不登校経験のある小田急の現役運転士が発案した「AOiスクール」(写真:小田急電鉄)

不登校の子どもの数が増えているという。文科省の調べによると、2022年度の小・中学校における不登校児童・生徒数は29万9048人(前年は24万4940人)で、児童・生徒1000人当たり31.7人(前年は25.7人)に上り、過去最多となった。

その背景としては、長期化するコロナ禍による生活環境の変化や、学校生活においてさまざまな制限がある中で、交友関係を築くのが難しかったなど、登校する意欲が湧きにくい状況にあったこと、さらに不登校に対する保護者の意識の変化等があると指摘されている。

このような中、注目されているのがフリースクールやオルタナティブスクールと呼ばれる、何らかの理由で学校に行かない、または行けない子どもたちに居場所を提供するスクールだ。フリースクール等はNPO法人などによって運営されることが多いが、2023年9月、小田急電鉄が善行駅(神奈川県藤沢市)西口の商業施設内にオルタナティブスクール「AOi(アオイ=Alternative Odakyu interestの頭文字)スクール」をプレ開校した。

小田急という電鉄会社がオルタナティブスクールを運営する意義とは何なのか、関係者へのインタビューを通じて探った。

不登校経験者の運転士2人が発案

オルタナティブスクール運営事業を発案したのは、自らも不登校の経験がある別所尭俊さん(27歳)と鷲田侑紀さん(28歳)という2人の小田急運転士だ。

別所さんは私立中学校を受験したものの、入学前に思い描いていた理想と現実の学校のギャップに苦しみ、次第に学校に足が向かなくなった経験を持つ。そのときに救いになったのが、「好きなことをやる時間を増やしたらいいのではないか」という、学校のカウンセラーからのアドバイスだったという。

両親は学校に行くことを無理強いせず、鉄道好きの別所さんを連れて、鉄道旅に出かけるなどし、スケジュールと予算を両親に説明すれば、1人旅に出かけることも許してくれたという。

「大人になってから両親と話すと、あの頃は気が気じゃなかったと言うが、両親が僕のことを信頼してくれていたからこそできたことだった。両親なりに不登校児に対する接し方について情報収集してくれていたのだろう」(別所さん)

好きな鉄道旅行を楽しむうちに心身の健康を取り戻すと、将来のことについても考える余裕が出てくる。そうするうちに高校進学を意識するようになったが、そこに壁があった。中学3年間のほとんどを不登校で過ごした別所さんの内申点はゼロ。いくら受験勉強をしても、入学できる高校の選択肢が非常に限られていたのだ。そこで両親が探してきてくれた、内申点がゼロでも試験に合格すれば入学できる都立高校へ進学することになった。

「その高校は、多くの生徒が僕と同じような経験を持っていたので、生徒同士、お互いに過去のことには触れず、今後を楽しもうという空気感があった。仲間ができて居心地がよかった」(別所さん)

こうして別所さんは高校から復学することができ、その後、交通系の専門学校を経て小田急に入社した。

自分自身を肯定できなかった過去

一方の鷲田さんは、別所さんとはだいぶ事情が異なる。「高校時代に週に1日くらい学校に行けない日があったが、文科省の定義では、『不登校』とは年間30日以上、学校に行かないこととされている。僕のケースは不登校に当てはまるか、当てはまらないかのボーダーライン」。

このような統計には現われない「潜在的不登校」「隠れ不登校」とカテゴライズされる子どもの数は、非常に多いという。

鷲田さんが学校を休みがちになったのには、両親の離婚・再婚という家庭環境の変化の影響もあったが、それよりも自分自身を肯定できなかったことが大きかったと振り返る。

「父親の影響で小さな頃から鉄道、とくに小田急マニアだったが、中学に進学する頃から『電車好きは子どもっぽい』と周囲に思われるという思い込みから、鉄道マニアでいることがコンプレックスになった。本当は鉄道の趣味に打ち込みたいのに、それができないために何事にも本気になれない自分がいた。両親の離婚で、そのことを父親に相談することもできなかった。しかし、高校を休んで鉄道に乗りに出かけるうちに、鉄道で働く人たちの姿を見て、次第にコンプレックスが薄らぎ、自分も鉄道業界で働きたいという気持ちが強くなった」(鷲田さん)


ロマンスカーGSEの前に並んだ鷲田さん(左)と別所さん(写真:小田急電鉄)

