多くの起業家たちはなぜ宇宙を目指すのか(写真:Archangel80889/PIXTA)

元起業家で作家・珈琲店店主の平川克美氏による著書『グローバリズムという病』。同書をめぐって、オフィスキャンプ代表の坂本大祐氏、POPER代表取締役CEOの栗原慎吾氏、そして奈良県東吉野村で人文系私設図書館「ルチャ・リブロ」を運営する青木真兵氏が語り合った。

「起業は自己実現」は歴史的に新しい考え方

青木:先日『グローバリズムという病』を読んで、従兄弟の栗原慎吾くんとともに著者の平川克美さんを訪ねました。そこで、起業は自己実現的であるがその先の会社を経営することは修行であるということや、自己実現は「自分探し」でもあるが修行は「忘我」であるといったお話がありました。


坂本:自分探しみたいなところから始まった起業が、形になって組織化していくと修行のタームに入っていくっていうのは、すごい面白い説明だと思ってて。工芸メーカーさんや産地のメーカーさんのリブランディングを行うことがあるんだけど、そのときにも割と似たことが起きるんだよ。ブランドって立て付けていくまでは、割と自己起点で骨格を作っていく。でもそれができた後は、修行に近いことをやり続けないといけないタームになる。ロゴやパッケージ、ウェブサイトでビジュアライズしたうえで、徹底的に世の中とコミュニケーションし続けるんだけど、その実作業自体はむちゃくちゃ地味なことの繰り返しで。

青木:起業は自己実現であるっていうのは、実はすごく歴史的に新しい考え方なんでしょうね。平川さんにおすすめしてもらって山崎豊子の『暖簾』を読みました。『暖簾』は戦前、戦後にかけての親子二代の大阪商人の姿を描いた小説なんですが、もちろん自己実現をしようと思って昆布屋を創業したわけではなく、貧困から抜け出すために歴代続く昆布屋で一心で仕事をしていたんですよね。

それで「暖簾分け」して創業するんですけど、もともと会社を作るっていうのは地域や社会に要請されてとか、たまたま必要に迫られてとか、そういうことだったのだと思います。作るというよりは「できていく」という方が近い。そのあたり会社を作った当事者である慎吾はどう思いますか?

栗原:平川さんに話を聞いたときのことを振り返ってみると、平川さんって起業とアントレプレナーシップを区分けして話していたなと思います。会社というよりコミュニティーを作りたいといった話をしたときに、「栗原さんはアントレプレナーなんだよ」って話もしていただいて。


坂本大祐(さかもと だいすけ)/合同会社オフィスキャンプ代表。1975年大阪府大阪狭山市出身。2006年奈良県東吉野村に移住。2015年に国、県、村との事業、シェアとコワーキングの施設「オフィスキャンプ東吉野」を企画・デザインし、運営も受託。開業後、同施設で出会った仲間と山村のデザインファーム「合同会社オフィスキャンプ」を設立。2018年、ローカルエリアのコワーキング運営者と共に「一般社団法人ローカルコワークアソシエーション」を設立、全国のコワーキング施設の開業をサポートしている。著書に、新山直広との共著『おもしろい地域には、おもしろいデザイナーがいる』(学芸出版)がある。2022年「地域で子ども達の成長を支える活動 [まほうのだがしやチロル堂]」がグッドデザイン賞の大賞を受賞(写真:坂本大祐)

両者の違いは何かというと、起業は野心的で一旗あげたいみたいな気持ちで始めるものだけど、アントレプレナーシップは、会社を通して自己実現したいみたいなことなのかなと思います。アントレプレナーシップって日本語に翻訳すると起業家精神。そもそも言葉自体が新しいことからもわかるように、新しい概念なんですよね。シリコンバレーのスタートアップが注目され始めたことで広まったイメージで。自分の起業の背景にも、野心的なものももちろんあるんだけど、同時に自分はこういう人間でありたいというものもあって、それを表現する手段として起業っていう選択をしたような気がしています。

日本古来の独自の組織形態は劣っていない

坂本:青木くんが言ってる、過去の会社や組織と現代のそれとは始まり方が違うということは、ものがない時代と必要なものは出揃っている時代という違いもあるよね。

松下幸之助さんや本田宗一郎さんの時代の起業は、ものがない時代に必要とされるものを作ることで社会還元するフェーズ。

今の起業はもはや、大体必要なものは揃ってて何が必要なのかようわからんっていう中で行われている。社会に足りないものが基本的にはないという中で、そのうえでまだ社会で起業する意味ってなんだろうみたいなことを突き詰めると、グローバリズムみたいな世界観に入っていくんじゃないかな。そんな組織のより上位互換が、GAFAみたいな。

