世間の注目を集めるようになった「タイパ」。今や誰も彼もが時間の効率化を意識せざるをえなくなっています(写真:kikuo/PIXTA)

タイパ(タイムパフォーマンス)という言葉を聞くことが年々増えてきた。これはもはや一過性のブームではない。今や誰も彼もが多かれ少なかれ時間の効率化を意識せざるをえなくなっている。

日常や趣味で「タイパ」を重視する傾向

先日、ヒカキンなどを抱えるYouTuber事務所のUUUM(ウーム)が広告関連会社に買収されたことが話題になった。その背景要因の1つとしてショート動画の拡大による通常動画の再生回数の減少が指摘されている。これはコンテンツ消費におけるタイパの加速ともいえるが、同様の傾向はほかの分野でも進んでいるとみていい。

「セイコー時間白書2023」によると、87.4%の人がタイパを重視する時間が「ある」と答えており、カテゴリー別では、「日常(食事・睡眠など)」(61.2%)、「家事・育児」(55.0%)、「趣味・コンテンツ消費」(47.8%)が高く、「仕事」(29.7%)が最も低かったという。

また、白書内の専門家のコメントでは、何かを楽しむ時間を得るためにタイパを重視して時間を作る動きがあることや、タイパの意味が広がるとともに、目的も「趣味」「学び」「寝る」「何もしない」など多様化しているとの見方を示している。

タイパが2022年の「今年の新語」(三省堂)に選ばれ、世間の注目を集めるようになった際、仕事の生産性が上がることにつながるといった展望もあったが、どうも調査結果を見る限り、タイパの重視は、仕事よりもプライベートの充実に振り向けられているようだ。

時間に追われる感覚が「強くなった」要因

だが、そもそもなぜ時間に追われているのだろうか。前述の調査では約半数に当たる49.2%の人が時間に追われる感覚が「強くなった」と答えている。スマートフォンの普及やソーシャルメディアの使用時間の増加など、情報環境の変化はその大きな一因と言えるだろう。

とくにTikTokやインスタグラムなどの非活字系のソーシャルメディアの台頭は、従来のソーシャルメディアに顕著な「取り残される不安」(Fear of Missing Out:FOMO)や、スロットマシン的な刺激、セルフブランディングへの関心などを促進しており、必要以上に可処分時間を奪っている面がある。

とりわけ若い世代にとっては、交友関係、趣味、推し活(アイドルやキャラクターをさまざまな形で応援する活動のこと)などのためのインフラになっており、離脱することがほとんど困難な状態にある。そのため、必然的に倍速視聴などのタイパが要請されるのだ。

社会心理学者で作家のショシャナ・ズボフは、それをデバイスを介した「心理的な依存」であると指摘している。「ソーシャルメディアの磁力は若者たちを、より自動化された、より自発的でない行動へと駆り立てる」と(『監視資本主義 人類の未来を賭けた闘い』野中香方子訳、東洋経済新報社)。これは何も若者たちに限らない。

ソーシャルメディアは、良くも悪くも「社会的比較」の範囲を無限に押し広げた。見ず知らずの他人の容姿や行動や知識などといった客観的なデータとの比較を通じて、自己はよりそのデータに価値を置く振る舞いに終始するようになる。実際、多くの人々がソーシャルメディアにおける自己イメージのコントロールに傾倒している。

加えて、スマホ自体がコミュニケーションアプリからゲーム、ニュースに至るまでをワンストップで提供する性質上、完全なオフラインは夢物語にすぎず、注意の拡散は避けられない。実のところ、本質的な問題は、あまり重要ではない自己イメージやコンテンツなどに絡め取られ、タイパを意識せざるをえない本末転倒な状況にあるともいえる。

作家でジャーナリストのオリバー・バークマンは、ベストセラーとなった『限りある時間の使い方』(高橋璃子訳、かんき出版)で、人生は「たった4000週間」しかないと述べ、「何に注意を払うかによって、その人の現実が決まる」と主張した。

あなたの人生とはすなわち、あなたが注意を向けたあらゆる物事の総体である。人生の終わりに振り返ったとき、そこにあるのは注意を向けたことたちであって、それ以外の何ものでもない。くだらないものに注意を向けるとき、僕たちはまさに人生の一部を削ってそのくだらないものを見ているわけだ。(同上)

バークマンは、スマホの通知やネット炎上などが気になり、仕事が手に付かないのも問題だが、その仕事自体も「くだらないもの」かもしれないと忠告する。バークマンの言葉を借りるならば、タイパは本来的に「くだらないもの」を省略するか、迅速化するためにこそ切実に求められている

タイパの有効性は適切な選択とともにある

仕事や家事、子育てはもちろんのこと、近年は副業やスキルアップ、資産運用など、将来不安に後押しされた「やらなければならないこと」が増えている。これも前述の注意の拡散と同じく「時間に追われる」理由の1つなのだが、往々にして「やらなければならないこと」が「くだらないもの」であることがありうる。

もっと言えば、選択した事柄自体が不要であるかもしれない可能性だ。副業にしろスキルアップにしろ資産運用にしろ、流行のスタイルを漫然と受け入れた結果、かえって面倒なことになる例はいくらでもある。タイパの有効性はあくまで適切な選択とともにある。

昨今のタイパ概念の拡張は、タイパが単なる小手先の技術ではなく、人生をノミとカンナで彫刻するがごときアジェンダと化し始めている証拠だ。究極的には、人生の全領域において満足度や達成感などの時間対効果を意識せずにはいられなくなるだろう。

その核心にあるのは、「投資的思考」だ。人生という時間への投資効率(投資に対する利益率)を高めることが目指されるのである。

パフォーマンスを上げるために「良好な睡眠」に投資する、健康であり続けるために「適度な運動・スポーツ」に投資する、幸福度を上げるために「瞑想」に投資する……。

そのため、バークマンの「人生とは時間の使い方そのものだといっていい」という物言いは、非常に説得的である一方で、近視眼的な考え方を助長することが危惧される。少ない投資で多くのリターンを得たいと望む安易な動機によって時間投資の奴隷となる可能性だ。

余暇や空白の時間も効率化の材料にする「タイパ」

最終的にタイパは余暇や空白の時間も効率化の材料にしてしまう。最近目につく「空白の時間」「余白の時間」を作ることを積極的に勧めるビジネス書は、一見すると、タイパの反動のように映る。だが、これも「空白」「余白」に創造性の涵養や精神的な充足などの効用を見込んでいる時点で、タイパ的なものの別名といえる。

「睡眠」と同様、「空白」「余白」時間の効率的な運用による幸福度や生産性の向上が意図されているからである。スケジュールを詰め込むよりも、賢く隙間を作ったほうがさまざまな面で効果的という「急がば回れ」的なタイパなのだ。目的のない「無の時間」の追求も、結局のところ、深淵な心理的変化というリターンを期待せずにはいられない。

いずれにせよ、タイパは人生のすべての時間を投資に回そうとする厄介な特性を持っている。タイパは、わたしたちの生活を驚くほど快適にしてくれる反面、生産性とは無縁の人間関係や場の重要性を過小評価し、内省の機会を奪いかねない。そもそも、人生を倍速で生きることはできないし、恵みのある人間関係や場は一朝一夕でできるものではない。

わたしたちは、タイパ的な時間投資熱に侵されやすい時代状況を踏まえながら、タイパに支配されないようつねに自問し続けるという困難と付き合っていかなければならない。

(真鍋 厚 : 評論家、著述家)