戦前の新聞記事は、いまでは考えられないような内容が珍しくなかった。たとえば1932年の読売新聞の夕刊連載「貞操のS・O・S」は、新卒の1日目の女性記者にナンパ待ちをさせて、女性が遭遇する危機を暴くという企画だった。文筆家の平山亜佐子さんの著書『明治大正昭和 化け込み婦人記者奮闘記』(左右社)から、一部を紹介しよう――。

■新人記者を起用した「貞操のS・O・S」

1932(昭和7)年1月24日付「読売新聞」夕刊の二面に、驚くべき社告が登場した。

曰く「明日の夕刊から連載する新読物 婦人記者の変装探偵記『貞操のS・O・S』身(み)(ママ)づから誘惑戦線に投じてエロ、グロ跳躍の裏面を描く」。

わが社は今回特に、社会部所属の婦人記者を採用して、すでにその任に就かしめた。場所と場合とに応じて変装した機転の婦人記者、これを、誘惑戦線の悪騎士は何んと見、どんなふうに近づいて、どういう危険にまで導いたか云々。

つまり、女性が遭遇する危険を暴くという崇高な使命のために社内の婦人記者を囮(おとり)にするというのだ。度肝を抜くような企画である。

果たして、翌日の夕刊から「貞操のS・O・S 婦人記者の誘惑戦線突破記」が始まった。署名は旗マロミとあるが本名は小川好子、本人曰く入社なんと1日目に下された部長命令だった。

素人同然の婦人記者が始めたこの連載は大ヒット。夕刊の売行が急上昇し、販売からの要請もあって1カ月もの長連載となった。19回続いたうえ、さらには新宿座ムーラン・ルージュでレビュー化(*1)されるという斜め上の展開を見せた。ルポルタージュのレビュー化とはいまいちピンとこないが、前年に掲載された中村正常(*2)「ウルトラ女学生読本(*3)」(11月26〜12月6日、全10回)レビュー化という前例(ただしこちらは創作)があったようだ。

ではまず、そのモンスター企画「貞操のS・O・S」をじっくり見ていこう。

出所=1932年2月20日付「読売新聞」
新宿ムーラン・ルージュでレビュー化した際の新聞広告。 - 出所=1932年2月20日付「読売新聞」
出所=1932年1月24日付「読売新聞」
「貞操のS・O・S」第1回。 - 出所=1932年1月24日付「読売新聞」

(*1)レビュー化 2月18日付「読売新聞」には20日より七景(広告では八景)に脚色して上演すると出ているが具体的な内容まではわからない。なお、ムーラン・ルージュは1931(昭和6)年、淀橋区角筈(現新宿区新宿三丁目)に開館した大衆向けレビュー劇場である。
(*2)中村正常 1901(明治34)年生まれの劇作家・小説家。1981(昭和56)年没。
(*3)「ウルトラ女学生読本」 中村正常が読売新聞で10回連載したコラム。「ミス・ラグビー」「ミス・左翼」というように流行と女学生を組み合わせた内容で、レビューは五景から成るという。

■当時のラブホテルに連れ込まれ…

第1回、つけ髷(まげ)に地味な和服姿で上野公園に現れた好子は、西郷隆盛の銅像の下で獲物を待ち受ける。関西から家出して青山の親戚を頼って上京してきたおぼこい娘の設定である。

すると早速四十絡みの男が現れ、青山行きの電車の駅まで送るといいながら、なぜか公園内の森の方に連れて行く。そして今夜は遅いから一晩泊まって翌朝から青山に行けばいい、ひとりで宿に泊まると怪しまれて通報されるから自分と泊まろう、などといいながら帯に手をかけて寄り添ってくる。挙句に「それともいッそ、私のこのトンビ(*4)にくるまって、こういう工合にして、(と彼れ氏は私を、トンビの袖で包んで……)公園の中で、一夜を過ごそうじゃありませんか」などととんでもないことを言う。

写真=iStock.com/Yury Karamanenko
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Yury Karamanenko

好子は慌てて宿に泊まると嘘をつき、駅に向かったところ客引きが現れ、ふたりは案内されるままに上野の連れ込み宿(*5)に入った。明るいところで見た男の額には斜めに走った刀傷があり気味が悪い。男が女中に床を言いつけたためこのままでは逃げられないと感じた好子は風呂に入りたいと訴え、その隙に宿から出ようとする。