でも、一方で平川さんは日本古来の独自の組織形態が決して劣っているわけではないということを言ってるよね。これまでは日本古来の組織形態って良いものじゃないって思い込んでたわけ。年功序列とか護送船団方式とか、日本企業の特徴だと言われていることがグローバル化でなくなっていくことで良くなったと思っていた。でも『グローバリズムという病』を読んでると全然そうじゃなくて、意図的に解体された節があるなと思って。それが衝撃だったな。

青木:そうなんですよね。グローバリズムって二層あって、1つはアメリカの政治経済のイニシアチブをとっている人間が得をするような戦略の形。だから日本の経済を解体していく方が得するという流れなんですよね。もう1つは人類普遍の価値観みたいな感じで喧伝されて、僕らも受け入れてしまっているという点。

坂本:グローバリズムって、もう国境なくなったらいいじゃん、地球はもう1つの国でいいじゃん、その方が諍いもなくなるじゃんみたいに一見良さそうに思える。自分はそこについてしっかり考えたことなかったから、この本で色々と考えさせられて。今はローカリズム的なところに身を置いてるわけだけど、それはただのカウンターカルチャーでゲリラ的な存在くらいにしか思ってなかったんだよ。


栗原慎吾(くりはら しんご)/POPER代表取締役CEO。1983年埼玉県さいたま市(旧与野市)生まれ。明治大学経営学部卒業後、住友スリーエム(現:スリーエム ジャパン)に入社する。歯科用製品事業部に配属され、2010年にはグローバルマーケティングアワードを受賞。その後ソウルドアウトに入社し、Webマーケティングを担当。2012年、友人に誘われ塾の共同経営者として参画し、経営から講師まであらゆる業務を経験。当初20名ほどの生徒数を60名にまで増加させる。塾業界のシステム化を進めるべく、2015年にPOPERを設立し、現職。2022年、東証グロース市場に上場(写真:栗原慎吾)

でもそうじゃなくて、過去の日本企業の大躍進って信用とか信頼に重きを置く経済と資本主義経済っていう二重構造になっていたが故の強さがあったのかなと思う。多分アメリカはそのスピード感ある躍進をすごく脅威に感じて分析した結果、日本的な組織のあり方が裏にあることに気づいたんじゃないかな。

栗原:『プロジェクトX』の世界観ですよね。工場の人、開発の人たちが家族的な感じで朝から晩まで新製品の開発に取り組んで品質がいいものを作ろうという強い共通意識があって、そこで生まれた製品がアメリカや他国にどんどん流通していって、フォードだのGMだのGEが駆逐されていくという。

ジャパンアズナンバーワンとも言われていましたが、その裏側には日本の銀行がとんでもない資金力でリスクマネーを供給している事実もあった。商人の魂があるような人に対して、うちがリスクとってお金を貸してやろう、これが国の発展に寄与するのであればとインビジブルなものによって突き動かされる余地があった。それが護送船団方式とかバブル崩壊以降の金融庁の管理みたいなもので、解体されてしまったと思います。

反米闘争としての戦後経済成長

青木:平川さんから、戦後の経済成長は反米闘争だったと聞いたことがあります。太平洋戦争には負けたけど、経済的にはアメリカに勝つんだという戦争ですね。それこそ「24時間戦えますか」で。

今の価値観でみたら「それはダメでしょ」という部分もあるんだけど、その意気込みの裏側には大和魂、日本精神っていうインビジブルアセットがあったと思うんですよね。太平洋戦争のとき、戦場に向かう男性を女性や子どもが讃えたり、工場で兵器を作って協力したりするというあり方も、戦後高度経済成長を実現したあり方と全く一緒ですよね。

敗戦で国名や憲法は変わったけど、精神的な部分は良くも悪くも継続されていたんだと思います。それが本当に解体されたのが1990年代以降ですよね。封建的な価値観が解体されて自由を得た面がある一方で、日本独自の良さみたいなものも同時に解体されてしまったのではないでしょうか。

栗原:三菱や住友だけでなく、松下も戦後に財閥指定されて財産も全部没収されて解体されているんですよね。

GHQは、財閥や日本の経済的な仕組みを分析してまた伸びてこないように相当な施策を打ってきた。それにもかかわらず、システムが解体されても不死鳥のように復活してきたわけですよね。株式の持ち合いをするなどして、解体されたシステムの中でいかに切り抜けるかという日本のローカライズ性みたいなものを担保するような動きをして。システムの中にいる生身の人間の負けた悔しさや不条理に抗う気持ちが復活を実現させてきたようにも感じます。

一方で、1990年代の日本の経済、地域の強さの解体っていうのは、本当の苦しさを味わって「あんな辛い思いしたくない」という戦前世代がいなくなって「システムの中で、まあ、やってけばいいじゃん」みたいな人が多数になって起きたように思います。「失われた20年」みたいにならざるを得なかったのかなと。

