高校生の時から探究心が旺盛だった本田圭佑選手(写真:ロイター/アフロ)

世界で活躍する日本のサッカー選手も、さまざまな逆境や挫折を乗り越えて、一流選手になっていきました。本稿は、元ガンバ大阪のスカウトマンとして、選手を間近で見てきた二宮博氏の著書『一流の共通点 スカウトマンの私が見てきた成功を呼ぶ人の10の人間力』より一部抜粋・再構成のうえ、彼らを特別たらしめる「正しい考え方、マインド」をご紹介します。

高校時代、「一芸」を身につけるべく練習した本田圭佑

ガンバ大阪のアカデミー時代から、ケイスケ(本田圭佑)は学ぶ姿勢が一途でした。高校時代、ケイスケは後に大きな武器となる「一芸」を身につけることに特別なこだわりをもって、練習に励みました。

ガンバ大阪のジュニアユースから石川・星稜高校に進学した彼は、サッカー部監督の河崎護先生の薦めで、特別指定選手として名古屋グランパスエイトの練習に参加します。

当時の名古屋グランパスエイトには、フリーキック(FK)の名手のウェズレイがいました。2003年に22ゴールをマークして得点王となるなど輝かしい成績を残す一方で、「猛犬」とあだなされるような猛々しいプレーでも知られたブラジル人ストライカーです。何度か名古屋グランパスエイトの練習に参加し、星稜高校に戻ってくるたびに、めきめきと技術力を上げたケイスケは、いつからかウェズレイのFKの蹴り方をまねし始めました。

2015年のラグビーW杯で話題となった五郎丸歩さんのプレースキックと原理は一緒です。3歩下がって少し右に立ち位置を変える。蹴る前のいわゆるルーティーンの仕方からウェズレイのやり方をそっくりまねしたのです。

こうしたルーティーンには一般的に、平常心を保てたり、集中力を高めたりする効果があると言われています。

そうして身につけたのが、「レフティー・モンスター」と形容されることになった強烈な左足での無回転ぶれ球FKです。2010年W杯南アフリカ大会1次リーグ第3戦のデンマーク戦。岡田武史監督率いる日本代表を2大会ぶりの決勝トーナメントへと導くきっかけとなった一撃は、ケイスケの左足から生まれました。

前半17分にやや右寄り、ゴールまで約30メートルの位置で得たFK。彼はいつものルーティーンから力強い助走に入り、左足を振り抜くと、ほぼ無回転のボールは相手ゴールキーパー(GK)の手前でぶれながら鋭く落ちて、ネットに吸い込まれました。ウェズレイのモノマネから始まった探究心が実を結んだ瞬間でした。

プラスになると判断したものは積極的に取り入れる

「学ぶことは、まねることから始まる」。世界最高峰のW杯の舞台で、その言葉がサッカーの世界でも真実であることを、ケイスケは自らのゴールで証明しました。

ちなみに、デンマーク戦では、ヤット(遠藤保仁)もFKで日本代表の2点目を決めました。ガンバ大阪に関係する2人がそろってFKで得点を挙げたデンマーク戦は、現地で観戦していた私にとっても、忘れられない思い出です。

星稜高校の河崎先生はサッカー部の監督であるとともに、ケイスケの担任を3年間務めました。河崎先生は3年間で一度もケイスケを叱ったことがないそうです。

ミーティングがあると、いつも目の前の・指定席・に座り、監督である河崎先生を真っ直ぐに見て一言も聞き漏らすまいとする。自分にとってプラスになると判断したものは、何でもその道の専門家に尋ねて積極的に取り入れる。理解できなければ、理解できるまで毎日、何度でも尋ねる。疑問に感じたことは、真っ直ぐにぶつける。

探究心・好奇心=受容力と思うのは、ケイスケのスポンジのような吸収力の事例が念頭にあったからです。

ケイスケといえば、小学6年生のときに記した「将来の夢」と題した卒業文集が有名です。彼がACミラン入りした際に、かなり話題となったので、書かれた文言を目にしたことがある人も多いでしょう。

「ぼくは大人になったら 世界一のサッカー選手になりたいと言うよりなる」で始まる文集には、こんなフレーズもあります。

「世界一になるには 世界一練習しないとダメだ。だから 今 ぼくはガンバッている。今はヘタだけれどガンバッて 必ず世界一になる」(原文ママ)

貪欲さが探究心を発動させるエネルギー源

この貪欲さ、自己を叱咤して励む心が、彼の探究心、好奇心を発動させるエネルギー源です。何事でも一緒だと思いますが、一度興味をもったことは途中で困難にぶちあたっても、むやみに投げ出さず、最後まで一生懸命にやりきるべきだと思います。ケイスケはその突き詰める力も優れていました。

「彼はピッチの中で監督のような存在だった。とても高校生レベルではなかった」


あらためて河崎先生に高校時代のケイスケについて尋ねると、そんな答えが返ってきました。技術ももちろんですが、頭と心も高校時代に磨かれ、鍛えられたのです。3年生のときには主将を務め、全国高校サッカー選手権大会で4強入りしました。

ガンバ大阪のジュニアユースからユースへの道が閉ざされたケイスケは生まれ育った大阪を離れて過ごした高校の3年間で、たくましく成長し、鳴り物入りで名古屋グランパスエイトに入ることになりました。

ケイスケ(本田圭佑)は星稜高校で大きな学びを得ましたが、探究心、好奇心を満たすのに、自身が置かれた環境はあまり関係ありません。どこにいても、やろうと思えば自分を磨くことはできると思います。

(二宮 博 : 神戸国際大学客員教授、元ガンバ大阪スカウトマン)