人生100年時代を迎え、これからの学校教育に必要なこととは?(写真:Mills/PIXTA)

ロンドン・ビジネス・スクール経営学教授のリンダ・グラットン氏らが著書『LIFE SHIFT(ライフ・シフト)』で提唱した「100年時代の人生戦略」は、日本でも一大ムーブメントを起こし、高校生向けに『16歳からのライフ・シフト』も刊行された。

選択肢が増え、正しい答えがない人生の時代に、学校現場で教員は何を教えるべきなのか。教職員のマネジメント改革に取り組んできた湘南学園学園長の住田昌治氏と、総合商社やコンサルティング会社を経て経営者と校長の二足のわらじを履く札幌新陽高校校長の赤司展子氏に、人生100年時代を迎えこれからの学校教育に必要なことを聞いた対談を前編と後編の2回にわたってお届けする。

自分らしく生きるための選択肢が増える社会に


赤司展子(以下、赤司):『LIFE SHIFT(ライフ・シフト)』は、発売後すぐに手に取りました。「これから自分はどうやって生きていくのだろう」と思いながら読んでいたのですが、2014年から教育事業に携わるようになり、2021年に札幌新陽高等学校の校長に就任して、あらためて読み返してみたんです。

私自身もそうですが、生徒たちに関しては好むと好まざるとにかかわらず、もう「教育」「仕事」「引退」の3ステージでは生きられない時代に来ているのだなと感じます。

住田昌治(以下、住田):学校の現場は社会の縮図のようなもので、これまで3ステージで生きてきた先生たちが、生徒たちにマルチステージの生き方を提示する必要に迫られています。先生の中でも、3ステージで生きてきた人もいれば、マルチステージに生きている人もいます。今まさにシフトの過渡期にあるのではないでしょうか。

赤司:大事なのは、これからは生き方として3ステージかマルチステージかということではなく、自分らしく生きるための選択肢が増える社会になっていくということではないかと私は思っています。

社会構想大学院大学の本間正人先生が、最終学歴ではなく「最新学習歴」を提唱していますが、大いに共感します。私の最終学歴は早稲田大学ですが、マルチなキャリアを描いている今、何の関係もない。「早稲田出身なんだね」という、ただのハッシュタグでしかありません。


住田昌治(すみた・まさはる)/ 湘南学園学園長。1958年生まれ。横浜市立永田台小学校校長、横浜市立日枝小学校校長を経て、現在学校法人湘南学園学園長。教職員や児童生徒が自律自走するための学校組織マネジメント・リーダーシップ、働き方等について執筆や全国各地で講演を行っている。著書に『カラフルな学校づくり』(学文社)、『管理しない校長が、すごい学校組織をつくる!「任せるマネジメント」』(学陽書房)、『校長先生、幸せですか?』(教育開発研究所)などがある(撮影:今井康一)

それより今、何を学び続けているかのほうが大事ですよね。大学に行くのもいいけど、そこで終わりじゃない。何回でもやり直しができるし、50歳60歳になってからいいと思う大学に行きたければ行けばいい。そんな話を生徒たちにもしています。

住田:3ステージを生きてきた先生にとっては、選択肢が増えるという表現はすごくわかりやすいと思います。マルチステージの時代だと言われると、生き方を変えなければならないのかと構えてしまいがちですから。

でも一つの仕事をやり通すことが大事だという価値観を持ってきた人たちにとって、他の選択肢を選ぶという発想は持ちづらいかもしれませんね。「まず教員の道を極めろ」「最後まで勤め上げろ」となってしまうでしょう。それだと、自分の良さをもっと活かせる場があったとしても「いやダメだ」と思い込み、自ら選択肢を減らしてしまうことになりかねません。

赤司:わかります。若い先生でも、教員を夢見て、それで一生を終えたいからマルチステージを望んでいないという方もいます。それはそれでいい。何も3ステージの人生がダメだと言っているわけではありません。

きっかけ作り、環境作りで人は育つ

赤司:先日、学校の「総合的な探究の時間」で、社会起業家精神について学ぶというテーマを提案したことがあったのですが、「起業したことがないから教えられない」と不安がる先生が少なくありませんでした。教員をずっと続けるにしても起業家精神はとても大事だと思うのですが、なかなかそこを理解してもらえず、難しかったですね。

住田:自分が正しい答えを知っている、そうでなければ教えられないという、これもまた思い込みですよね。学校教育の基本は、自分の考えを押しつけることではなくて、「人が育つ場」であることだと思います。生徒はもちろん、教員も一緒に育っていけばいい。

では「育つ」とはどういうことかというと、自分と他人とが違う存在であることをまず知ること。たとえば校長がそれを知らず、「自分がこう思っているんだから皆もそうでしょ」と押しつけてしまえば、教職員は育ちません。やっぱり自分と他人は違うという前提のもとで、その人がどういうことを考えて何をしたいのか、相手の視点で見て任せていかないと、その人が育つチャンスを潰してしまいます。

決して放任主義というわけではなく、その人が育つように我々がきっかけを作り、環境作りをしていくということです。そのうえで、自身が意思決定をしてトライしていくことが大事なのだと思います。

