FIREによって失ったものを、取り戻した実体験を紹介します(写真:USSIE/PIXTA)

他人に羨ましがられがちなFIREだが、FIREしたからといって残りの人生がすべてバラ色になり毎日の幸せが保証されている、というわけではない。

FIRE前に十分に用意したはずの資産が時間の経過とともに減っていくことがメンタルにどのような影響を与えるのか、「社会とのつながり」を失ったことで低下した自己肯定感をどう取り戻し、本当に幸せな人生とは何なのかを改めて考えさせられた結果、何を思ったのか。

外資系企業に26年勤めて2年半前にFIREした柳川洋氏に、実体験に基づき語ってもらった。

*この記事の前編:26年外資勤務「FIRE=幸せ」と限らない残酷な現実

「減りゆくのみの預金通帳」を眺める苦痛

FIRE前にはそれなりの計画を立て、残りの人生に必要な金額を計算し、資産からの収入も確保したつもりだった。

だが、実際に体験してみて思い知ったのは、「お金が減っていく痛みのほうが、同額のお金を稼いだときのうれしさよりもより強く感じられる」ということだ。

預金通帳を見るたびに、働いている間に積み上げたお金が少しずつ減っていくのを確認する、という行為はメンタルに思った以上のダメージを与えるのだ。

想像してみてほしい。

コツコツと長い間働いて貯金して1億円の残高のある預金通帳を見るときの気分と、10億円の宝くじが運良く当たったあと、いろいろと無駄遣いしたりだまされたりして9億円をふいにし、1億円しか残っていない預金通帳を見るときの気分を。

どちらも結果的に1億円手元に残ったわけだが、前者のほうが圧倒的に幸福感が強く、後者はたまたま運良く儲かった金が減っただけなのにとても不幸せに感じる人が多いのではないだろうか。

この例でもわかるように、人は「一度得たもの」を失っていくことに、「強いストレス」を感じるようにできている。

行動経済学でも「プロスペクト理論」として議論されているので当然頭では理解しているつもりだったが、想像以上のものだった。

わかっていたとはいえ、仕事を辞めてから1年遅れでやってくる住民税。2年半前には想像もできなかった物価高とくに光熱費の上昇は驚くべきものがあった。


最近の光熱費の値上がりは想定外(筆者撮影)

また、友人の子どもが最近アメリカに留学した話を聞くと、円安とアメリカの物価高で、想像をはるかに超える教育費がかかっているという。

自分の娘が「海外で勉強したい」と言い出したら、自分のことはさておきその夢をかなえてあげたいと思うが、その分、自分の引退後の人生設計をより質素なものに変更せざるをえなくなる。

加えて、自分が健康でいつづけると、今度は「長生きリスク」、つまり長生きにより「想定を超える生活費」が必要となる可能性が出てくる。

健康で長生きすること自体は幸せなことではあるものの、一定額の財産を取り崩して生きていくとすると、長生きすると経済的に困窮して不幸せになりかねない、という矛盾が生まれる。

もちろん「ある程度のバッファー」を持ってFIREしており、今ある資産をたんに取り崩すだけではなく、資産収入も物価上昇に一定程度スライドするような計画を立てていたが、想定外のことが起きると、さまざまな形でメンタルにプレッシャーがかかるという事実は、ご理解いただけるはずだ。

FIREは「幸せそのもの」ではなく「手段」でしかない

ここまで、FIREで生まれた、これまでに経験しなかったストレスについて議論してきた。

それらのストレスは、簡単に解決するような種類のものではなく、FIREした人にかならず付きまとう、消えることのないものだ。

もうおわかりだと思う。FIREがもてはやされ、あたかもそれが人生の目標のように言われていたりするが、それは大きな間違いなのだ。

FIREは「人生における幸せを実現する手段」でしかなく「幸せそのもの」ではない。そして「FIREによって失うもの」もあるのだ。

FIREしたはずの筆者は、実は半年前に辞めたはずの仕事に復帰した。

酒販免許を取得し、ウイスキーのインポーター兼オンラインショップを起業したのだ。今は、真剣に毎日ビジネスを切り盛りして、再び朝から晩まで働いている

「そんながむしゃらに働くことに疲れ、経済的な自由を手に入れるために仕事を辞めたのでは?」「もう働かないはずではなかったのか?」と思われるかもしれないが、仕事を再び始めた今、皮肉なことに(?)「強い幸せ」を感じている。

自分の好きだったことを仕事にしたことで、「社会的なつながり」が回復でき、その結果、自己肯定感が再び高まった

家族も「新しいビジネス」を応援してくれているうえに、ビジネスもこれまでのところ順調なことから、これまで議論してきたFIREによって新たにもたらされたさまざまな形でのストレスが、大きく減ったからだ。

起業し、再び仕事を始めたきっかけとは?

なぜFIREしたのに起業してまた再び仕事を始めたのか、そのきっかけは「思ってもみなかったこと」だった。

仕事を終え、帰宅前に張り詰めた神経をリラックスさせるため、遅くまで営業しているバーでウイスキーを飲むのが昔から好きだった

そしてそれが高じて、海外でしか入手できないウイスキーを、個人輸入までしていた。ウイスキーの本場、スコットランドに蒸溜所見学に行ったこともある。

FIRE後も好きなウイスキーを飲みにバーに出掛けていたのだが、ある日尊敬しているバーテンダーの方からこんな相談を受ける。

「ヤナさん(筆者)、アメリカ市場限定で発売されたあのラフロイグ、間違いなくすばらしい酒なんですけど、なんとか日本に持ってこられませんかね?

