海は、神戸から足を伸ばし淡路島で撮影。「2人の真正面に夕日がくる海がほしくて、淡路島に決めました」しかし夕日のタイミングは当然ながら時間との勝負となる。「時間がない中、現場で全員がグッと集中するあの独特の雰囲気は、映画の醍醐味だなと思います。皆のギアが一気に上がるし、そこで映画のミラクルみたいな瞬間が撮れる。あのシーンはまさにそうでしたね」2人が共に見る最初で最後の海と夕日の美しさが、しっかりとカメラに焼き付けられた。

 最後の瞬間まで作品に寄り添う主題歌「若者のすべて」は、“フジファブリック”の代表楽曲でもある名曲。「もともと大好きな楽曲でした。この作品の残す者、残される者という部分にもリンクするし、リアルストーリーで言うと、フジファブリックの志村正彦さんが29歳という若さで亡くなりましたが、彼の音楽はこれからもずっと残っていく。この曲にある切なさは確かにあるけど、彼の想いは時を経てこの先を生きていく人たちの糧になっていくと感じました。今回の映画で言うと、残された人間=綾香が2人のエモーションを引き継いでいくような感覚で、ピタっとはまった気がしたんです」(三木)

 本作の音楽を担当した音楽プロデューサー・亀田誠治は、当初からこの名曲を女性ボーカルで歌うことを考えていたと言う。「亀田さんからヨルシカのsuisさんの名前が出た時は、絶対いいものになると確信しました。映画は春奈から秋人へのアンサーソング的な意味合いもあるし、残された綾香が2人から受け取った感情を考えると女性ボーカルの方がより伝わりやすいだろうと。劇中では2人が駆け上がる瞬間にこの曲を使い、最後は綾香の背中を後押しするような気持ちもある。それは視聴者の方にも伝えたかったことですが、秋人と春奈の生きている時間の輝きを見て、自分自身の生も1分1秒惜しまずまっとうしてほしい。その糧になるような楽曲になればいいなと思います」

 そこには若い人たちだけでなく、人生のキャリアをそれなりに積んできた大人たちにも向けたメッセージが込められている。「自分もそうですが、年を重ねると自分の人生やこれから先のライフタイムについて考える感覚が鈍くなっていく。10代の時は生きることや人生について敏感だし、もっとセンシティブだった。生きるとはなんぞや?ということをよく考えていたように記憶しています。だから大人の方たちが思春期の2人がただただ懸命に命をまっとうしようとする姿を見たら、必ず何か感じるものはあると思う。むしろ年齢が上の方が、ドキッとするんじゃないかなと僕は思っています。漫然と生きるのではなく、ある種の期限を感じながら生きることの尊さはきっとあると思うので」

 悲劇的な結末のはずが鑑賞後の気持ちが不思議と爽やかなのは、秋人と春奈が自分の運命から逃げず短い人生を“生き切った”からだろう。「僕は2人を“羨ましい”と思ってほしいなという気持ちです。振り返って自分の人生が幸せだったかどうかは、時間の長さではないと思う。だとしたらどういう生き方が幸せなのか?ということを、考えるきっかけにこの作品がなれたら嬉しいです」

 Netflix映画『余命一年の僕が、余命半年の君と出会った話。』は、Netflixにて6月27日より世界独占配信。