が、扉には鍵がかかっていた。帳場の主人に開けるよう言うと「さァねえ。お連れさんにおたずねしてみなければ」などと言を左右にする。たまりかねた好子、「女だとも(ママ)って馬鹿にしなさんな! これでも私はね……」と名刺を出して企画を説明したところ「あ、そ、いや、これはどうも、へい。……ではどうぞ、商売の迷惑にならぬように、へい、一つお手軟(てやわら)かに……」ということで辛くも難を逃れた。

なお、記事には宿屋の玄関の写真が添えられているが、これがこの曖昧宿の「商売の迷惑」になったかどうかは定かではない。

(*4)トンビ ケープ付きの男性用の外套。
(*5)連れ込み宿 情事を目的とした簡易宿。

■ダンスホールで口説かれるのを待っていると…

好子は「『S・O・S』に応じて私を救ってくれたものは、私自身の名刺にほかならない。これが一般普通の場合だったらどうなるか、考えてもぞツとする」と締めくくっているが、この任務自体にぞっとする筆者である。

好子は後述の「点と丸」で〈私の後から見えつ隠れつつき添うカメラマン〉がいたというが、この記者は写真を撮る以外のことはしないのだろうか。とても20歳そこそこの婦人記者が携わる任務ではない。

第4回の舞台はところ変わって銀座のダンスホール(*6)である。3日間で速習したダンスを武器に繰り出した好子、ホールで見物していると5、6人連れの学生が現れて次々にダンスを申し込んできた。いかにも小金を持った遊び慣れた連中で、しばらくするとホールを出ようと誘われる。

連れてこられたのは近くのカフェー。意外にも酒に強い好子は酔っぱらって女給に絡む学生たちを冷静に観察している。すると、背広姿の学生がしきりに横浜に行こうと口説いてくる。深夜0時から行くことにためらって答えないでいると、みんなで喫茶店に行ってそこから帰るふりをして新橋駅で落ち合って横浜に行こうと執拗(しつよう)に訴えてくる。

会計している間に逃げようと路上でタクシーをさがしているうちに追いつかれたが、いきなりキスをされそうになった好子、慌てて突き飛ばしてタクシーに飛び乗って今回もギリギリ助かった。

(*6)ダンスホール 昭和初期、ジャズ・社交ダンスのブームとともに数を増やした。

■「君の一晩の相場はいくらだい?」

第7回では銀座裏のバーに現れた好子、女給はもう満員だという主人(マスター)に「ねえ、いゝでしょ」と媚びを売って置いてもらった。最初に来たでっぷりとした実業家風の客は「君の一晩の相場はいくらだい?」と呆れたことを宣(のたま)う。思わず心のなかで「このブルジョア豚!」と叫んだ好子である。

すると二人連れの会社員が現れ、そのうち一人がやたらとご執心で帰りに家まで送ると話しかけてくる。その場をごまかしていたが待ち伏せされて一緒に帰ることに。ところが好子はこともあろうに自分が住むアパートまで送らせてしまった。

それっきりバーに行かないでいたところ、アパートに好子の源氏名で訪ねてきた人物が。見ると例の会社員と一緒にバーに来ていた男。あれ以来、好子に惚れた男が発熱で唸っているからアパートに来てほしいと頼んでくる。好奇心も手伝って行ってみると、元気にベッドから飛び出た男、いきなり手を握ってくる。振り払うと今度は両腕に抱えてベッドに引きずっていく。

「助けてえ!」と大声を上げた好子、「さァ、おとなしく帰して頂戴。でないと、アパート中の人を呼んでやるわよ!」と睨むと、男は「馬鹿だね、君は。何もしないのに大声をたてたりして、僕、とんだ恥をかくじゃないか!」「君みたいなひどい女には二度とお目にかゝらないよ」と捨て台詞を吐くのだった。

■隙さえあれば宿屋に連れ込もうとするナンパ文化

第11回は、浅草公園の瓢簞(ひょうたん)池のほとりである。〈こゝは香具師(やし)と不良少年と、浮浪者の世界――〉とある通り、盛り場と私娼とホームレスの根城が同居する危険な地域である。何しろベンチに座るや否や「周囲のベンチや木蔭からは、文字通りに一匹の小羊をねらう狼ども――数名の与太者が、相互を牽制(けんせい)しながら」こちらをじろじろ見ているという治安の悪さ。

