◆あのシャーロック・ホームズがスランプに

――『シャーロック・ホームズの凱旋』、書籍化をお待ちしておりました。これはあの名探偵ホームズが、「ヴィクトリア朝京都」にいるというお話です。文芸誌『小説BOC』に連載していたものですよね。

森見 2016年に連載がスタートしたので、刊行まで7年かかったことになりますね。最初に「ヴィクトリア朝京都」という言葉を思いつき、面白くできそうだと。そこから、ヴィクトリア朝ならシャーロック・ホームズだなとアイデアが膨らんでいきました。その頃、自分がスランプっぽい感じだったので、じゃあホームズもスランプ中だという話にしちゃえ、みたいなノリで書き進めて。自分には絶対ミステリーが書けないと思っていたので、ホームズにはスランプでいてもらわないと困るという事情もありました。
 とはいえ主人公がずっとスランプだと話が進まないので、最後は回復して凱旋するんだろう……そうであってくれと祈るように、『シャーロック・ホームズの凱旋』というタイトルをつけました。

――シャーロック・ホームズは、世界中で愛されているキャラクターで、「シャーロキアン」と呼ばれるマニアもいっぱいいます。

森見 ホームズに関しては、すでにいろいろなパロディが書かれているので、いまさら僕が無茶苦茶なことを書いても問題ないはずと開き直っていました。ただ、他の人が書かないような、僕ならではのホームズにしないといけないなとは思っていましたね。だからこそ、スランプで全然事件を解かないという発想になったというのもあります。

――京都を舞台にしたホームズもの、という設定を知った時、原典の舞台を京都に置き換えただけの話だったら物足りないな、と思っていたんです。でもホームズはスランプだし、シリーズの登場人物であるアイリーン・アドラーがホームズの自宅兼事務所の向かいに探偵事務所を開くし、途中からファンタジー要素も強くなって、森見さん独自の話になっていて面白かったです。

森見 ホームズのお話なのに、誰一人推理しない話にしたかったんですよね。ホームズがスランプだからといって別の誰かが代わりに推理してあげる話だったら、僕が書く意味がないなと。だからアイリーン・アドラーは一応探偵として活躍しますが、具体的な事件や推理の内容はほとんど書いていません。

――原典ではホームズが「赤毛あかげ連盟れんめい事件」を解決しましたが、京都のホームズは大失敗して叩きのめされ、それ以降スランプが続いている状態ですね。

森見 雑誌に連載した時は、もっと原典を踏まえた形でちゃんと「赤毛連盟」や「青い柘榴ざくろ石」、「マスグレーヴ家の儀式書」の話を書いたんです。でも単行本化のために書き直し始めた時、これでは自分のホームズになっていないと思い、全部書き直すことにしました。

――ホームズがスランプだからワトソンも執筆できないんですよね。しかも宿敵モリアーティもレストレード警部も、みんなスランプ。

森見 誰も役に立たないっていう(笑)。考えていたのは、普通の推理小説は事件など自分の外にある謎を解きますが、これは内側にある謎を解く話だということです。内側にある謎というのはスランプのことですね。
 ファンタジー的なストーリーでホームズのスランプが解消されていく話にしよう、あわよくば僕のスランプも解消しよう、というわけです。結果的に、自分のスランプについて書いて、そのスランプを極限までこじらせて突破する、みたいなアクロバティックなことになりました。

――ホームズを読んだことのない人でも楽しめるのがいいですね。

森見 そうですね。原典を読んでいないと支障があるようなことは書いていないつもりです。読んでいなくても、ホームズが名探偵で、ワトソンが相棒で、ライバルがモリアーティだということさえ分かっていれば難なく読めるはず。原典を読んでる方だったら、僕がどうアレンジしたかが分かるし、最終章は「最後の事件」を使っているのも分かる――というのはあるかもしれないけれど、それは二の次なので。