僕は松下やソニーの本などを読んで「なんでこの人たち、こんなにもアメリカで商売しようとするんだろう」と理解できないポイントとかありましたもん。僕自身、今運営しているComiruをアメリカで販売していこうとなかなか考えられないですし。悔しいとか本当に辛い思いをしたっていう部分のエネルギーが経済戦争を仕掛けるみたいなものに繋がるのかなと思います。ある種の負の体験をバネにしているから、どんな理不尽にも耐えられるっていうあり方だったんでしょうけど、それがないと頑張れないっていうんだったらちょっと……とも思います。

本当の意味での自由

坂本:理不尽に耐えるのと同じくらいの強い動機ってあるんだろうか。持たねばならないとは言わんが、いるんやろうな。どうなんだろう。

栗原:理不尽みたいなものの体験がベースとしてないと、本当の意味での自由を感じ取れないのではないかなとも思います。また、自由って寛容の精神なのではないかなとも思ってて。宗教的に違っても、思想的に違っても、受け入れましょうという。人間ってカウンターに対する自分のポジションみたいなことによって、はじめて自分の位置を確認できるみたいな部分ってあるじゃないですか。自分らしくっていうことが問われているけど、めちゃくちゃ難しいし。

青木:カウンターというか、他者がいて自分がいるっていう感じかな。ソ連が崩壊したりしたことで、資本主義、自由主義の勝利だと言われたわけだけど、じゃあ何が不自由になってきたかっていうと国家自体の存在だと思うんですよね。国家というものを超えて人間が自由を行使できたら、より利益が追求できるという時代に入ってきた。それで多国籍企業やグローバル企業と言い始めて。じゃあ、グローバル企業の人たちは次に何を不自由に思うかっていうと、重力なんですよね。地球を不自由に思うから、イーロン・マスクとかも宇宙に行くわけで(笑)。

坂本:確かに(笑)。なんかガンダムみたいな話になってきた。

タイパ・コスパと「対価」

青木:慎吾がいうように不自由や他者っていう、自分が思うようにできないものがあるからこそ「何を思い通りにしたいのか」を考えるというのはありますよね。人間が他者や不自由を必要とするって、そういう意味なんじゃないかな。

僕や坂本さんは東吉野村っていう不便なところに越してきているわけだけど、不自由や不便があるからこそ、何が必要なのかが生まれてくる経験をして、ものづくりができるというのもある。それをローカリズムって呼ぶんじゃないかなって気がしています。


青木真兵(あおき しんぺい)/1983年生まれ、埼玉県浦和市に育つ。「人文系私設図書館ルチャ・リブロ」キュレーター。古代地中海史(フェニキア・カルタゴ)研究者。博士(文学)。社会福祉士。2014年より実験的ネットラジオ「オムライスラヂオ」の配信をライフワークとしている。2016年より奈良県東吉野村に移住し自宅を私設図書館として開きつつ、現在はユース世代への支援事業に従事しながら執筆活動などを行っている。著書に『手づくりのアジール──「土着の知」が生まれるところ』(晶文社)、妻・青木海青子との共著『彼岸の図書館──ぼくたちの「移住」のかたち』(夕書房)、『山學ノオト』シリーズ(エイチアンドエスカンパニー)などがある(撮影:宗石佳子)

坂本:面白いね、それ。いやなんかさ、グローバル企業ってすごくいい感じの友達みたいに見えて、付き合い始めはいいけど実は敵みたいな状態やん。いいようにやられている感じというか。GAFA全般しかり、一見自由を与えられているように見えてるんだけど、実はものすごく管理された自由で、ある一定の枠から外には出られないように完全にコントロールされている。それによって、「うっすら対価くださいね」って言われてる状態で。そのうっすらが世界中から集まってくるとすごい量になっていると。

青木:対価っていうのは、お金だけでなく個人情報だったりというのもありますよね。

坂本:そうやな。捧げてる時間そのものもある。ぶっちゃけ、お金よりよっぽど大事なものを捧げるとも言える。マトリックスの世界みたいに、俺たちは仮想の世界を見せ続けられててプラグを抜くと現実の世界でベッドに横たわっている奴隷みたいな存在というね。一見自由を与えられたように見えるけど、プラグを抜いたらカオスな状態で全然自由じゃない。でも実際の世界っていうのは、プラグを抜いた外側にあるんだよね。不便だし、大変なことも多いし、課題も山積みだけど、そっちの方がリアルっていう構造が見えてきたような気がしてて。

栗原:問題意識を持ったときに、「プラグに繋がった世界」と「抜いた世界」とか、「敵」と「味方」とか分けてしまうと、結局相手側から見たら、自分と違う思想を押しつけてくる相手みたいになっちゃいますよね。そうではなくて、そのもう1個上の視点というか、どっちつかずみたいな感じでいないと、今度は逆にローカリズムに縛られてしまうようで難しいと思ったりもします。