写真=iStock.com/Davian Chang
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Davian Chang

見かねたある紳士が公園を出た方がいいと教えてくれ、出たところで別の男に声をかけられた。家出をしたと言うとこざっぱりとした蕎麦屋の2階に連れて行かれたが、男をよく見るとまだ27、8歳の職人風。鳥鍋二人前に酒を注文し、自分よりも好子にばかり勧める。これから女中奉公をするつもりだというとバーやカフェーに出た方がいい、紹介すると言いつつ、独身アピールを忘れない。

そのうち突如「ね、あなた、あなたは僕をどう思います? マンザラでもないでしょう?」「あなたがその気なら、先きで一緒にもなれるのだから、今夜これから、二人でどっかの宿屋へ泊ろうじゃありませんか。ね? どう?」などと突飛な論理で口説きだす。隙さえあれば宿屋へ連れ込もうというこの時代のナンパは一体どうなっているのか。

もちろん好子はネタを求めてついていくわけだが、この男の場合、上野公園のときと違って金離れがいい。また、宿を選ぶ際にも一応意見を聞いてくれる。だが〈驚いたことには、極めて執拗に、同浴を主張して譲らない〉。困った好子、頭痛がすると苦し気にすると男は先に入るから後からおいでとのこと。その隙にさっさと逃げてなんとか今回も助かった。

■「料理屋に行こう」と宿屋に連れ込まれる

第12回は新宿の遊郭付近にて、出張で東京に来た青森在住のサラリーマン二人組に「君の『縄張り』はどこだね?」と私娼扱いをされた好子、怒って立ち去るも、再び遭遇し彼らの宿に連れ込まれる。三人で話しているうちに深夜0時になり、帰ろうとすると引き止められる。また明日にでもとごまかして逃げるが「おとといお出で」とつぶやく好子だった。

第14回は、浅草の映画館にて。上映中だったために休憩室という小部屋で座っていると、37、8歳の口髭を生やした男性がのぞき込み、好子に目を止めて周囲を警戒しつつ入ってきた。おもむろに向かいの椅子に座って煙草に火をつけ、手招きをする。コーヒーでも飲みに行こうという誘いのはずがなぜか次第に「ねえ君、これから僕と、待合へ行かない?」と言い始める。

写真=iStock.com/west
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「待合って、どんなとこ?」と聞くと、「待合(*7)って、料理屋のことさ。うまいものを食わす家だよ」との返事。承諾すると男はしきりに時間を気にしながら千束町(*8)の待合街へと好子を連れて行く。実は男、同僚三人と映画に来たが抜け出してお楽しみの後は何食わぬ顔で映画館に戻ろうという寸法でとにかく時間がないらしい。

到着した宿はなじみらしく、女将に「しばらくでございますのねえ」などと言われている。また客と宿屋で共謀して入口を閉められたらかなわないと思った好子、「お支度ができましたから。……」の女中の声に無理に別室に引っ張ろうとする男に対し、「私をダマシたんだね。死んでもいやだよ! さあ、帰してくれなきやァ、声一ぱいわめきますよッ!」と騒いではねのけた。辛くも魔の手からすり抜けたのだった。

(*7)待合 もともと「待合茶屋」といい芸者と客が待ち合わせる場所だったが、明治以降は遊興(酒や余興を楽しむこと)をしたり男女が密会する場所となった。なお、待合は料理を出さず料理屋から出前を頼むため、男性の言うことは嘘である。
(*8)千束町 浅草区千束町二丁目(現台東区千束)辺りを指すが、千束町は関東大震災までは私娼窟として有名だった。震災で壊滅した後もカフェーや銘酒屋、待合などはあったが活気がなくなった。

■女優扱いしておだてる30歳前後の男性

第16回は電車の中から始まる。上野行きの省線電車に乗っていると横浜駅で飛び込んできた酔っ払い。好子に目をとめて手招きや変顔で歓心を買おうとする。新橋で降りるとついてきて、変なことはしないと約束して高級おでんの小料理屋に行く。男は最初こそ「妹をつれてきたよ」などと言っていたが、杯を重ねるうちに「今夜は僕のいう通りになり給えな」などと言って抱きすくめるので、好子は即座に店を出た。