――森見さんはホームズの愛読者だったのですか。

森見 小学生の時は本当にヒーローでしたね。ジェレミー・ブレットがホームズを演じた、イギリスのグラナダTV版「シャーロック・ホームズの冒険」を両親と一緒に見ていましたし、その頃、子供向けのホームズ本をもらってすっかりはまってしまったというのもありました。それで、自分にとってのヒーローが仮面ライダーからホームズに変わってしまったんです。そのわりには、今回ひどい書き方をしてしまったんですけれど(笑)。

――作中には、ホームズの下宿先、ベイカー街221Bの家主ハドソン夫人やワトソンの妻メアリも登場します。

森見 お馴染みのメインキャラクターの男たちがみんな駄目だから、ハドソン夫人やメアリ、アイリーン・アドラーといった女性陣がやたら元気です(笑)。アイリーンは、原典だと一話しか出てこないけれど、ホームズが唯一負けた女性ということで特権的なキャラクターになっていますし、モリアーティ教授も、どうせなら「最後の事件」だけじゃなく、最初っから登場してもらおうと。

――原典でホームズは、一回死んだと思われてから帰還します。そうした流れを汲んで「スランプからの帰還」なのかと深読みしていました。

森見 それもありますが、それ以上に、作者のコナン・ドイルの人生をうっすら反映した結果でもあります。たとえば第五章で、ワトソンがホームズと縁を切りたいという思いに駆られているのは、ドイルのホームズに対する気持ちの反映です。「シャーロック・ホームズ」シリーズがイギリスで大人気になって、でもその時期ドイルの父親が亡くなったり、奥さんの結核が発覚したり、彼にとってはしんどいタイミングで。ロンドン中がホームズに熱狂しているのに、自分だけがそれについていけない。ドイルの伝記をいくつか読んで印象に残っていたそのモヤモヤが、このお話に流れ込んできています。

◆ワトソンと自分が一体化していく感覚

――今作はユーモアもたっぷりですよね。ハドソン夫人が、ホームズ復活を祈願して片目を入れた達磨だるまを用意していたり、「赤毛連盟事件」で、男がなぜか平凡社へいぼんしやの『世界大百科事典』を書写していたりと、細部で笑わせます。

森見 細かいこだわりは、趣味みたいなものですね。この状況だったらぜったい達磨に願掛けするやろなとか、ベイカー街ならぬ寺町てらまち通どおり221Bの屋上には弁財天べんざいてんがあって、ホームズは御賽銭おさいせんを入れるんやろなとか。マスグレーヴ家の屋敷の竹林の描写は『美女と竹林』を書いた経験が生きています。

――実際の京都とロンドンの名所が入り乱れている「ヴィクトリア朝京都」の街並みや、人々の服装については、読む人によってイメージが異なりそうです。

森見 どこまで書き込むかは悩みましたね。でも、基本的には読者のみなさんに自由に想像して楽しんでいただけたら、という感じです。どうせ「ヴィクトリア朝京都」なんてでたらめな世界ですからね。

――それにしても、京都が英国の属州か何かになっている設定なのかと思ったら、宮殿も京都にあるんですね(笑)。

森見 そうそう(笑)。どんな歴史的背景があってこうなったのか気になる方もいると思うのですが、そこは目を瞑つむっていただいて。単純に、ロンドンが京都化している世界なんだと捉えてもらえればと思っています。
 ネタバレになるのではっきりとは言えませんが、後半で「ああ、こういう世界なのか」と舞台の輪郭りんかくは分かってもらえるかなと思っています。

――意外な展開が多く、予想以上にファンタジー要素の強い小説でした。後半の展開は最初から頭にあったのですか。

森見 わりと早い段階で、「いま書いている世界だけでは終われないな」と予感していました。ただ、読者の方のなかには、「ヴィクトリア朝京都で、ポンコツホームズがポンコツな冒険をする可愛い話かと思ったら、後半えげつないことになった」とびっくりされる方もいそうで、そこは少し心配ですね。

――この作品の軸のひとつに、現世の人間が死者の霊と交信できるという「心霊しんれい主義」との戦いがあると思います。ホームズが活躍していた19世紀後半から20世紀前半って、まさに科学とオカルトのせめぎ合いの時期だったと思うので、その時代性がこの作品の世界観ともマッチしていますね。