鷲田さんは、それまでずっと抑え込んできた鉄道愛をオープンにし、それを原動力に交通系の短大へ進学。その後、小田急に入社した。

2人の経験に共通しているのは、本当に好きなことに打ち込むことで気持ちが前向きになり、自分の進むべき道を見出すことができたということだ。そのためAOiスクールでは、あえてカリキュラムは定めずに、「子どもたちが知りたい、やりたいと思ったことをやってもらうようにしている」(別所さん)という。

AOiスクールで別所さん、鷲田さんが、子どもたちからのリクエストに応えて話す話題は多岐にわたる。たとえば、「時速100kmでホームに進入してきた電車は、本当に停車位置で停まることができるのか」という疑問を子どもが口にすれば、運転理論の減速度の計算式をホワイトボードに書き出すこともある。


運転理論の減速度の計算式を子どもたちに説明する様子(写真:小田急電鉄)

「もちろん、書いた公式を子どもたちが100%理解できるとは思わない。運転士がこういったことを勉強したうえで電車を運転しているということが、漠然とでも伝わればいい。もしかしたら、それがきっかけで数学を勉強したいと思う子どもが出てくるかもしれない」(別所さん)

何よりも大切なのは、プロの運転士が普段、業務で使っていることを、子どもたちとしっかりと向き合いながら伝える姿勢だ。この部分を大切にするために、別所さんと鷲田さんは、今も週1日は運転士として電車に乗務している。

事業としては成り立つのか?

このようなオルタナティブスクールの運営は、事業としての採算性はどうなのだろうか。事業を統括するデジタル事業創造部課長の政光賢士さんは、「事業としては損益分岐点に近い。都心の賃料の高い物件を利用するならば、相当に厳しい。しかし、この事業を始めてから、まだ1カ月だが、お金を稼ぐ以上の社会貢献ができていると実感している」と話す。

具体的には次のようなことがあった。スクールに通う子どもが、母親と一緒に別所さん、鷲田さんが運転する電車に乗りに来たときのこと。母親に「うちの子どもが、自分からどこかに行きたいと言ったのは、これが初めてよと言われた。その言葉に胸が熱くなった」(別所さん)。


スクールはカリキュラムを定めずに行っている(写真:小田急電鉄)

また最近、ある小学2年生の子どもの保護者から「オルタナティブスクールを休みます」という連絡が頻繁に入るようになった。理由を尋ねると「(本来の)小学校に楽しく通えるようになったから」だという。その子は母親離れができず、ずっと母子登校をしていたのだが、AOiスクールに通うことが、母親と離れて過ごすきっかけづくりになったのだ。低学年の子どもの不登校に対して、オルタナティブスクールがこのような役割を果たせるという新たな”気づき”となった。

さらに、最初はAOiスクールという「場所」に来ることが目的だったが、帰るときに「また来週ね」と声をかけ合う子が増えてきたという。おそらく仲間と一緒に何かをやるのが楽しくなってきたのだろう。「子どもたちと社会の間に小さな”つながり”ができていく場面に立ち会えてうれしい。この事業を立ち上げて本当によかった」と話す別所さん、鷲田さんの表情は感慨深げだ。


スクール内で子どもたちは自由に過ごす(写真:小田急電鉄)

不登校「絶望することは全然ない」

政光さんは、今後の事業の方向性について、「まずはオンラインコースの開設を進める。現在、AOiスクールには、水戸から片道3時間もかけて通ってくれている子もおり、苦労をかけてしまっている。遠方に住む鉄道好きの子どもにも、広く門戸を開けるようにしたい。また、現在は小中学生のみを対象にしているが、将来的には高校生を対象とする通信制サポート校などにも参入したい」と意気込みを語る。

最後に、別所さんと鷲田さんに話を聞く中で、2人が共通して口にしていた言葉を紹介したい。

「不登校になったからといって絶望しないでほしい。僕らは、一度は引き込み線に入りましたが、今は本線に戻って、ちゃんと走っていますから」

2016年に不登校児童・生徒の教育機会の確保を進める「教育機会確保法」が制定されるなどし、世間における不登校への理解が進みつつあるとはいえ、「不登校になったら人生終わり」と思い悩む保護者の方々は、今なお多いと思われる。だが、2人の若い運転士は、必ずしもそうではないことを証明している。

不登校を推奨するつもりはないが、仮にそうなっても、学びの機会を得ることはできるし、自分がやりたいことを見つけることもできる。小田急がこの事業に取り組む究極的な意義は、大企業の発信力を生かして、こうしたメッセージを社会に届けることにあるように思う。


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(森川 天喜 : 旅行・鉄道ジャーナリスト)