ラフロイグというのは最も有名なスコッチウイスキーの銘柄の1つ。

日本へのウイスキーの輸入は、欧州からは比較的簡単だが、アメリカは酒の販売のルールが一般に厳しく、州をまたいでの移動が難しかったり、テロ対策もありアルコール度数の高い酒を航空輸送して輸入するハードルも極めて高い。

そのバーテンダーの方は、私がアメリカの会社にずっと働いていたことをご存じで、筆者ならなんとかできるかも、ということでご相談をいただいた。

前職の26年間のたたき上げで身につけた、ジョン万次郎状態から学んだ英語でのコミュニケーションや、英語で調べ物や交渉を行うスキルは、FIRE後まったくの無用の長物となっていたが、そのスキルが再び日の目を見るときが来たのだ。

自分は自分の生活しか考えない利己的な人間で、世の中の何の役にも立たない人間に思えて自己嫌悪気味となり、自己肯定感もひどく下がっていたちょうどその頃、「自分のスキルがもしかすると、これまで息抜きの場として自分を助けてきてくれたバーの役に立つかもしれない」ことがわかり、「これはもしかしたら一生懸命やる価値があるかも」と思い至った。

「FIREを捨てること」で取り戻した「幸福感」

宿題をいただいてからさまざま調べていくうちに、通常なら簡単ではないアメリカからのウイスキーの輸入が「こう工夫すればできそうだ」とわかってきた。

また、これまで日本に正規輸入されていないウイスキーを個人輸入してまで買っていた経験から、日本では入手できない希少で質の高いウイスキーを海外から輸入してくるビジネスには将来性があるのではないかとも気づいていた。

そこで一念発起して酒販免許を取得し、ウイスキーのインポーター兼オンラインショップを今年の3月に立ち上げた。

仕事を始めてみると、食品輸入の手続き、税関での輸入申告手続き、航空輸送の手配、日本で売れそうなウイスキーの情報収集と仕入れ、海外の酒問屋との関係構築、ウェブサイトの構築、ボトルが売れた後の梱包発送業務など、すべて1人でやっているので目が回るように忙しいときもある。

だが今は、その忙しさをむしろ爽快感として捉えられるようになった。

FIRE後感じられることのなかった「自分のスキルを活かし、目の前の人に喜んでもらう」ことによる充実感は、少々の苦労など軽く吹き飛ばしてしまうぐらい強いからだ。

引退後の道楽ではなく、これまでのやり方とは少し違った新しいビジネスモデルに本気で挑戦しているからには、多少の苦労があるのは当然のことだと思っている。またそうでないと、周りの方に失礼に当たるとも信じている。

さまざまな方々の助けをお借りしながら、ビジネスはなんとかうまく回っており、充実した生活が戻ってきているのは本当に喜ばしい。

「何が役に立つのか」は本当にわからない

自分が大学を卒業して社会人生活を送ったおよそ26年間と、FIRE後の2年半を振り返って言えることは、「何が役に立つかは、あとになってみないとわからない」ということだ。

前職時代、仕事を終えたあと、家に帰る前に心を落ち着かせるためバーに立ち寄りウイスキーを飲んでいたこと、そこでお店の方とお話しする機会に恵まれたことが、結果的に今取り組んでいる仕事につながっている

また、今こうやってこの原稿を書くことになったきっかけも、バーでのふとした会話からだった。

FIRE後記事をよく書かせていただいたクルマ雑誌の編集者の方とも、20年近く前に書いていたクルマ関連のブログがきっかけでお近づきになった。

会社を離れてひとりになり、「何が自分に残されたのか」を考えてみると、それはさまざまな人たちとのつながりだった。

そして、その人とのつながりのほとんどは、意図して作ったものではなく「たまたま」できたものだった。

「こんなこと、何の役に立つのか」と真顔で聞く人がたまにいる。「こんなこと」とは、たとえば「三角関数の勉強」だったり、「会社の飲み会」だったする。

計画どおりの人生を送れている人であれば、何が自分の役に立ち、何が自分の役に立たないか「事前に」わかるかもしれない。

だが、大体において人生は計画どおりにはいかないものだ。だから何が役に立つか立たないかは、「事後的」「結果的」にしかわからない。

FIREを経験した筆者からのアドバイスとしては、「これは役に立たない」「この人と話しても時間の無駄」などと最初から決めてかからず、一見効率が悪いように見えるさまざまなことにチャレンジし、さまざまな方と知り合いになることが、自分の将来の選択の幅を広げ、人生をより豊かにするコツなのではないかと思っている。

「いつ蒔いたか、どこで蒔いたか覚えてもいない種」が驚くような美しい大きな花を咲かせることもあるのだ。

*この記事の前編:26年外資勤務「FIRE=幸せ」と限らない残酷な現実

(柳川 洋 : 元外資系証券マネージングディレクター、ウイスキーオンラインショップ「コマスピ」代表)