森見 この時代は、宗教的なものが近代化によって解体されて信仰の対象がなくなり、多くの人々がどうしたらいいのかと不安になっていたと思います。そこではびこったのが心霊主義で、資料を読んでいくと、どうもコナン・ドイル自身もハマり込んでいたようだと。彼の場合、第一次世界大戦の経験があまりに辛かったために、救いを求めて心霊主義に深入りしていったのでしょう。そのドイルと心霊主義との関係性を、ホームズのスランプと結び付けたいなと考えました。ただ、心霊主義ありきの展開にはしたくなかったので、ある不可解な出来事に対して、心霊主義と、それとは別の不思議な力と、ふたつの流れがあって最後に説明できない何やら不思議なものが残る――というお話を目指しました。

――マスグレーヴ家の邸宅・ハールストン館にある「東の東の間」で、不思議な現象が起きます。ハールストン館は原典にも出てきますね。

森見 館の名前は使っていますが、ほとんど別物になってしまいました。でも、そこに何かしらの宝があって、謎の伝承の言葉が残っている、という設定は一緒です。原典だと、ホームズが地下の隠し部屋に行くんですが、僕の話では館の部屋から別世界に行く、というふうに変わっています。

――読み進めるにつれて、『熱帯』の余韻よいんみたいなものを感じました。

森見 単行本化のために書き直している時、中盤を過ぎたあたりから「ああ、また『熱帯』を書いている」と何度も思いました。そしてなんとか『熱帯』とは違う答えを出さなきゃ、と。
 僕はこれまでに何回も、何か解き明かせないものがあって、それを主人公が追いかけるんだけどどうしても解けない、という話を書いています。『ペンギン・ハイウェイ』では「海」という謎の存在が、『熱帯』では「熱帯」という謎の本が、そして今回はマスグレーヴ家の「東の東の間」という謎の部屋が……。なぜ自分はこういうものばかり書きたくなってしまうのかと、自分でも悶絶しながら書きました。
 僕はもともと自分の妄想を書く小説家ですが、2010年に『ペンギン・ハイウェイ』を出して以降、僕自身が主人公と一緒になって自分の妄想世界に入っていく話をずっと書いているんですよね。『熱帯』はまさにそうだったし、今回の『シャーロック・ホームズの凱旋』も僕がワトソンと一体化していく感覚がありました。
 初稿の段階ではワトソンと自分がくっつきすぎていて、もうワトソン=森見登美彦という感じだったんですよ。改稿では、ワトソンのキャラクターを自分から引き離すことを心がけて、大きく修正しました。完全に分離したとは言い切れないのですが……。

――初稿のワトソンはどんな人だったのですか。

森見 最初、ワトソンは「俺は探偵小説家じゃなくて、もっとすげえ文学を書くんだ」みたいな奴だったんです。そのキャラをもっと振り切って書くという選択肢もあったのですが、なかなか難しくて。
 ワトソンの造型に限らず、このお話全体についても、どんなストーリーを辿れば納得いく答えに辿り着けるのかがなかなか見つけられなくて困っていた時期が長く続きました。

◆〝自分〟は意識せずとも作品に滲み出る

――気楽な一読者としては、前半では探偵の存在意義みたいなものも考えさせられつつ、終盤のファンタジー場面では「あ、だから京都が舞台なのか」という納得感があって。最終的にフィクションって世の中に必要なものだよね、フィクションの力ってたしかにあるよね、と感じられる結末になっていて腑ふに落ちたんです。でも森見さんの中では全然別のものが進行していたんですね。

森見 書いている間は、なぜか、自分にとって大事な問題をここに書かなくてはならない、みたいな思い込みがありました。自分の問題を、小説を書くことで解消しようとするのはよくない、少なくともエンターテインメント小説を書く上ではやってはいけないことだと分かっていたのにどうしても……。