歩いていると、今度は道を尋ねる30歳前後の男に捕まった。「失礼ですが、あなたは、京都の阪妻(ばんつま)プロダクション(*9)にいらっしたでしょう?」と女優扱いをしてくる。人違いだというと自分は映画関係者に知り合いが多い、あなたを紹介することもできる、これから谷津(やつ)(*10)のプロダクションに行ってみよう、と強引に好子を電車に乗せた。

しかし、乗ってみると行先は市川真間だという。男のなじみの旅館があるらしい。着いたのは午前1時半、2、3軒も断られてやっと入った一流旅館で、どうやって逃げようか考える好子。

(*9)阪妻プロダクション 端正な顔立ちの二枚目として人気を誇った、歌舞伎俳優の阪東妻三郎が立ち上げた、日本初のスタープロダクション。
(*10)谷津 千葉県習志野市谷津。当時、坂東妻三郎が設立した「大日本自由映画プロダクション」の所在地。

■椅子を蹴り上げてナンパ男を一喝

支度ができたという女中に好子は突然「ね、あなた、今夜はお家へお帰りになって、あすの朝、十時ごろにでもいらっしてよ、ね」「さ、私も、お玄関までお送りしますわ」「じゃ、あすはきっとね! 待っていらっしゃいよ」と矢継ぎ早に言って男を追い出し、翌朝十時を待たずに「昨夜の人がきたら、どうぞよろしくっていって頂戴ね」と女中に言伝(ことづて)して帰宅したのだった。

第18回は隅田川にて。夜八時ごろに川面を眺めているとベンチの隣りに座って話しかけてくる男が。とっさに女中奉公になり切る好子、休日に浅草をぶらついた帰りだと話す。男はすかさず、もっと稼げる仕事があると言うが、「まず、亀戸や玉の井ってところには、銘酒屋というのがあってね、お客のお酒の世話さえしてりゃ、一晩のかせぎ高が、まァ十円は下るまいってんですよ」と言う。亀戸、玉の井といえば最下層の私娼窟である。

平山亜佐子『明治大正昭和 化け込み婦人記者奮闘記』(左右社)

そしていきなり着ていたインバネス(*11)で好子を包むと「ねえ、悪いこたァいわない。若いうちが花――面白いめに会ってお金がたまるってんだから、それで花が咲かなきゃ嘘ですよ」と甘言を尽くし、好子の着物の裾に手をやったのでいよいよか、と思った好子は「おもちゃにされて、そのあげく売り飛ばされて、そんな花の咲き方があるかッ! 馬鹿ッ!」と席を蹴って立ち上がった。

男は「この女、何もかも知ってやがらァ」と舌を巻いたのだった。

(*11)インパネス 着脱可能なケープがついた男性用の外套のこと。スコットランド北西部のインバネス地方に由来する。

■押し倒されそうになるも啖呵を切って抜け出す

最終回の舞台は神田神保町。通りすがりの学生がウインクをしたと思うとUターンをして尾けてきた。フルーツパーラーに誘われて映画の話をするうちに、寄宿舎の部屋に俳優のスチールがたくさんあるから見に来いと言う。

ついていくと金持ち学生らしく家具調度も高級なものばかり。大島の着物に着替えた学生、グレタ・ガルボやマレーネ・ディートリッヒの写真を見せていたうちは無事だったが、濃厚なラブシーンの写真を見せると急にキスを迫ってきた。逃げる好子を押し倒そうとしたそのとき、学生の友人が部屋をノック。

好子は渡りに船とドアを開け「あんまり女をアマクみるもんじゃあなくってよッ!」と啖呵(たんか)を切って抜け出した。

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平山 亜佐子(ひらやま・あさこ)
文筆家、挿話収集家
兵庫県芦屋市出身。戦前文化、教科書に載らない女性の調査を得意とする。著者に『20世紀破天荒セレブ ありえないほど楽しい女の人生カタログ』(国書刊行会)、『明治大正昭和 不良少女伝 莫連女と少女ギャング団』(河出書房新社、ちくま文庫)、『戦前尖端語辞典』(編著、左右社)、『問題の女 本荘幽蘭伝』(平凡社)、『明治大正昭和 化け込み婦人記者奮闘記』(左右社)がある。
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(文筆家、挿話収集家 平山 亜佐子)