信じて任せる。上意下達で、既知のやり方だけを押しつけていたのでは先生も育たないし、生徒も育ちません。

赤司:まだ校長に就任する前ですが、福島のあるネギ農家さんにお話を聞く機会があり、非常に興味深いことをおっしゃっていました。「私たちはネギを育てているのではありません。土壌を整えているだけです」と。
要するに、ネギは勝手に育ちたいし美味しくなろうとするから、それを邪魔しないように、より良い環境を整えるのが農家の仕事だということです。

教員はまさにこれだと思いました。生徒を育てているわけではなくて育つのを助ける、その人が伸びたいように伸びるのを邪魔しない、伸びやすいように環境を整える。それに尽きるのだと思います。

住田:そう、きっかけ作りと環境作りだけですよ、教員のできることは。この生徒には何が引っかかるのか。誰と出会って、どんな景色を見て、どんな体験をさせるのか。常にきっかけを与え続ける。そのためには一人ひとりとしっかり向き合って生徒のことを知らなければなりません。何に関心があるかがわからないと、育つ力を削いでしまいますから。

先生も、生徒の想像力を一緒になって面白がろう


赤司展子(あかし・のぶこ)/ 札幌新陽高校校長。札幌新陽高校の「複業する校長」。早稲田大学商学部卒業後、三井物産、アルフレックスジャパン、UBS証券を経て2007年PwC Japan入社。被災地支援の一環で福島県双葉郡の教育復興プロジェクトを推進。2018年「学びの多様化」に取り組むため独立しウィーシュタインズを設立。2021年4月より札幌新陽高校の校長を務める。ウィーシュタインズ株式会社代表取締役、NPO法人インビジブル理事、社会彫刻家(撮影:今井康一)

赤司:新陽高校では、それを「出会いと原体験」と呼んでいます。生徒は1学年で280名ほどですが、その多くが自分は何をしたいか、何が得意なのかがわからないと思って入学してきます。でも何か見つけたい。

そこで外部の方をお招きしたり、どこかに出かけたりして生徒にさまざまな体験をしてもらう機会を幅広く設けています。彼らが何に関心を持つかは未知数なので、とにかくそういう場をたくさん用意します。

住田:冒頭で赤司先生は「自分らしく生きるための選択肢が増える」とおっしゃっていましたが、まさにご自身でそれを実践しているわけですね。

赤司:もっとも選択肢が多すぎて選べなくなる可能性もありますから、そのあたりは先生がキュレーションしてあげる必要があるのかもしれませんね。住田先生がおっしゃったように、その子と向き合いつつ、「これが合うのではないか」と選択肢を絞っていく。

何か1つを押しつけるのではなく、100の選択肢を10まで絞るといった具合です。そうしたキュレーション力がこれからの先生には必要になるのではないでしょうか。

住田:あとはキャパシティを大きくすること。人間とAIの大きな違いは想像力、発想の豊かさです。生徒たちにはその豊かさがあります。もしかしたらそれは正解ではないかもしれないし、突拍子もなくて先生には理解できないことかもしれません。でも、その子はきっとものすごく真剣です。それを許容する力ですよね。

自分の考えを言ってみたけど、まわりの大人が「それは無理だよね」「おかしなことを言うね」などと否定し、大人が思う「正しい道」に導いてやろうと世話を焼くと、気づかないうちに成長の芽を摘んでしまうことになります。

赤司:既にある「正しい道」を教えるだけなら、それこそAIでもできる、という話になっていきますよね。

住田:そうですね。生徒の発言や行動に表れる「その子らしさ」をどう拾っていくか、そしてどのくらい一緒になって面白がれるか。それこそが人間にできることではないでしょうか。否定するのではなく、自分の言ったことを一緒に面白がってくれる先生がいる学校は、きっともっと楽しくなりますよ。

先生が自由な発想を面白がれる学校現場か

赤司:新陽高校の先生たちを見ていても思うことですが、いわゆる探究学習の授業を設計するのが得意な先生と苦手な先生がいます。

「正解」を教えるのに慣れている先生は、探究学習の授業でもどこかにそれを埋め込んでいたり、生徒を誘導するような課題設定だったり、いずれにしてもアウトプットのイメージが先行してしまいがちです。そうすると、うまく授業が進んでいるように見えても、生徒がワクワクして探究することが少ないように感じます。


『16歳からのライフ・シフト』の特設サイトはこちら(画像をクリックするとジャンプします)

住田:中学も高校も教科担任なので、自分の教科を極める方向にどうしても行ってしまいますよね。そうすると総合的横断的に探究するというのが苦手になってしまうケースが多い。

赤司:「どうなるかわからないけど、やってみよう」という先生のほうが、とてつもないアイデアを生徒たちから引き出すことがあります。もちろん失敗もするのですが、失敗さえも学び。わからない、自分では思いつかないことを面白がるというのは大事なポイントだと思います。

住田:先生が自由な発想を面白がるには、学校現場で自由にものが言えること、本音を言っても大丈夫という心理的安全性が担保されていることが必要です。

しかし実際はどうでしょうか。これまで子供の学びの空間をどうするかという視点はありましたが、教職員の働く場としての空間のあり方は見過ごされてきたように思います。教育業界に携わる私たちこそが、そのことを真剣に考えなければなりません。

後編に続く)

(住田 昌治 : 湘南学園学園長)
(赤司 展子 : 札幌新陽高校校長)