――自分にとって大事なことというのは。

森見 デビュー作『太陽の塔』から『ペンギン・ハイウェイ』までは、小説を書き終えた時、その小説の中心に何か「核」のようなものが現れたという実感があった。そう感じたからこそ、小説が完成した、と思えたんですよ。小説家としてスタートしてしばらくは、そういう手ごたえに加えて、キャラクターがどんどん動いてくれたのでエンタメ小説として成立していたのですが、『ペンギン・ハイウェイ』よりもあとの作品はなかなか同じ感覚が得られなくなってしまっていて。『ペンギン・ハイウェイ』では、主人公の少年が憧れる〝お姉さん〟がどこかに行ってしまう。彼女が去った後、世界には「穴」が残されて、以降その〝ぽっかり空いた穴〟を巡る話ばかり書くことになってしまった。『夜行』や『熱帯』は、その「失われた核」を求める小説になっているんです。
 だから、『ホームズ』では、その「穴」に対して、これまでとは違うアプローチをしようと思っていました。『ペンギン・ハイウェイ』の時は、世界のバランスをとるために〝お姉さん〟を犠牲にした。『夜行』では〝お姉さん〟が去った後に生まれた「穴」をぐるっと迂回するように書いた。『熱帯』ではその「穴」を埋めるために『千一夜物語』を代入した。じゃあ正面からその「穴」に立ち向かって、しかも他の何かで埋めようとしないで、とことんまでいけばどうなるのか? ということを今回やろうとしたんですよね。それができれば、その「穴」の謎を解き明かせるかもしれない。つまり〝凱旋する話〟にできるかなと思って。

――本作を書き終えて、ご自身の中で、どんな感触がありましたか。

森見 「失われた核」というのは結局〝自分〟なんだなと。『ペンギン・ハイウェイ』以前の作品では、自然と〝本当の自分〟が出ていたんだと思うんですよ。例えば、『夜は短し歩けよ乙女』では、女の子を追いかける男の子が主人公で、京大に通う冴えない男子学生という設定が、一見僕自身のことを書いた小説かのように見える。でも実は、あれは自分自身のことを語ろうなんてしていないし、ましてや書いている時に自分で自分を見つめようなんて思っていない。主人公のことを客観的に見ている。だからこそユーモアがある作品になったし、変な話ですが、だからこそ、本当の自分が出ているんですよね。作品の向こう側に僕の一部が透けているというか。要するに、〝本当の自分〟というのは、「これが自分なんです」と語るべきものではなくて、意識せずとも作品に滲にじみ出てくるもの、書き終えた後に自然に浮かび上がるものなんでしょう。こんなことはエンタメ作家としては常識の範疇はんちゆうに属するんでしょうが、僕にはなかなか納得できなかったんです。
 この10年は、自分の根源について語ろうと意識しすぎるあまり、かえって語るのがむずかしくなっていたんだと思います。

――森見さんのおっしゃる「自分」とは、自分という人格や個人的意見や思いのこととはちょっと違いますよね?

森見 はい、「自意識以外」ということだと思います。自分が「これが自分だ」と思っているところ以外の部分というか。それこそが僕の小説の「核」だということですね。
『夜は短し歩けよ乙女』や『有頂天家族』では、自意識ではない自分がちゃんと出ていたはずなのに、それ以降、なぜうまく出せなくなったのか、自分ではすごく不思議だったわけです。僕の書きたい小説は、「意識していない自分」がちゃんと出ていて、面白いもの。それができなくなってしまって、どうしたらいいか分からない時期が長く続きました。
 そもそもエンターテインメントというのは、読者のことを考えてストーリーを作るものであって、いわば意識的なものじゃないですか。なのに、意識的に捉えられない自分を直接エンタメに仕組もうという僕の姿勢自体、いろいろと問題があったわけですよ。……ああ、だんだん反省会みたいになってきました(笑)。