グローバルとローカルの同居

坂本:言わんとしていることはわかるよ。それをちょっと知覚するのが入り口になるよな。それを超えると、全体像を踏まえた世界がなんとなくわかってくるゾーンがくる。敵を設定することで結束力を高めてきた日本があって、それを抑えるグローバリズムがあって、うまく搾取できる構造が作られていて……という舞台裏が見えてくるんだよね。

さらにそれをまた超えると、ある種の寛容さを持って「そういう事象も含めて俺らはどうやっていくんだ」「仮想敵を倒すのが一生かけてやることなのか?いや、そうじゃないだろ」という考えに至る。それを語っていかなきゃいけないことなんじゃないかと思う。

青木:そもそも自分の中にもローカル、グローバルって同居してますよね。どっちが敵というわけでもない。「アメリカが」と語ってみたところで、多国籍企業の話をしているのであれば、それはもうアメリカですらないわけです。英語使ってるから、なんとなくアメリカっぽく見えるんだけど。

坂本:確かに。いや、それは語弊があったな。第3の存在だな、そういう意味で言うと。

青木:そうなんですよね。だから多国籍企業はアメリカ国民をも食い物にしたりしてるわけなんです。敵国は倒すけど、自国民は守るんだみたいな国民国家の時代とは異なる。そうなったときに『新しい階級闘争』にも触れられていたように、どこでも生きられるエニウェアな人と、ここじゃないと生きられないサムウェアな人への二極化が進む。グローバル的に生きられる人と、ローカルでしか生きられない人とも言えますね。

坂本:それでいくとさ、俺らはそのバッファーゾーンにいるって感じだね。

青木:バッファーゾーンにいるし、二極化しない方が自由で楽しいんじゃない?と思っている感じですね。

坂本:だから(東吉野村の)こてこての村社会的なもんにうまく順応できていない。間のゾーンをフラフラしてて、それが許容される時代になってきたって感じかな。

青木:フラフラした方がいいんじゃないか、それぞれの実感を元に生きた方がいいんじゃないって思っています。少なからずそういう人がいて、小さいながらも日本全国でコミュニティを作ったりして活動しているという現実もあると思うんですよね、グローバル化の一方で。『グローバリズムという病』については、病をどう捉えるかでもだいぶ違ってくるんじゃないかなと思っています。病を悪と捉えるか、一病息災であると捉えるかで全然違いますよね。

坂本:確かにその通りだね。平川さんが敵ではなく病って位置付けているのもうまいよね。病も敵とみなすこともできるし、ある種の同居人みたいな見方もできるわけだから、どういうスタンスで臨むのかってことだね。 

病とどう向き合うか

青木:少なくとも摘出すればオッケーっていう話ではないですよね。根治を目指すにも無理がある。そういうことを考えると、やっぱり全体をよくして病が必要以上に悪さしないように同居するっていう東洋的な思想がいるんだろうなと。

そのとき、どこまでを自己とみなすかっていうところもあると思うんです。自分だけでなく、同居してる家族や働いている職場、職場が置かれている社会的状況であったりとか、どんどん拡大する。だから人は集団を作るんだと思います。慎吾も坂本さんも会社を作っているわけですけど、自己の延長線上としての会社なんですよね。その自己っていうのは単なる自分という意味ではなくて、自分も地域も家族も含んだ社会全体のことなんだと思います。

その中で病とどう向き合うか。グローバリズムだけでなく、他者に向き合うことも含めて、今までは割と「敵」だと認識していたかもしれないけれど、それを敵から病に捉え直すと、どう付き合っていこうかって話になる。

栗原:そんな気がしますね。『暖簾』は大阪の話だったけど、次回は東京と大阪の違いみたいな点についても話していきたいですね。うちは関西の取引先が多いんだけど、自分が大事にしているビジネスの姿勢、商人魂みたいなものをわかってくださるのが関西に多い感覚で。塾業界ってまだまだシステム化が進んでいない。でも、だからこそ新自由主義的な世界においても『暖簾』に通じる部分が残っているような感じもするんですよね。

坂本:あ、逆に、まだ残ってるんだ。

栗原:はい。そこになんか相通ずるものがあるのかな、なんて思ったりもしています。

青木:関西の塾なんかも「IT化なんてやっちゃったらおしまいよ」と思っていつつも、慎吾と出会ったら「あ、IT化もありなんじゃないか」って感じるということなのかも。次回また深掘りしていきましょう。

(坂本 大祐 : オフィスキャンプ代表)
(栗原 慎吾 : POPER代表取締役CEO)
(青木 真兵 : 「人文系私設図書館ルチャ・リブロ」キュレーター、古代地中海史研究者、社会福祉士)