――最初から、ホームズとワトソンの話なら、書けなくなっていた「核」が書けるかも、と思っていたのですか。

森見 今にして思えば、それは甘い考えというか、むしろ事態をもっとややこしくすることになったわけですけどね。自分について、ワトソンとホームズというキャラクターふたつに分けて書けば面白くなるんじゃないかとは考えていました。さらに、ホームズの影のような存在としてモリアーティ教授が出てくるので、ホームズとワトソンとモリアーティ、三人もいれば何とかなるだろうと。何しろ原典の登場人物たちの関係性がうまくできているので。
 加えて、小説家としての僕と妻の関係も、キャラクターに投影して書けるかもしれない。つまり、僕の分身としてホームズとワトソンとモリアーティがいて、妻の分身としてメアリとアイリーンとレイチェルがいるわけです。

――ああ、過去に「東の東の間」で消えてしまったというレイチェルという少女も、森見さんの中で重要な存在だったんですね。

森見 レイチェル・マスグレーヴはかなり大事な存在でしたね。正確に言うと、書いていくうちにどんどんそうなっていったんです。途中で年表を作ってみたら、レイチェルが失踪した事件が12年前で、僕側の状況でいうと、『ペンギン・ハイウェイ』が出たくらいのタイミング。意図したわけじゃないけれど、『シャーロック・ホームズの凱旋』という小説自体が、『ペンギン・ハイウェイ』で〝お姉さん〟が消えた後の混乱と呼応しているように思えて。だから、レイチェルさんを連れ戻すべく奮闘するというのは自分にとってすごく大事な事だったんです。あそこは書けてよかったと思いました。
 結果的に、今作は最も主観的というか、個人的な小説になりました。限界まで「核」や「穴」について考えて書いたことで、自分の中でちょっと呪いが解けたというか、閉じ込められていたところから脱出できた感じがしています。

――この小説は森見登美彦の凱旋でもあるわけですね。

森見 そうだと信じたいですね。2011年にスランプに入って、連載もストップして、迷いながら書き続けて。でもそんな〝森見登美彦の第2期〟はここで終わりです。今後何に足を取られるか分からないですから、油断はできないですけどね。この10年くらいずっと、「こうすればいいんだな」と思ったのに失敗した、ということを幾度となく味わってきたので、もう自分が信用できないんですよ。でも、できれば今作で第2期が終わって、気分よく次に進めたらいいなと思っています。

――第3期はどういうものを書きますか。

森見 いったん自分のことは棚に上げて、分かりやすいエンタメに回帰したいですね。内なる謎を追いかけるような不可解な小説はもういいよ、という気持ちです(笑)。万が一また書きたくなっても、こういうやり方はやめたい。従来の方法では同じパターンになるだけですから。書くとしたら、映画『君たちはどう生きるか』みたいな、徹底的にやり切る覚悟を持ってやらなければならない。結局、誰かに分かってもらおうと思って意識的に構築しようとするから余計ダメになるのであって、本当に自分の根源のようなものを書きたいんだったら、整理しちゃ駄目なんですよね。頭であれこれ考えるのではなくて、イメージだけで殴って納得させるような小説にしないと。まあ、そういうものが本当に書けるかどうか分からないし、たとえ書けたところで読者に喜んでもらえるとはぜんぜん思えませんけど。

――今後のご執筆予定は。

森見 一番大きな目標は『有頂天家族』の第3部です。とにかく楽しい話を書きたいですね。

撮影:深野未季

森見登美彦(もりみ・とみひこ)
 1979年、奈良県生まれ。2003年、京都大学在学中に執筆した『太陽の塔』で第15回日本ファンタジーノベル大賞を受賞しデビュー。07年『夜は短し歩けよ乙女』で第20回山本周五郎賞を受賞、第137回直木賞の候補となり、第4回本屋大賞2位を獲得した。10年『ペンギン・ハイウェイ』で第31回日本SF大賞、14年『聖なる怠け者の冒険』で第2回京都本大賞、17年『夜行』で第7回広島本大賞、19年『熱帯』で第6回高校生直木賞受賞。他に『四畳半神話大系』『有頂天家族』『恋文の技術』など。映像化・舞台化された著書も多数。24年1月、最新作『シャーロック・ホームズの凱旋』を刊行。

〈まるで兄弟のような本… 森見登美彦『熱帯』〉